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『ヴィンチェンツォ』『模範タクシー』『ロースクール』 韓国の“私的復讐ドラマ”がアツい

  • 2021.6.22
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『模範タクシー(原題)』(c)SBS

犯罪者や悪党を法律ではなく私的に処罰を与えるドラマや映画が同時期に制作されている。これらは“ヴィジランテ映画(自警団映画)”と呼ばれ、1970年代には『ダーティハリー』(1971年、ドン・シーゲル監督)や『タクシードライバー』(1976年、マーティン・スコセッシ監督)といった名作が生まれている。一方韓国では、ヴィジランテものを“サイダー”(スカッとするに由来)と呼び、2月から『ヴィンチェンツォ』(Netflix)が、そして4月から『模範タクシー』(日本では7月11日よりKNTVで放送)といった私的復讐ドラマが相次いで放送され高視聴率を記録している。韓国ドラマの2作品は、様々な事由により刑事罰が与えられなかったか、罪状に対して処罰が軽い罪人を私的に処罰する。さらに、その2作のカウンターになるようなドラマ『ロースクール』(Netflix)が6月まで放送されていた。これらの作品が他国で作られた復讐をテーマにした作品と異なるのは、公権力と司法、そして報道機関の責務に真正面から挑んでいるところだ。

『ヴィンチェンツォ』の主人公、ヴィンチェンツォ・カサノ(ソン・ジュンギ)はイタリアマフィアのコンシリエーレだが、商業ビルに隠した金塊を手に入れるために生まれ故郷の韓国に戻る。そこで出会った弁護士のチャヨン(チョン・ヨビン)と共に、コングロマリット企業CEOと顧問弁護士たちに立ち向かう。チャヨンの父は人権派弁護士で、困窮した人々が最後に掴む“藁”になるために手を尽くしていた。だが彼は、現行の法律では悪を懲らしめることはできないと実感していて「悪魔を追い出すのは悪魔だ。いつか本物の怪物に、法など関係なく悪党を追い払ってほしい」とカサノに言い残す。マフィア仕込みの悪党の中の悪党・カサノは、正義ではなく彼のルールに則り、不利益を与えた相手を無慈悲に処罰していく。相棒のチャヨンも「(悪行を働く)怪物を罰する法律はない。だから最悪より少しマシな方法を選んだ」と、法曹の身でありながらも私的復讐を支持する。『ヴィンチェンツォ』の物語は、夜のソウルの街を背景に「俺は相変わらず悪党で、正義には興味がない。正義は軟弱でうつろで、悪は強く果てしないものだ」というモノローグで締められる。このラストからは現状に対する制作陣の強烈な怒りが感じられ、エンタメ作品でありながらポリティカル・コレクトネスに怯むことなく初志貫徹した姿勢に拍手を贈りたい。

5月末に韓国での放送が終了したばかりの『模範タクシー』は、タクシー会社ムジゲ運輸が舞台。一見普通のタクシー会社だが、被害者からの依頼を受けて法で裁けない悪人の復讐を代行する“模範タクシー(一般タクシーよりも車体・サービスともに高級なタクシー)”に様変わりする。犯罪者や容疑者が突如姿を消す事態に疑念を抱く検事のハナ(7月公開の『サムジンカンパニー1995』のイ・ソム)は、模範タクシー運転手のドギ(イ・ジェフン)らムジゲ運輸の捜査を始める。猪突猛進型で正義感の強いハナ検事は「推定無罪の法則、100人の罪人を逃したとしてもたった一人の冤罪者も出してはならない」を標榜していたが、事件が起きるたびに揺らぎ、司法の矛盾を疑うようになる。復讐を主題とした物語は特に目新しいものではない。本作もパク・チャヌク監督の復讐3部作、『復讐者に憐れみを』(2002年) 、『オールド・ボーイ』(2003年)、『親切なクムジャさん』(2005年)がインスピレーション源となり、ある役のキャスティングにそれが現れている。だが、今作も『ヴィンチェンツォ』同様に公権力・法曹界の癒着と報道機関の忖度、情状酌量や公訴時効など司法の限界が怒りの源流となっている。復讐代行サービス・ムジゲ運輸には、新約聖書(ローマ書21節12章)の「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」の書が飾られている。殺伐としたこの世だが、竹のように真っ直ぐな善行と、雑草のようにしなやかな心でなんとしても持ち堪えるしかない、と。「暴力は暴力を呼び、復讐は復讐を呼ぶ」という最終話のテーマも、悪で悪を征することを選んだ『ヴィンチェンツォ』とは異なるメッセージを伝えている。また、制作者はドキュメンタリー畑出身で、ウェブトゥーンが原作にあるものの、例えば日本でも報道された「n番部屋事件」のような実在の事件を忠実に再現。15話のボーナス映像は、ドラマで描かれていることが絵空事ではないことを突きつける。エンドクレジット前には被害者に向けたメッセージと相談窓口が示され、社会問題と密接に結びついたドラマが人気を博すところにも現代性が現れている。

