1. トップ
  2. 恋愛
  3. 「闇由美子だった時代も」闇のおかげで今があると釈由美子が思える理由

「闇由美子だった時代も」闇のおかげで今があると釈由美子が思える理由

  • 2021.7.10
  • 8531 views

DRESSの『運命をつくる私の選択』は、これまでの人生を振り返り、自分自身がなにを選び、なにを選ばなかったのか、そうして積み重ねてきた選択の先に生まれた“自分だけの生き方”を取り上げていくインタビュー連載。今回のゲストは、女優の釈由美子さんです。

大学生で芸能界デビューをし、グラビアアイドルからバラエティタレント、女優業と瞬く間に売れっ子となった釈由美子さん。現在は芸能界の仕事を続けながら、5歳のお子さんを育てる母でもあります。親からの愛を感じることができず、自己肯定感の低かった幼少期から、歳を重ねる中で生まれた価値観の変化について、お話を伺いました。

ヘアメイク :田中宏昌
スタイリスト :安永陽子
文 :卯岡若菜
写真 :池田博美
取材・編集 :小林航平

■父から愛されていないと思っていた

D 0054 min

――釈さんはどんな子ども時代をお過ごしになられてきたのでしょうか?

私は4姉妹の次女で、しょっちゅう姉妹喧嘩をしていました。家族の中ではサザエさんのカツオみたいな活発で口達者なタイプでしたが、一歩外に出れば“本ばかり読んでいるおとなしいタイプ”に見られていたと思います。内弁慶だったんですね(笑)。あとは、姉のお下がりを嫌がったり、「二番目(私)はいつもかわいがられていない」と姉妹と自分を比べて劣等感を感じていたりする子どもでした。

――「二番目は可愛がられていない」ですか?

長女は親から期待されていて、三番目はおばあちゃんに似て人懐っこかったので周りからもかわいがられていて。四番目は末っ子なので、親はかわいくてかわいくて仕方がない……みたいな感じで自分以外の姉妹が羨ましく見えていましたね。

ただ、他の姉妹からは「お姉ちゃんは親と仲良くて羨ましかった」と言われることがあるので、なんだかんだ隣の芝が青く見えていただけなのかもしれません。

でも、私自身は父から愛されていないと強く思っていました。“昭和時代”を象徴するような父親だったこともあり、子どもを褒めることがなかったんです。それだけならまだしも、バカやブスとなじられたり、「おまえは橋の下で拾われてきた子だから」と平気で言うような人でした。そんな環境で育ったので、コンプレックスの塊でしたね。「なんで私なんか生まれてきたんだろう」と思うくらい、自己肯定感が低かったんです。

ただ、それでも父に認めてもらいたい気持ちが強かった。勉強も部活も、父に褒められたい一心でがんばっていましたね。山登りにまつわるお仕事を始めたときも、登山が好きな父が喜んでくれるかな……という思いがありました。結局、一回も褒めてもらった記憶はないんですが。

――そんな父親を釈さんはどのように見ていたのでしょうか。

口下手で、自分の気持ちを伝えることができなかったんでしょうね。そう思えるのは、「私の父」をテーマに書いた作文で賞を取ったとき、その作文が掲載された冊子を父が死ぬまで鞄に入れて持ち歩いていたことを知ったからです。言葉にして伝えることは苦手だったのかもしれないけれど、愛情深い人だったのかなって。

■仕事、結婚や出産。迷いの時期は「闇由美子」だった

D 0093

――釈さんが芸能界に入られた理由は何だったのでしょうか。

芸能界に入ったのは、本気で行きたかった大学の受験に落ちてしまった挫折感から、「自分が絶対しないようなことをしよう!」と思ったからです。でも、別に私は女優になりたかったわけではないんです。憧れていたのは広告プランナーのお仕事でした。それで、当時一番好きだった女優さんが所属している事務所に応募したんです。よくよく考えるとその女優さんが出ているCMを事務所が作っているわけではないんですが、当時の私はよく知らなかったんですよね(笑)。結局、その後あれよあれよという間に進展していって。

