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サッカー五輪代表・中山雄太の決意常に全力、その先に金メダルがある

  • 2021.7.12
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中山雄太選手(写真:Pro Shots/アフロ)

【目指せ!東京2020】

経歴だけを見ればエリートだろう。

東京五輪日本代表メンバーにも、発表前から「当確」と言われていた。各世代別代表ではキャプテンを務めてきた。

オランダ1部・PECズヴォレの中山雄太選手。

だが本人は、意外にも「僕のキャリアは『挫折』で作られている」と教えてくれた。(インタビュアー・石井紘人 @ targma_fbrj)

初の「A代表」で「うまくなれる」

中山:(挫折の)一つ目は、中学三年生で足首を骨折したことです。完治に時間がかかり、大好きなサッカーができなくなるのではという不安、それが辛かった。(「安静にしなければ」と「でもサッカーがしたい」という)葛藤もありました。
二つ目はFIFA U-17ワールドカップの落選。候補として活動はしていたのですが、本大会には行けませんでした。三つ目は2019年、日本代表に初選出されたのですが、その経験は自分の現在地を知ることになりました。自分のパフォーマンスが悔しかったし、落ち込みもしましたが、同時にうまくなれるとも思えました。三つ目だけは、けがや落選の「挫折」とは違う、前向きなターニングポイントですね。

――今回は、盤石の状態から東京五輪日本代表に選ばれました。目標を教えてください。

中山:僕自身は金メダルを目指して今までもやってきましたし、これからもそうです。グループリーグ自体(南アフリカ、メキシコ、フランス)も簡単にはいかない相手ですが、その戦い、さらに決勝までのプロセスで、僕たち自身の成長を感じてもらえる大会にしたい。そして、最後は金メダルにたどり着けたら最高だと思います。

――金メダルを目指すとなると、コンディションをどのように作るかもポイントになると思います。初戦に合わせるのか、準決勝くらいに合わせるのか。そういった話はチームでしていますか。

中山:いえ、していません。ただ、森保(一)監督も選手もそうですが、一戦一戦が大事だと思っています。今でいえば初戦に対して全力で臨んで、勝利を飾る。次は二戦目、三戦目。先を見過ぎて目の前にある戦いを疎かにしてはいけません。金メダルというのは、一つ一つの積み重ねの先にあるのかなと思っています。

もう一人の自分と常に対話

オランダ1部・ズヴォレでプレーする中山雄太選手(右)。同じくオランダ・AZに所属する菅原由勢選手と(写真提供:トライオン)

――五輪でのサッカーは、いつから覚えていますか。

中山:知ったのは幼少期ですが、その時は漠然としていましたね。記憶にあって、しっかりと見ていたのは、2012年のロンドン五輪です。その時がU-16日本代表に選ばれたくらいのタイミングなので、自分も出場を目指す大会だとも思っていました。

――今日のインタビューもそうですが、過去のインタビューを読んでもキャプテンとしての風格が伝わってきます。元日本代表キャプテンの長谷部誠選手(アイントラハト・フランクフルト)でいう「心を整える」ように、何かを意識されていたりしますか?

中山:「何言っているの?」と思われるかもしれませんが、僕の中にもう一人自分がいて、自分の中で常に会話しています。もう一人の自分が、自分に問いかけてくるのです。それにより、良い時も悪い時も、自分を見つめ直す時間が作れています。
先ほど話したような「挫折」の経験があって、そこからどのように改善すれば、人としても、サッカー選手としても大きくなれるのだろうかと考えた時に、自分に対して反省の目を向けました。それを続けて、いつの間にか習慣になった。僕の中では欠かせない時間です。

――今回のインタビューは、サッカーを見たことない読者の目にも触れると思います。中山選手の特徴や、このプレーを見てほしいという点はありますか。

中山:結構そういう質問があって、答えられてないんですよね(笑)。だから逆に、サッカーを知らない人は、特に情報を入れず、先入観なく、僕のプレーを見てほしい。そして、僕の魅力を教えてほしいですね(笑)。

自国の五輪、どんな感覚になるのか

「アンダーカテゴリーのFIFA大会の経験はあるのですが、五輪、しかも自国の東京五輪となると、自分がどのような感覚になるのかわからない」

インタビューの最後に、中山選手はこう口にした。自身のSNSを見るかどうかは断言できないそうだが、

「暖かい言葉ってきっと届くと思うのです。なので、SNSには暖かい言葉を送って頂ければ見ると思います」

こう呼びかけ、笑顔を見せた。

中山 雄太(なかやま ゆうた)
1997年2月16日生まれ。北文間スポーツ少年団から本格的にサッカーを始める。龍ケ崎市立愛宕中学校サッカー部でプレーしていた中学2年時に茨城県トレセンに選出され、練習試合で柏レイソルU-15と対戦した際にスカウトを受け、中学3年時から柏レイソルの下部組織に入団した。
2012年にはU-16日本代表に初招集され、以降は各年代別日本代表でキャプテンを務めるなど主軸として活躍。高校2年時の2013年には、若干16歳ながら柏レイソルトップチームに2種登録された。高校3年時にはチームの主将を務め、高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグEASTでクラブ史上初の優勝を達成。そして、柏レイソルに加入した。
2017年にはJリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞。勢いそのままに2019年にはオランダ・エールディヴィジのPECズヴォレに移籍。さらに日本代表にも選出され、コパ・アメリカにも出場した。
意外にも出身は柏レイソルのある千葉県ではなく、茨城県龍ケ崎市。「鹿島アントラーズのホームスタジアムの地域ということもあって、鹿島スタジアムでのチケットが小学校に配布されることもありました。なので、結構サッカーに触れるような環境ではありましたが、(千葉県や静岡県のように)強豪地域ではなかったと思います」と当時を振り返ってくれた。様々なエリアに眼を向けた柏レイソルのスカウト力に驚かされたエピソードだ。

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