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シャラ ラジマ「オフレコの物語」vol.1 身に染みていく装い。前編

  • 2021.6.23

バングラデシュにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。

はじめまして、私の名前はシャララジマ。

褐色の肌に金髪、青い目という容姿でモデル活動をしている。バングラデシュにルーツを持つ私は、90年代の日本で生まれ、幼い頃に親の仕事の関係で東京に移住し、下町の方で育った。ネイティブは日本語で、他に母国語と英語を話すことができるが、読み書きまで完璧にこなせるのは日本語だけだ。日本人ばかりに囲まれて育った私は、鏡を見ると「あ、外国人がいる」とびっくりするほど自分の存在の違いに慣れていなかった。

高校を卒業し、学校の外の世界と触れる機会が増えてくると、「アイデンティティは日本とバングラデシュどっちなの?」と聞かれることが多くなった。すでに自分でもどこの人なのかわからなくなっていた私は、それを逆手に取り、髪を金髪に染め、青のカラーコンタクトをした。どこの人か分からない容姿にしてしまえば面白いかもと思い、この容姿を作り上げ、それが結果的に今の仕事をはじめるきっかけとなった。私はこのスタイルをファッションとしてはじめたわけではなく、人種の枠組みを無効化させるようなボーダーレスなイメージを表現する手法としてはじめ、コンセプトを込めてモデル活動をしている。

私が自分の身なりに興味を持ったのは最近で、それこそモデルという洋服を着る仕事をはじめてからだ。それまでの私の興味は常に見た目以外のことにあって、小さい頃は国家のスパイか天才ハッカーになりたいと思っていたし、思春期になっても可愛くなっていく女の子たちを横目に美しいなと思いながらも、ほとんど自分の身なりを意識することがなかった。

意識することがあるとすれば、TPOを意識して利便性を考えた服装はしていたが、服は私にとってほとんど温度調節以上の意味を持っていなかった。生まれたてのターザンのような状態で育ち、自我の芽生えも遅かった私は、好きな子に可愛く見てもらうために服装を研究したこともなければ、ましてや「おしゃれする」なんていうのはセンスやお金がたくさんある人がするもので、私とは程遠い世界の話だと思っていた。

トップスとパンツを履けばどうにかなるものの、どんな色を組み合わせれば成立するのかは考え付かなかったし、服には様々なシルエットがあることも、おしゃれな洋服がどこに行けば見つかるのかも知らなかった。いま振り返りながら想像してみても、おしゃれをする権利があるのはどんな人だろうと感じたり、なんとなく「おしゃれ」というワードに近づけない気持ちだったり、洋服や装いに対して私と似たような感覚を持っていた人は多かったのではないだろうか?

そんな私は特殊な経緯でこういう仕事を始めて、自分では考えもしなかったところから服と関わることになった。いつも人より構造や、物事の中身を重視してしまう頭でっかちな私にファッションはまず肩の力を抜くことを教えてくれた。表象や形の認識に偏りがあった私は、構造と同じほどに様式に宿る美しさとその重要性を学んだ。思い返せば世の中は表象に傾いていたにも関わらず、私は形から入ることは良くないことだと決めつけていた。

フェミニンなブラウスも着るように。これは〈シモーネ ロシャ〉のもの。

はじめは洋服を着る仕事は人形になることだと類推していたが、洋服はその人のアティチュードまで変え、拡張するような目に見えない力を持っていた。おしゃれに疎かった私は仕事の中での実務的な経験を通して、少しずつ服への先入観がなくなっていった。自分に似合うと想像もしなかった服を着ると意外にも馴染んで、「似合う」という固定概念が少しずつ変わっていった。

たとえば私の場合、シャープな顔つき通り「かっこいい」イメージの洋服、黒や青色が一番良いだろうと思っていたが、〈ミキオサカベ〉や〈Jennyfax〉などのブランドと仕事をした時に初めて、フェミニンなシルエットやピンクや淡いブルーなどの色を着た。一見した自分のイメージに寄り添ったもの以外にも、顔のイメージに反してあえて想像しないようなフェミニンなものを着ることで、絶妙なギャップを纏った似合い方が存在することを知った。むしろ似合うかどうかを越えて、何をどんなバランスで組み立てるか、圧倒的に可愛い服を自分で「着る」ことによってそれを成立させていく感覚があった。服には利便性以上の、どんな人でも自分のスタンスを提示する役割があることを体感し、感動した。新しい洋服を着れば着るほど、それを成立させる範囲を拡張していくことは、私とブランドとが一緒に組み上げ、お互いに近づいてたまには離れながら、意外にも相互作用によって完成させるとても身体性のある行為だと知った。

後編では仕事で得た感覚を、プライベートの中でどういう風に活用していったか、その体験を詳しくお話しする。

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