タイミングもあると思うのですが、運とご縁に恵まれすぎていましたね。深夜番組のレギュラーからグラビアアイドルでデビューし、バラエティーに出て……とトントン拍子でお仕事をいただけるようになりました。

――どんどん売れていく自分に対し、釈さんはどう感じていましたか。

自分に自信がない状況の中でお仕事をたくさんいただいていたので、とにかく申し訳なさでいっぱいでした。だから、一回一回のお仕事に全力を尽くそうと。入れ込みすぎて泡を吹いて倒れてしまったり……。現場では照明さんから「いつも全力投球だから、たまにはカーブや変化球を使って調整しなきゃダメだ」とアドバイスをいただくこともありました。はたから見たら相当切羽詰まっていたのだと思います。

グラビア撮影が立て込んでいた時期には、触られても皮膚の感覚がなくてわからなくなることもありましたし、海外ロケから帰宅する車中で過呼吸が出たこともありました。今思うと心身ともにバランスを崩してしまっていたのですが、お仕事は好きだし、求められることが嬉しかったので、辞めたいと思うことはなくて。むしろ自分では「もっとがんばらなきゃ」「これが普通でしょ」と思っていたので、「そんなにがんばりすぎないでいいよ」とか「無理しないでね」と言われるのが一番嫌でした。

――かなり追い詰められていた状態だと思うのですが、誰かに悩みを打ち明けたり、相談したりすることはできなかったのでしょうか。

今思うと、特に相談できる人はいなかったかもしれません。急に私が売れたこともあって、お金の部分で親から頼りにされたりもしていて……。そのせいで親子関係はギクシャクし始めていました。

私が当時所属していた事務所も、個人事務所の規模だったので、「釈由美子が看板としてやるしかない」みたいな状況で。何回か心はポキポキと折れていたんですが、「今の私があるのは家族や事務所のおかげなんだから」と思うことで踏ん張れていたのかな。

――そんな中でも「もっとがんばらなきゃ」とご自身を追い詰めていた理由はなんだったのでしょうか。

自己肯定感のなさだったのでしょうね。親からも愛されてない、誰からも必要とされていない……そんなときに、芸能界でデビューして、誰かから求められる実感を得られるようになったのが大きかったのだと思います。初めて握手会をしたとき、ファンの方に「元気をもらえます」って言ってもらえた瞬間、自分の生きている意味をやっと感じられたんです。ひとりでも自分を必要としてくれる人がいるなら、その方のためにがんばりたいという気持ちがずっとありますね。

――そうやってお仕事に懸命に取り組んできた中で、結婚や出産についてはどのように考えていたのでしょうか。

20代後半から30代にかけて、何度か結婚したいと思ったタイミングがありました。でも、仕事を辞めたいとは思っていなかったんです。当時交際していた相手の方からは「結婚するなら芸能界の仕事を辞めてほしい」と言われていました。でも、私はそこまで踏み切ることができなかったんです。そんな気持ちで結婚したら、“仕事への未練”がいつか“相手への恨み”に変わってしまうかもしれない。だから、悩んだ挙句に結婚を選ばなかったんです。

でも、30代後半になって「あのとき結婚すればよかったなあ」と後悔する時期もありました。5年くらいは引きずりましたね。

――その後悔はどういったことがきっかけだったんですか?

芸能界は特にその傾向が顕著だと思うんですが、女性は30代に入りキャリアを積んでくると仕事が一回停滞する時期があるんです。若いときは“若い”というだけでちやほやされることがありますが、30代以降は実力や結果が伴わなければ次に繋がっていかない。そうした仕事面での不安に加え、子どもを産みたい気持ちがあったので、「このまま仕事ばかりに気をとられて、子どもが産めなかったらどうしよう」という焦りもありました。

もちろん“結婚しない”選択もあります。けれど、私は結婚願望が強かったし、母親になりたい気持ちもあったんです。それなのに、婦人科健診で妊娠しづらいことがわかり、さらに後悔が倍増。もう、当時は完全に「闇由美子」状態ですよ。2002年に発売されたお酌ロボ「お酌パラダイス 釈お酌」を出してきて、ひとり飲みながら落ち込んでいました(笑)。

