1. トップ
  2. “メジャーアイドル”から“ローカルタレント”へのキャリアアップ――元SKE48東李苑が語る北海道に戻ってからの4年<インタビュー前編>

“メジャーアイドル”から“ローカルタレント”へのキャリアアップ――元SKE48東李苑が語る北海道に戻ってからの4年<インタビュー前編>

  • 2021.8.1
  • 169 views

北海道を拠点に活動するクリエイティブオフィスキュー所属のタレント・東李苑。2021年6月に事務所所属3周年を迎え、8月7日(土)からは納谷真大作・演出の舞台「札幌演劇シーズン2021-夏『プラセボ/アレルギー』」に出演する。

【写真を見る】4年間SKE48のメンバーとして活動していた東

東は2013年にAKB48の姉妹グループで名古屋を拠点とするSKE48に6期生として加入すると、同グループの選抜メンバーとして活躍し、2017年3月に卒業。地元・北海道に戻り、2018年より現事務所に所属。現在は「いまなにしてる?」(毎週木曜深夜0:55-1:25)、「ブラキタ」(毎月最終土曜朝11:59-、ともにHBC)、「東李苑のおしゃべりシフォンケーキ」(毎週金曜深夜0:00-0:30、FM NORTH WAVE)と、北海道で3本のレギュラー番組を抱えている。

今回は、そんな“メジャーアイドル”から“ローカルタレント”へキャリアを進めた東に、事務所所属3年周年ということでインタビュー。前編では、メジャーアイドルで経験しておいてよかったと思うことや、戻ってきて改めて感じた地元・北海道の良さなどを聞いた。

SKE時代から抱いていた「北海道で活動したい」という思い

――ご無沙汰しております。この取材前日にあったSKE48のZepp Sapporo公演をご覧になっていたようですが、古巣のステージはいかがでしたか?

すごく感動しました。客観的にアイドルの世界を見て、やっぱりアイドルのパワーってすごいな、プロは違うなって思いましたね(笑)。

――東さんも現役のタレントさんなので言い方が変な感じになりますけど、プロだったわけじゃないですか(笑)。

そうなんですけど(笑)。「あなたたちはプロとしてこの仕事をするわけだから」って入った時に言われたことを思い出したり、あとは卒業するメンバーもいる中で今も変わらず頑張ってる同期やスタッフさんの姿を見て、変わる良さもあるけど、変わらない良さもあるなって思いました。

みんなが一生懸命に歌って踊ってる姿や、その全力さを見て、懐かしさももちろん感じました。あと、客席の後ろの方からファンの人の背中越しに見ていたから、ファンの人の応援の熱が後ろ姿から伝わってきて、アイドルとファンの関係ってすごくいいなって感じたりもしました。アンコール1曲目に「恋を語る詩人になれなくて」をやった時なんかは、私の原点だなって思いましたね。

――そのSKEを卒業してからOFFICE CUEさんに所属して3年ということで今回はお話を伺いたいなと思ったんですが、まずはSKE卒業後からCUEさんに加入するぐらいの頃、どんなことを考えていたとか覚えていますか?

卒業してからCUEに入るまで1年くらい空いたんですけど、その時にご縁があって鈴井(貴之)会長にお声掛けいただいて舞台「天国への階段」に出たんです。でも、その時期はむしろ充電期間と思って表に出るつもりはなかったし、卒業する前から事務所に入れることが決まっていたわけでもないので、「新しいスタートを切った」みたいな実感はなかったですね。

SKEにいた頃に漠然と「北海道で活動したい」と思っていて、そこから「北海道といえば大泉洋さん、大泉洋さんといえばOFFICE CUE」みたいな(笑)、本当にただそれだけでした。結果的にCUEに入ることができたので、ファンの人も「夢がかなってよかったね」って思ってくれたと思いますし、私も「言葉にしたら願いがかなうって本当なんだな」って思いました。

「1つ1つのお仕事に対しての向き合い方が変わりました」

――CUEさんに入った頃のお仕事で印象に残っているものはありますか?

「CUE DREAM JAM-BOREE 2018 ―リキーオと魔法の杖―」ですね。音尾(琢真)さんに感謝です。2年に1回やってて、毎回所属タレントの誰かが演出を担当するCUEのイベントなんですけど、この時は音尾さんが演出をする回で。ミュージカル調にして、私を“アズマリオーンお嬢様”っていう役にしてくれたんです(笑)。

多分、CUEのことを応援してくださる皆さまの前に初めて私が立つから、インパクトがあるようにとか、覚えてもらいやすいようにとか、そういうことを配慮してくれたんじゃないかなって思います。だから、すごくいいタイミングで「JAM-BOREE」に立てたし、その演出が音尾さんでよかったなって思いました。

――そのほかにCUEさんに入ってから新たに活動を始めた中で転機になった出来事はありましたか?

