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「LGBT法見送り」頑なに抵抗する人たちが知りたくない"不都合な真実"

  • 2021.7.13
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先の通常国会で提出が見送られた「LGBT理解増進法案」。LGBTをめぐっては、一部の保守派議員が「種の保存に背く」などと発言して批判が殺到しました。なぜこうした発言が出るのか、発言の根底にある「妄想」とは何か。男性学の第一人者、田中俊之先生に聞きました――。

LGBT法案などについて議論された自民党総務会=2021年5月28日、東京・永田町の同党本部
LGBT法案などについて議論された自民党総務会=2021年5月28日、東京・永田町の同党本部
頑なに抵抗し続ける人たち

LGBTなどの性的少数者をめぐっては、長い間、そうした人々の権利擁護や理解増進が叫ばれてきました。しかし、保守派議員の中には、こうした声に頑なに抵抗し続けている人たちがいます。

「生物学上、種の保存に背く」「体は男でも自分は女だから女子トイレに入れろとか、女子陸上競技に参加してメダルを取るとか、ばかげたことが起きている」──。彼らはなぜ、こんな差別的な発言をしてしまうのでしょうか。

差別発言の根底にある“伝統的家族像”という妄想

彼らの発言の根底には「家族崩壊=国家の危機」という大前提があります。その家族像は異性愛者を前提としたもので、人は結婚して子をなし同じ姓を名乗るべき、それが家族であるという考え方に基づいています。そうでなければ家族も日本の伝統も崩壊してしまい、国家が危機に陥るというわけです。

こうした考え方の人は一定数いて、実際、LGBT法も選択的夫婦別姓も、反対しているメンバーはほぼ共通です。それは日本の伝統的家族像とは違うから、伝統や家族の崩壊を防ぐために戦わなければならない──。彼らはそう考えているのでしょうが、それは単なる思い込みで、事実とは明らかに異なります。

保守派が知りたがらない真実

保守派の人たちは「同性カップルでは子が生まれない」と、それがさも悪いことであるかのように言います。しかし、1953年に行われた調査では、子どもがいない、あるいは子どもの中に男子がいない場合「養子をもらって跡を継がせた方がよい」が約73%と圧倒的多数を占めていました。

つまり、昭和初期の日本では、後継ぎが必要な場合でも「何がなんでも子を生むべき」より、「子どもがほしければ養子をもらえばいい」という考え方のほうが主流だったのです。夫婦とその2人から生まれた子という家族像は、日本の伝統と言えるものではないのです。

青空にはためくレインボーフラッグ
※写真はイメージです
家族は暖かいとか冷たいとかではない

また、伝統的家族像に固執する姿勢は、彼らが時代に向き合っていないことの証しでもあります。家族社会学では、家族には「直系家族制」と「夫婦家族制」の2つがあるとされています。前者は、親の財産を跡取りが受け継ぎ家族を存続させていくもの。後者は家族の単位は夫婦であり、その夫婦が離婚したり亡くなったりすれば家族も終了というものです。

多くの家庭が農業などの家業を持っていた時代は、直系家族制が適していたでしょう。でも、現代では会社に雇われて働く人が増え、子や孫に継がせる家業を持たないケースが多くなっています。この場合は夫婦家族制のほうが適していますから、自然の流れとして、家族のありかたもそちらのほうに変わってきました。

ところが、保守派の人々が抱く家族像は、直系家族制の時代からまったく変わっていないようです。変化自体は感じているのか、「昔の家族は暖かかった、今は冷たい」などと嘆いていますが、実際にはそういう問題ではありません。暖かいとか冷たいとかではなく、産業構造が変わったから家族のありかたも変わっただけなのです。

勉強が足りない

ですから、差別発言をした議員は勉強が足りないのではと思います。子どもをもつことに関しては、決して伝統ではないことを伝統と思い込んでいるわけですし、家族のありかたについても産業構造の変化には目を向けず、絆や人情といった感情論で語り続けています。夫婦同姓にしても近代以降の制度ですから、日本の伝統と呼べるものではありません。

そう考えると、保守派議員によるLGBTをめぐる発言は、不勉強と、自分が伝統だと思い込んでいる家族像への固執から起きたものだろうと推測できます。では、彼らがそれほどまでにその家族像に執着する理由は何でしょうか。

