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自分の「ソジエスク」を知ってますか?

  • 2021.6.29
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6月はプライドマンス(性の多様性に誇りと理解を持つことを促進する月間のこと)だったので、性について考えてみる日が多かった。

自分は女性、男性のどちらに属するのか。1985年生まれの私は、この問いかけに疑問を持つことすら日常的にはしてこなかった。端的に言うと、私は生まれ持った身体と心の性が一致する、シスジェンダー女性だ。

ただ近年、性は男女の二択ではなく、もっとグラデーションのようなものだという認識が広がってきている。

インスタグラム上で知り合った私の尊敬するアクティビスト、まあやんは、自身も当事者としてLGBTQ+の方々の理解増進のために日々発信をしてくれている。そんなまあやんが最近紹介してくれているSOGIESC(ソジエスクまたはソジースク)という考え方を、今回は引用させていただきたい。

SOGI(ソジ)は「Sexual Orientation=性的指向」「Gender Identity=性自認」で、日本でも少しずつ浸透してきていた言葉だが、さらに細かく性のグラデーションがあると言うのだ。上記に加えて、Eは「Expression=表現する性」、SCは「Sex Characteristics=身体の性」

もし子ども時代や思春期に、SOGIやSOGIESCという考え方が認知されていたら、自分はどんな人生を送っただろうかと想像する。

たとえば小学校に入学してすぐに、学校側から絵具セットを購入させられた。保護者たちに配られたプリントには、ピンクか水色を選択するように書いてあり、私は水色に丸をつけて提出した。2週間後、届いた絵具セットが配られ愕然とする。女子で水色を選んだのは全新入生(男女合わせて120人ほど)で私ひとりで、男子でピンクを選んだ子はいなかった。その後、卒業するまで教室で、登下校中でずっとほかの生徒から後ろ指を刺される羽目になったのだ。

「お前なんで女なのに青持ってるんだよ?おとこおんなだー。おなべだー」

無邪気ではあるが心ないほかの子どもたちの言葉に、私は深く傷ついていた。なぜ好きなものに嘘をつかないといけないのか?そこから一生懸命「自分」を隠し、本当の自分を恥じるようになった。

小学校高学年になると、周囲ではジャニーズの番組が人気で、自分が好きで応援している男性タレントを持たなくては仲間に入れない気がして、興味がなかったのに無理やり「私は〇〇くんが好き!」などと会話についていこうと必死に努力していた。女の子の友だちは好きだったが、虚しかった。

その反面、お人形遊びが好きだったり、裁縫が好きだったりと、いわゆる従来の「女子らしい」自分もいた。だけど自分が「女子」に属していることがとっても不思議で、お風呂に浸かりながら自分の身体を見つめ、私にはいつ男性器が生えてくるんだろうと思っていた。

思春期になるとそれはもっと苦しくなるのだが、その頃には「自我」を押し殺すことに慣れてきていた自分は、「女子」と一括りにされる違和感を、だんだん忘れつつあった。だけどやっぱりたまに男子生徒から「お前は女なのに背が高すぎるから一生彼氏が出来ないだろうな」などと身体の特徴を揶揄されることは悲しかった。

高校生になってから、女の先輩に片思いした。自由な校風だったので、周りには女の子同士で付き合っているカップルがたくさんいたのだが、古い慣習にとらわれている私は、「自分はストレートで、男の子が好きなんだ」と言い聞かせていた。片思いの先輩は、思いを伝えることなく卒業していった。その後初めて付き合った男性は、「自分は本当はゲイだと思う」と告白してくれた。食い違いに混乱し、カミングアウトできずに悩む彼は、それだけが原因ではないだろうが、長年うつ病と闘っていた。若く、自分自身の性とも向き合えてなかった私は、彼の苦しみを癒やす言葉を持ち合わせていなかった。

もし私が若い頃から、SOGI やSOGIESCという考え方が世の中に浸透していたら、多少の苦しみは軽減されていたかもしれないし、苦しんでいる友や恋人を癒やせたかもしれない。男らしさ、女らしさというジェンダーロールにしっくりこなくて嫌な思いをしたり孤独感を感じたことのある人は多いだろう。しかし結局のところ私の性自認は生まれ持った身体と一致することで、苦労は人並みだったと思う。もしあなたも私と同じシスジェンダーであるなら、自分のSOGIが社会の決めた「あるべき形」に当てはまらなかったら?と想像力を広げてみよう。

毎日袖を通す制服に違和感、男女別のトイレに行く度に違和感、「ちゃん」や「くん」の呼称をつけて呼ばれるたびに違和感。きっと挙げきれない違和感と窮屈さが日常にあるだろう。周りの理解がなければ、多数派に属せない自分が悪いのだと自責してしまう人も少なくないかもしれない。

私は最終的にシスジェンダーの男性と結婚した。いまさら自分の性的指向が、男性であり女性でもあり得ると公言する意味はあるのだろうか?自分は当事者ではない、バイセクシュアルとは呼べきれないかもしれない、と一歩引いてしまう気持ちも沸き起こるが、そもそも私たち人間は多彩な個性にあふれているわけだから、たったふたつに分類しようという考え方が無理難題だし、こうして理解や自分の性の在り方を公言することで、アライシップ(社会から差別・抑圧・疎外されてきた少数派などに対する支援)を表明することも大事だと感じるようになった。大切なのは、この「すべての性はグラデーションだ」という考え方が浸透し、人々が生きやすくなる社会を作ることである。

最近では自民党が「差別は許されない」という一文がLGBT法案に加わることで難色を示し、見送るということがあった。ほかにも自民党議員たちの古臭い差別的発言が目立っている。

性に対してのアンコンシャスバイアスは、自民党議員だけでなくすべての人々の中に存在する。まず自分のそれに気付き、その凝り固まったしがらみから自身をリリースしてあげよう。従来のシステムから変化することで、良からぬことが起きると危惧する人がいるが、他人の動向を心配するより、まず自分のバイアスに気付くことが変化を生む上で大切なプロセスだと思う。

最近ヨーロッパでは女子生徒の制服を着て登校する男子生徒や、ハイヒールを履いて出勤する男性なんかもニュースで見かける。これは「Expression=表現する性」であり、好きになる相手の性(SO)とは関係がない。アメリカでは先日、娘のいる90歳の男性が、自分はゲイだと初めてカミングアウトし、多くの人々に勇気を与えた。日本もいつからかランドセルに赤と黒以外のバリエーションが生まれ、男女を問わない「さん」という呼称を使うように指導している学校も多くなった。性の多様性がどんどん認識されていくのは、私たちが進化しているというより、本来あるべき姿に近づいていっているのではないだろうか。

相手や自分のSOGIESCがなんであれ、堂々と愛し合い、婚姻を結び、平等な保証を受けられる国が増えてきている。私たちの意識が変われば、日本の法律もきっと近い将来変わるだろうし、学校や会社などで集団行動を求められる場合でも、誰かを傷つけたり、自分を責めたり、窮屈な思いをする人が減っていくだろうと切望している。

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インスタライブにも呼んでもらったまあやんのアカウントは本当に学ぶことが多くておすすめ。

 

 

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