でも、「反省はするけど後悔はしない生き方」が私のモットーなんです。もちろん後悔してしまうときもありますが……。とにかく私にとって「今だ」と思える適齢期が絶対来るはずだと信じて、直感で生きてきましたね。

■自分の人生は、自分でプロデュースして歩んでいきたい

D 0084 min

――その後、ご結婚、ご出産をされています。釈さんの言うところの「今だ」が来たのですね。

ご縁でしたね。父が亡くなったあとにトントン拍子に結婚が決まり、授かりにくい体質だと言われていたのに、すぐに子どもを授かりました。

――なりたかった母親になってみて、なにか変化はありましたか?

歳を重ねていく中で、親の気持ちがわかるようになっていきました。親が今の私の年齢のときには、もう私を産んで育てていたのだなと思うと、その大変さがわかります。親だからってなんでも100点満点にはなれないよね、と。間違いは絶対するし、仕事のストレスが育児に影響してしまうこともあっただろうし、そりゃそうだよねと気づけるようになったというか。

20代の頃に心身を病んだとき、やっぱり幼少期に過ごした家庭環境から受けた影響は大きいと思いましたし、親を恨んだ時期もあったんです。でも、「この親に育てられた自分はかわいそうな人間なんだ」でいつまでも止まっていると、そのまま人生が終わってしまう。私はそれが嫌だったんです。

歳を重ねながら自分を俯瞰的に見られるようになったことで、「10代まではコンプレックスがあったかもしれないけど、それも含めて自分」「自分の性格や考え方の癖を踏まえて、こうしていこう」と考えられるようになりました。ほかの誰のものでもない私の人生なのだから、やっぱり自分でプロデュースしていきたいなと思って。

――俯瞰的にご自身を見る力は、お仕事柄身についたものでもあるのでしょうか。

そう言われてみると仕事が忙しすぎたとき、自分のことを「チャック由美子」と呼んでいたことを思い出しました。仕事でバタバタしているときに、心と体を一致させてしまうと、心身ともに疲弊してパンクしてしまうじゃないですか。だから、「釈由美子」という人間の背中にチャックがついていて、そこから「入りまーす」みたいに魂を仕事用の身体に入れるイメージでお仕事していましたね(笑)。仕事用の釈由美子と自分の心は別物としてとらえていたのかもしれません。

■出産を経て、自分のスタート地点に立てた

D 0094

――「闇由美子」に続いて「チャック由美子」まで生み出されたのですね(笑)。そんな釈さんは現在、5歳のお子さんのお母さんでもあります。親になったことで、どのような変化がありましたか?

出産したことで、人生のスタートラインにようやく立てた感覚があります。ずっと自信がなくて、「私を見て」「私を必要として」「愛して」と自分にばかり意識が向いていたのに、今は「もう自分なんてどうでもいい」と思っていて。ストイックな性格にも変化があって、髪の毛も乾かせない、化粧水もはたけないから子どもに塗ったクリームをついでにもらって塗るみたいな。「自分の美容」とか言ってる場合じゃない(笑)。見返りのない愛情を注げる相手がいると、こんなに人ってしなやかに強くなれるんだと感じています。

あとはやっぱりさっきもお話ししたように、親になったことで、より親の気持ちもわかるようになりました。ただ、両親に感謝はしつつも、自分の子育てにおいては反面教師にしていています。我が家では真逆な育て方をしているというか、しつこいくらいに子どもに言葉で愛情表現をしているんです。子どもが寝る前に、「生まれてきてくれてありがとう」と、生まれてきてくれたその存在に価値があるんだよと言葉にして伝えてきました。今では、その言葉に「ありがとう」「どういたしまして」と続くのがセットになっています。

言葉の力って大きいなと思っていて。私は小さなときに「橋の下から生まれてきた子だ」とか「バカ」とか言われていたことでコンプレックスが強くなってしまったので。子どもには小さいうちから自己肯定感に繋がる言葉をかけたいと思っています。