持論を正当化するために妄想にすがっている

新しいものや体験に対して嫌悪感や不安を覚えることを「ネオフォビア」と言います。差別的発言をした議員たちの心理も、これに似ているように思います。彼らにとってLGBT法や選択的夫婦別姓は、自分たちの「安心」をおびやかすもの。だから対抗策として、持論を正当化するような妄想にすがっているのではないでしょうか。

これは世間一般でもよくある話です。振り返れば漫画もテレビゲームも、大人たちは何の根拠もなく「バカになる」「非行の原因になる」などと言って否定してきました。

実を言えば、僕自身もそんな大人の一人です。先日、学生たちが好きなユーチューバーの話で盛り上がっているのを見て、つい「そんなクオリティーが低いものじゃなくてドキュメンタリーでも見たら」と言ってしまいました。自分はユーチューバーの作品を一つも見たことがないのに、です。後から、これじゃただの毛嫌いだな、新しいものに対して完全に思考停止していたな、と反省しました。

知りたくない事実を突きつけても聞こうとしない

僕の場合は、毛嫌いを正当化するために「ユーチューバー作品はクオリティーが低い」という根拠のない妄想にすがったわけです。同じように、保守派議員たちは伝統的家族という妄想にすがっているのです。

その妄想を否定するような、前述の養子への意識や産業構造の変化などは、彼らにとっては「知りたくもない事実」。こちらがいくら事実を示しても、そもそも知りたくないので話を聞こうとはしてくれないでしょう。こうした人たちとの戦いは、残念ながらかなり厳しいと言わざるを得ません。

言い続けることが大事

それでも、国民は彼らに対して、真実はこうだ、世論はこうなんだと言い続けるべきです。意見を発信すると同時に、LGBT法や選択的夫婦別姓に反対する議員、差別的発言をする議員など「いつものメンバー」をしっかりチェックして、投票に反映する姿勢も必要です。

ただ、そうしたメンバーは票を得ているから議員になっているわけで、そこは現実として受け止めなければなりません。世の中には彼らの発言を支持する人たちもいる。そうした別世界もあるのだと認識した上で、一人ひとりが自分にできる努力を続けていくことが大事だと思います。

保守派議員による今回の発言は報道で大きく取り上げられ、非難の声もたくさん上がりました。2000年代前半にフェミニズムに対するバックラッシュ(反動、揺り戻し)が起きた時とは雲泥の差です。

例えば、2006年には、今でもご活躍されているジェンダー研究者の上野千鶴子先生が、東京都のある市で人権講座の講師を務める予定だったのですが、「ジェンダーフリーという用語を使うかもしれない」という理由で講座が中止に追い込まれるという事件が発生しています。

時代は確実に変わってきている

上野先生はこの一件について、次のように述べています。「都の役人の女性行政に対する態度が、ここ数年のうちに、もっとはっきり言えば石原都政以後に、大きく変わったことは誰もが気づいている――中略――石原都政以後に、わたしは都にとっては、「危険人物」となったようである」(若桑みどり他編 2006『「ジェンダー」の危機を超える!』青弓社)。

ちなみに、石原慎太郎さんは、学者の言葉を引用したとしながら、2001年に女性週刊誌のインタビューでこのように語っています。「女性が生殖能力を失っても生きているってのは、無駄で罪ですって」。

もし、2020年代になった今、上野先生の講座が中止になったり、現役の都知事があからさまな女性差別発言をしたりすれば大問題になるはずです。時代は確実に進歩したと思います。多くの人々がSNSを通じて意見を発信するようになり、報道もジェンダーというテーマを避けることはほとんどなくなったどころか、大きく取り上げるようにさえなりました。

以前は言われっぱなしだった女性に対する差別的発言にも、今は「言い返し」ができる状況になっています。今後も保守派議員による差別的発言は起きるでしょうが、それに対峙できる社会になってきているのです。こうした流れがさらに加速して、彼らや社会を変える力になることを期待しています。

構成=辻村洋子

田中 俊之(たなか・としゆき)
大正大学心理社会学部人間科学科准教授
1975年生まれ。博士(社会学)。武蔵大学人文学部社会学科卒業、同大学大学院博士課程単位取得退学。社会学・男性学・キャリア教育論を主な研究分野とする。男性学の視点から男性の生き方の見直しをすすめる論客として、各メディアで活躍中。著書に、『〈40男〉はなぜ嫌われるか』(イースト新書)、『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』(KADOKAWA)『中年男ルネッサンス』(イースト新書)など。

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