財閥や大企業と公権力の癒着と悪行は韓国ドラマの定番テーマで、多くのドラマで描かれている。韓国において検察が覇権を握る現状と議論については、ドラマ『秘密の森』(Netflix)が詳しい。国家公権力に対する国民の不信感や、万人に対し平等ではない法の弱点については韓国に限らずどの国でも問題になっていて、日本でも思い当たる節があるだろう。アメリカの例をとっても、法執行機関の腐敗と様々なヘイトクライムの勃発で人権意識と主権意識が高まっているのに対し、法の枠組の中だけでは対処しきれていない現状がある。この流れは映画やドラマでも同様に起きていて、2019年にはレジーナ・キングが覆面警察官を演じるヴィジランテものドラマシリーズ『ウォッチメン』が作られている。映画でも、第93回アカデミー賞で脚本賞を受賞した『プロミシング・ヤング・ウーマン』(7月16日日本公開)、そしてアメリカでは5月にマッツ・ミケルセン主演のデンマーク映画『Riders of Justice(英題)』が公開された。どちらも、悲劇に見舞われた主人公が強い衝動に駆られて私的復讐を執行する物語だ。ヴィジランテ映画やドラマの中で描かれるエクストリームな制裁は、プロテストやデモ(の無力さを含め)が示す主権意識がより強力な形に変化したものなのではないだろうか。

このブームにひとつのカウンターを突きつけるのが、6月9日に韓国で放送終了したばかりの『ロースクール』(Netflix)だ。名門法科大学院の学生と、元検事でソクラテス式問答法を授業に取り入れるヤン教授(あだ名はヤンクラテス)が、大学構内で起きたいくつかの事件を、法曹を目指すものたちの実践演習のように謎解いていく。ミステリーとしての綿密な脚本と演出、そしてハーバード・ロースクールを舞台にした『ペーパーチェイス』(1973年)の現代版というような法曹教育現場が組み合わさった秀逸なシリーズだ。ドラマ内で議論される法律の中には、『模範タクシー』でもテーマになっている推定無罪の法則があり、これを疎む「(推定無罪は)99人の犯人の被害者のことを考えていない。検事は涙をのむ人を1人も出してはいけない」という教授のセリフがある。そして、『ヴィンチェンツォ』の弁護士事務所名“藁”(依頼人が最後に掴むものが由来)も、完全なる正義の元では公権力など非力化できることを表す比喩として使われる。放送順では最後になった『ロースクール』の制作がどの程度まで進んでいたのかはわからないが、クリエイターがお互いを意識していたのは明らかだろう。『ロースクール』の学生も教授も、ことあるごとに正義の女神テミス像(剣と天秤を両手に持つ、司法・裁判の公正さを象徴する像)の前で「法は正義なのか?」「法が見極める真実とは?」と苦悩し、心を新たにする。ヤンクラテス教授は「法を教える時、法は完全でなくてはならない。法を学ぶ時、法は正義でなくてはならない。正義でもない法は、最も残忍な暴力だ」と言う。法そのものは不安定な存在だが、正義と真実の究明は法を扱う者の矜持にかかっている。そして未来の法曹たちにそれを根付かせることこそが、無法地帯となってしまった現在を軌道修正する唯一の“合法な”道となる。

映画やドラマを含むあらゆる創造物は、時代の空気と無関係ではいられない。数年前、様々な国から雨後の筍のように現れた“分断・格差社会”をテーマにした作品群の次は、法と正義のあり方を問うものになるかもしれない。世界中が注目する韓国映像界からそれを象徴するような3作品が同時期に作られたのは、偶然ではないのだろう。(平井伊都子)

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