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東京都内で富士登山? 駒込にある前方後円墳「駒込富士」とは

  • 2021.6.17
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都内に数十ある「ミニ富士山」。そんななかでも、文京区本駒込にある駒込富士を取り上げ、歴史に迫ります。解説してくれるのは、フリーライターで古道研究家の荻窪圭さんです。

都内に数十ある「ミニ富士山」

毎年7月1日は富士山の山開きの日。でもおいそれと登れるわけじゃないし、そもそも新型コロナ禍で入山できるかどうかもあやしい今日この頃(2020年は山開きしませんでした)。そんなときは都内の富士山に目を向けてみるのも一興です。

実は江戸から明治までにかけて作られた人工のミニ富士山が東京にいくつも残っているのです。直接富士山へ行けない分、近くに遙拝(ようはい)所を作って参拝したのですね。江戸時代らしい工夫です。

ミニ富士山(富士塚といいます)を作ったのは、富士講という富士信仰の集団。江戸時代後期に富士信仰が流行し、各地に富士講ができ、富士塚が作られたのです。

明治以降に壊されてしまった富士塚もありますが、残っているだけでも

・千住神社(足立区千住宮元町)にある千住富士・千住大川町にある富士塚・護国寺(文京区大塚)にある音羽富士塚・成子天神社(新宿区西新宿)にある富士塚・鬼王稲荷神社(同区歌舞伎町)の富士塚・十条富士(北区中十条、道路拡幅によって移設工事中)

などなど大小を合わせると数十はあります。

今回紹介する富士塚は文京区本駒込に

数年前、とある雑誌で東京の富士塚ベスト3を選んでくれと依頼されたことがあります。

私(荻窪圭、フリーライター)が選んだのは、

・鳩森八幡神社(渋谷区千駄ヶ谷)にある千駄ヶ谷富士・富士神社(文京区本駒込)にある駒込富士・品川神社(品川区北品川)にある品川富士

でした。

どれも十分な高さを持ち、富士山らしさを持つ立派な富士塚なのでおすすめですが、その中で今回紹介するのは富士神社の駒込富士。何はともあれ行ってみましょう。

正面から見た駒込富士神社。まっすぐ頂上の社殿に向かう階段があり、両脇に江戸時代の石碑が多く残されている(画像:荻窪圭)

駒込富士があるのは文京区本駒込。本郷通り(江戸時代は岩槻街道、あるいは日光御成道〈おなりみち〉)沿い。

街道から少し東へ入ると一の鳥居。そこからまっすぐ続く参道の奥にこんもりした丸い山があり、中央に山頂へまっすぐ上る急な階段があり、ときどき振り返りながら上ると登山感がちょっとあってたまりません。

平らな頂上には立派な社殿が鎮座。富士塚のてっぺんにしてはあまりに広く感じます。

ちょっと異色な駒込富士

実はここ、富士塚としてはちょっと異色の存在。

富士塚は基本的に富士信仰の集団(富士講)が土を盛って人工の山を作り、富士山から運んできた溶岩で固めた築山が主流ですが、駒込富士神社はもともとあった塚を富士塚としたもの。

もともとあった塚とはなにかというと、古墳。丸っこい古墳を富士山に見たてたのですね。

実は前方後円墳と考えられており、斜めから撮った写真を見ると、「後円」部が富士塚で、そこから少し下がったところが「前方」部といわれると、確かにそんな気がします。

少し斜めから見た富士神社。右手に少し高くなっているところがあり、前方後円墳の「前方部」だと思われる。こちらからでも参拝可能だ(画像:荻窪圭)

駒込富士は実は前方後円墳だった、と思うと感慨深いものがあります。しかも墳頂に登れる古墳です。

駒込富士ができた経緯

ここに富士神社(冨士浅間神社)が鎮座したのは、江戸時代初期の1628(寛永5)年。もともと、戦国時代の1573(天正元)年に今の東京大学(文京区本郷)の南端あたりに勧請(かんじょう)されたのですが、そこが加賀前田家の上屋敷の敷地となったため、現在地に遷座したものです。

では、それまでこの古墳には何もなかったのかというと、そうではなさそうです。

富士神社の麓には「創建 足利時代延文年間」と書かれた碑があります。延文というのは1356~1361年。室町時代初期、というか南北朝時代ですね。

麓の「富士神社」の碑には「創建 足利時代 延文年間」と書かれている(画像:荻窪圭)

まとめますと、かつて前方後円墳であったが、南北朝時代にはその円墳部が富士塚として祭られ(墳頂から富士山がきれいに見えたことでしょう)、江戸時代のはじめに近くにあった冨士浅間神社が移ってきたというわけで、非常に長い歴史を持つ富士塚なのです。 そして周囲が(おそらくは)富士山の溶岩で彩られ、各富士講が奉納した石碑が並び、富士塚らしい景観が造成されていったのです。

中には加州と大きく書かれた碑もありますが、これはカリフォルニア州ではなく(当たり前ですね)、加賀国のこと。冨士浅間神社の元の場所が加賀藩の上屋敷だったことと関係あるのでしょう。

富士塚近くのエリアも魅力的

急階段で墳頂に上って参拝したあとは、そのまま踵(きびす)を返すのではなく、社殿右手を経由するルートがおすすめ。階段がなだらかだからですね(年を取ると急階段は上るより下る方が危険ですし)。

なぜそちらがなだらかかというと、前方後円墳の「前方」部(たぶん)を経由するからです。駒込富士神社はその山の形もきれいですし、古墳・富士塚・浅間神社とすべて味わえるという歴史の古さが魅力なのです。

しかも、駒込は非常に歴史ある土地で、近くには江戸時代の大名庭園だった六義園(りくぎえん)も、源頼朝創建という駒込天祖神社も、吉祥寺(以上、文京区本駒込)もあります。

吉祥寺といっても井の頭公園(武蔵野市御殿山)の最寄り駅であり駅前が栄えている吉祥寺駅でありません。吉祥寺という大きな曹洞(そうとう)宗のお寺です。

近くにある吉祥寺に安置された大仏。曹洞宗の大きなお寺で、江戸時代から枝垂(しだ)れ桜で有名だった(画像:荻窪圭)

もともと今の水道橋近くにあったのですが、江戸時代前期の大火後、その一帯が火よけ地として使われることになったため、お寺は駒込へ、門前に住んでいた人たちは武蔵野へ移住して新田開発へ、と分かれてしまったのがはじまり。武蔵野市の吉祥寺駅の吉祥寺は駒込にあったのですね。

さて話はもどって富士塚。

今回は駒込富士を紹介しましたが、東京には江戸から明治期に作られた富士塚がいくつも残っていて、中には墳頂まで登れるところや、7月1日の山開きの日だけ公開されるところもありますから、身近に富士塚があったらぜひミニ富士登山と参拝を。

荻窪圭(フリーライター、古道研究家)

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