――「親の気持ちがわかるようになった」とのことでしたが、ご両親との関係はその後どうなったのでしょうか。

出産後には親の視点を持てるようになったこともあり、母とは良好な関係を築けています。父は私の結婚前に他界していますが、病気になる前に一緒に登山を始めていました。父は個人で事業をしていたのですが、廃業したときにものすごく小さくなっていて、その姿を見たときになぜか切なくなったんです。父は自分の威厳を示すためにきつい物言いをしていたのだろうと思いましたし、自分もそういう父の影響からか仕事が忙しくなっていく中で、辛く当たっていたところもあったのだろうと。

そんな父ともう一度親子の関係を取り戻したいと思ったときのきっかけが山でした。登山に行くと、父は水を得た魚のように生き生きとしていて、私は初心者だからいろいろと教えてもらったんです。その中で、父との関係性は回復していったように思います。

――過去に父親から受けてきたことを思い出して関係性の回復に葛藤を抱いたりはしなかったのでしょうか?

私の場合は「親孝行したい」とか「父を喜ばせたい」っていう気持ちの方が上回ったんですよね。「今の自分があるのは父のおかげだし」という思いがベースにあるんですよ。やはり父が自分のことを褒めてくれるかどうかが原動力になっているんですよね。

――なるほど……。反面教師でもあり、一方で原動力でもあった父親が他界されたときの心境はどのようなものだったのでしょうか?

ぽっかりと心に穴が空いた感じでしたね。その現実を受け止められなかったというか。父は余命を宣告される直前に3000m級の山を登ったりしていたので、その話を聞いたときには「嘘だ嘘だ嘘だ」って驚くばかりでした。

そこから坂道を転げるような速さでどんどん父の容態が悪化していって……。闘病中にたまたまアクション映画への出演が決まったり、その後も舞台や映画の仕事の合間に父のところに行っては看病をする、を繰り返していました。当時のことはもう忙しすぎて記憶がないですね……。ただ、絶対良くなるって信じていました。

闇由美子の時期もそうですが、もし戻れるなら違う生き方があったかなと思うことはあります。ただ、すべてひっくるめて今の自分が幸せだとも思うんです。私の場合は、闇があったからこそ気づけたこともいっぱいある。点で考えると受け入れがたいことも、点と点を繋いで線で見たときに、どの時点の出来事や選択にも意味があったんだなと。

――これから、釈さんはどのような人生を歩んでいきたいと思われますか。

今の私の唯一の不安は、子どもが巣立ったあとの自分なんです。これだけ情熱を注いでいる存在が、自分のもとから離れていったときにぽかんと穴が空きそうで。もちろん今は子どもが第一なんですが、子育てを終えた先の自分の夢や趣味、生きがいを見つけていきたいですね。

出産してからストイックさは和らぎましたが、それでも自分に厳しい一面は消えていないので、同じことを子どもに求めないように注意しています。子どもにとっては窮屈でしょうから。仕事が多忙だった頃、自分へのおまじないで「余裕しゃくしゃく」と言い聞かせてきました。それぐらい肩の力を抜いて、常に全力じゃなくて8割くらいの力でやってもいいんだよ、と思っています。

釈由美子プロフィール

1997年デビュー。女優、タレント。 映画『修羅雪姫』、『ゴジラ×メガゴジラ』、『KIRI職業・殺し屋』、ドラマ『スカイハイ』、『7人の女弁護士』などの作品で主演を務めるなど出演作品は累計100作を超える。 舞台、グラビア、イベント、ナレーション、広告出演等、多方面で幅広く活躍。 美容関連書籍『釈ビューティー!』『釈ボディ』『釈美スタイル』出版。 登山愛好家として親しまれ、山岳関連書籍『山の常識 釈問百答を上梓。 登山番組『実践!にっぽん百名山』では番組司会を務める。 写真集出版多数。温泉ソムリエ、山ガール、古武道(十二騎神道流)二段。 愛犬家、一児の母。

元記事で読む