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大隈重信が政敵「山縣有朋」から見下ろされる低い土地に邸宅を構えた理由

  • 2021.6.17
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政敵同士だった山縣有朋と大隈重信。そんなふたりの自宅は近い距離にあり、山縣は丘上、大隈は丘下に住んでいました。いったいなぜでしょうか。地形散歩ライターの内田宗治さんが解説します。

水と油どうしの有朋・大隈

自分の家が、仕事上で敵対するライバルの家から見下ろされる場所にあったら、あなたはどんな気持ちがするでしょうか。例えばライバルの家が、近くの眺めのいい丘の上にある、といった位置関係です。見下ろされる側は、敵意が増してきそうな気もします。

こうした状況が、超大物政治家同士で現実にありました。第3・9代総理大臣の山縣有朋と第8・17代総理大臣大隈重信の関係です。それぞれの邸宅は300mほどしか離れていず、山縣邸が大隈邸を眼下にします。

現在では、かつての山縣邸が椿山荘(文京区関口)、大隈邸が大隈庭園(新宿区戸塚町)になっていて、敷地に入ることができるのも、興味をさらに深くさせてくれます。

緑に包まれた椿山荘周辺と神田川。2021年3月撮影(画像:内田宗治)

このふたりは同じ年の1838(天保9)年生まれで、ともに幕末に尊皇派として頭角を現します。山縣は長州藩(山口県)出身、明治時代半ば以降は薩長(さっちょう)藩閥の最高クラスの実力者で、「陸軍の法王」とも呼ばれています。

一方大隈は佐賀藩(佐賀県)出身、打倒藩閥政治をうたい文句に立憲改進党などをつくった政党政治家です。まさに水と油、政敵同士のわけです。

山縣が注目した椿山荘付近の地形

この付近の地形を見てみましょう。

東西に神田川が流れ、それに並行して北側に目白台、小日向台などと呼ばれる丘が続きます。

椿山荘周辺の地形(画像:国土地理院)

山縣は1877(明治10)年の西南戦争において、初代陸軍卿として西郷隆盛の軍勢と戦います。それに勝利した翌年、目白台の地に遊んだ際、現在の椿山荘付近の地形が、周囲と異なった興趣があるとして気に入ります。

山縣は無類の作庭好きで、京都別邸として無鄰菴(むりんあん)など主なものだけでも八つの邸宅と庭園をつくっています。例えば無鄰菴は、京都東山を借景として、琵琶湖疎水の水を取り入れた庭園をつくるなど、土地の目利きとして選び抜いた場所につくっています。

そうした大権力者の山縣が、自分の本邸にふさわしい地形として選んだのが椿山荘の地のわけです。古くからつばきが自生していたので椿山荘と名付けました。

地形の特徴とは

この一帯の地形の特徴的な点を列挙してみます。

・目白台付近の丘は、日当たりのいい南向き斜面が神田川を見下ろす形で続きます・神田川は、都心近くを流れる川としては、幅の広い谷が続きます。対岸の丘まで距離があり、眺めがいいわけです。・椿山荘の地は、神田川沿いの丘でも極めて複雑な地形をしています。すぐ上流で神田川は丘の直下へと曲がり、高低差の激しい地形となっています。また椿山荘の中には湧水ポイントがあり、そこからの流れが竹裏渓と名付けられたミニ渓谷となって神田川へと注ぎます。それらにより同地は今でも深山幽谷の風情を残しています

こうした地形に山縣が一目ぼれしたのもうなずけます。

椿山荘の庭園 丘の上には三重塔が立つ。2012年10月撮影(画像:内田宗治)

山縣が椿山荘の土地を購入してから10年後の1887(明治20)年、大隈が神田川の対岸の丘下へと引っ越してきます。大隈が創立した早稲田大学(新宿区戸塚町)の大隈講堂の隣に現在大隈庭園がありますが、ここが当時の大隈邸です。なぜいわく付きの丘下を選んで居を構えたのでしょうか。

故郷・佐賀に似た早稲田の風景

ここから先は、文献で確認できたわけではないので、「歴史学」ではなく、地形に目を向けて推理しながらの「散歩の楽しみ」の視点で読んでいただければと思います。

明治時代前期の地図を見ていて、あることに気づきました。

明治初期の地図。大隈邸周辺の様子(画像:国土地理院)

大隈邸周辺には現在の新宿歌舞伎町付近を源流とする蟹川という小川が流れていました。大隈邸付近ではさまざまに枝分かれし周囲の水田を潤していました。

その様子が、佐賀県佐賀市の大隈重信生家を訪ねた時に見た土地の姿と、とてもよく似ているのです。

佐賀城・早稲田大学の地形の相似

生家周辺にもクリーク(小運河)が網の目のように張り巡らされています。さらにいえば、生家から見た佐賀城の地形が、東京の大隈邸(大隈庭園)から見た早稲田大学の地形とこれもよく似ているのです。

生家や大隈庭園から見た佐賀城や早稲田大学は、いずれも西側の標高がやや高くなった所にあります。大隈は大隈庭園の地を自邸とすることで、自分が創立した早稲田大学(当時の名称は東京専門学校)を郷里の佐賀城に見立てたように思えてきます。

大隈庭園。2019年4月撮影(画像:内田宗治)

こうした気持ちが事実なら、山縣から見下ろされる土地であろうと、たいした問題ではない気もしてきます。

総理大臣の邸宅跡と土地の高低差

椿山荘周辺の目白台には、第64・65代総理の旧田中角栄邸(日本女子大学と目白通りをはさんだ向かい側)、東側の小日向台には第52・53・54代総理の鳩山一郎が建て、その孫の第93代総理の鳩山由紀夫ゆかりの鳩山会館(文京区音羽)があります。

また散策に最もうってつけの場所として、椿山荘西隣に肥後細川庭園(同区目白台)が広がっています。江戸時代細川家の抱え屋敷だった所で、第79代総理の細川護熙ゆかりの地ともいえます。

肥後細川庭園。2019年4月撮影(画像:内田宗治)

総理大臣の邸宅跡を訪ね歩く散歩は、丘の上と下を行き交うことになるのも、示唆に富みます。

大隈庭園(休園日あり)と肥後細川庭園は一般公開(入園無料)、また当面の間、椿山荘庭園の入園は、ホテル椿山荘東京の営業施設利用者に限っています。

内田宗治(旅行ジャーナリスト、地形散歩ライター)

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