というより、全部が新鮮だったんですよね。アイドルの時も本当にいろんなことをさせていただいて、特殊な職業だなって思ったんですけど、正直忙し過ぎて、事前に準備する時間も取り組んだ後の反省の時間もすごく短かったんです。

けど、CUEに入ってからは1つのお仕事に対してたっぷり準備する時間があって、たっぷり反省する時間があるので、1つ1つのお仕事に対しての向き合い方がすごく変わりました。例えば、講演会なんかはまさに…キツかったです(苦笑)。

――何がそんなにキツかったんですか?

初めての講演会のお仕事が21歳か22歳の時だったんですけど、講演をする相手が成人したばかりの人たちで、大して年の変わらない私が何を言えるんだろうって。パワーポイントも使ったことない、1時間話す、(聞いてる人の)ためになるのかな?っていう不安がありました。

単に私のヒストリーみたいになっても意味ないなって思ったので、自分なりに何を伝えたいかというところから掘っていって、1から10まで一生懸命取り組んで。夜も眠れない日々が続いたり、(会場までの道中で)緊張で気分が悪くなって高速道路のパーキングに何度も止まってもらったり、プレッシャーをすごく感じていましたけど、これはやってよかったというか、すごく良い経験になったと思います。

あの時はアイドルの4年間のことくらいしか話せなかったんですけど、今は北海道に戻ってきて4年、同じ時間を過ごしたことになったから、今ならもうちょっとしゃべることありますね(笑)。

あと、SKEを卒業してからCUEに所属する間ですけど、会長にお声掛けいただいた舞台「天国への階段」も卒業後初仕事、初舞台と、本当に初めてづくしでしたね。全部が新鮮で、転機は大げさかもしれないですけど、それくらい自分にとっては1つ1つが大きなお仕事だったなって思います。

求められているのは“その地域で通じるもの”

――SKEで4年、北海道に戻ってきて4年ということですが、「これはSKE時代に経験しておいて良かった」って思うことはありますか?

これも、全部がそうなんですよ。「紅白歌合戦」にも出させてもらいましたし、AKB48グループとして5大ドームツアーもありましたし、そういう大きな舞台に立たせてもらうことってなかなかない経験ですよね。

こういう1人じゃ絶対にできなかったことを最前線で経験して、自分のベースにできたっていうことは、今後の自分の人生においても、芸能活動においても、すごく大事な土台になったなって感じています。

めちゃくちゃ忙しかったし、厳しかったですけどね。どんなに忙しくても、コンサートやライブがあったらその都度変わる立ち位置表を頑張って覚えたり。そんな毎日でしたけど、ちゃんとプロ意識を持って活動に取り組めていましたし、その世界の厳しさを知っておいてよかったなって思います。

――SKEを卒業して北海道に戻ってきて、改めて感じた北海道の良さはありましたか?

東京とか名古屋とか、最前線で常に忙しくしてることはいいことだと思うんです。でも、こっちにはゆるさっていうか、いい意味でののんびり感があって。テレビに出てても、テレビを見てても、ローカル感というか、ローカルの良さを感じるんです。

でも、この空気感が東京に合うかっていったらそうじゃないと思うし、北海道や各地域の人たちも東京で通じるものを求めてるんじゃなくて、その地域で通じるものを求めてると思うんですよね。ホーム感っていうんですかね、そういうのはローカルにしか出せない味だなって思うので、そののんびり感というのは強みなんじゃないかなって思います。

――北海道の方々の間にご自身が浸透してきたかなって実感はありますか?

ありがたいことに、コーチャンフォーさんのCMはSKE時代から引き続きイメージキャラクターを務めさせていただいていて、特に今流れてるCMは私の名前から始まるので、名前を言って「あぁ!」って言っていただけることも多かったりします。

あと、面白かったのが、こないだ1人でイルミネーションを見に定山渓温泉に行ったんですよ。そうしたらある媒体の方に、人いなくて困ってますみたいな感じで「あの~…取材させていただけないでしょうか」って声を掛けられて(笑)。

大変なんだろうなって思いながら取材を受けたんですけど、最後に名前を聞かれて、フルネームの方がいいということだったので「東李苑です」って言ったら「はっ!!」みたいな反応で(笑)。マスクをしてたし、イルミネーションスポットだから装飾以外は基本暗くて顔はよく見えなかったと思うんですけど、名前を言ってそういう反応をしてくれたのがうれしかったですね。

元記事で読む