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適応障害で休職した30代女性の「実録3か月」 最後に選んだのは復職か、退職か?

  • 2021.6.14
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女優の深田恭子さんが診断されたことで社会の注目を集めた「適応障害」。仕事のストレスから経験する社会人も決して少なくありません。もしも自分が「適応障害」になり、会社を休職することになったら、いったい何が起きるのか? 東京都内の会社に勤めていた30代女性・B子さんの体験をリポートします。

「誰でもなりうる」適応障害

2021年5月26日(水)、人気女優の深田恭子さん(38歳)が「適応障害」と診断され当面の間、休養すると発表しました。

厚生労働省が運営する健康情報サイト「e-ヘルスネット」によると適応障害とは、日常生活の中で、何かのストレスが原因となって心身のバランスが崩れて社会生活に支障が生じたもの。また、仕事や学業などを続けたり、対人関係や社会生活を続けたりすることに問題のある状態。

同月27日付の「朝日新聞デジタル」は、専門医の見解として「誰でもなりうる」「本人は悩んでつらい状態にあるということを理解してほしい」と解説していました。

休職という決断の難しさ

誰でもなりうる。その言葉の通り、社会人として日々働いていると自分の職場などでも同僚が心身を崩して会社を休む場面に出合うことがあります。

深キョンに対してファンや俳優仲間からいたわりのコメントが寄せられたのと同じように、職場でも「今はゆっくり休んでね」「戻ってくるのを待っているよ」といった声が周囲から掛けられていることでしょう。

しかし、もしも自分自身が適応障害にかかり、休職するか否かの判断を迫られたら?

職場でのストレスが原因で休職を経験したB子さんの「3か月間」とは(画像:写真AC)

自分の業務に穴を開けることで、会社の売り上げを落としてしまうのではないか。ただでさえ忙しい部署なので、周囲に過大な負担を掛けてしまうのではないか。同僚たちから白い目で見られ、2度と職場に復帰できないのではないか――。

そうした懸念から休職を申し出ることに躊躇(ちゅうちょ)し、症状をさらに悪化させてしまう人も少なくありません。

それでは実際に会社を休職すると、いったい何が起こるのか? 東京都内で働いていた30代女性・B子さんの「3か月間」の体験を紹介します。

慣れない部署で、上司からの叱責

B子さんが勤めていたのは新宿区内にある中堅会社。業界内では比較的歴史があり、業績も安定していました。

2年ほど前の異動で初めての部署に着任していたB子さん。新たな事業の企画書を取りまとめる担当になりましたが、業務の勝手をなかなか飲み込めず苦労の日々が始まります。

自身が作成した書面に上司のOKが出ないのです。何度書き直しても突き返されてしまう。どこをどう修正すればいいのか、具体的な指示をもらえずやみくもにやり直してもまた差し戻されてしまう。

同僚や部下の前で怒鳴りつけられることもあり、言いようのない惨めさが積もっていきます。異動の半年後頃から自宅マンション近くの心療内科に通い、抗うつ薬の処方を受け始めました。

次第にストレスがたまっていき、抗うつ薬を服用するように(画像:写真AC)

蓄積していたストレスの重さを明確に自覚したのは、異動から1年半ほどたった頃。残業が続き、心も体もヘトヘトになっていました。

自分ひとりだけ毎日22時過ぎまで残っているのは、要領が悪いからなのだろうか。私以外の社員は皆なぜ仕事中も楽しそうに笑っていられるのだろうか。一向に仕事が進まない私を見て、同僚も部下も内心バカにしているのではないだろうか――。

「今振り返れば、かなり精神的に追い込まれていたと思います。部署内で同僚同士の笑い声が聞こえてくるだけでイライラしましたし、もっといえば『うるさい! 静かにしろ!』と今にも叫び出しそうな衝動を常に抱えていました。割と穏やかな性格のつもりだったので、そんな凶暴性が自分の中にあることを知って余計にショックでした」(B子さん)

B子さんは徐々に、出社することに耐えがたい苦痛を感じるようになります。通院のために午前休を取ったり、朝どうしても起き上がれず有休を取得したりが1~2か月ほど続きました。

自分が“おかしく”なっていることは、すでに同僚たちにもバレてしまっているだろう。そう思うと、自分を奮い立たせる気力がなえていくのが分かりました。

医師から「適応障害」の診断を受けたのもこの頃です。それでも、上司や同僚に「逃げた」と思われるのが恥ずかしくてたまらず、診断書を会社に提出できないまま1週間、2週間と過ぎていきました。

「会社を休む」と決めた日

その日は朝から冷たい雨が降っていました。B子さんはグズグズと身支度をして家を出ました。定時の出社に間に合うためには、徒歩10分の最寄り駅まで早歩きで向かわなくてはなりません。

パンプスをぬらしながら駅前のロータリーまで到着したとき、その足はふいに止まってしまいました。そして改札へ続く階段を上らず、そのまま線路の高架下をくぐって自宅とは反対の方向へ歩き出していました。

「全く関係ないのですが、その通りを行った先の住宅地で、何か月か前に通り魔事件が発生していました。亡くなった人もいたそうです。その現場に行ってみようと、なぜか突然思い立ったのです」

「会社を休む」ことを決めたのは、冷たい雨の降る朝だった(画像:写真AC)

着いた先の路地には、献花の花束がまだいくつか置かれていました。「どうか安らかに」というメッセージカードは、雨で文字がにじんでいました。

「それを見たとき唐突に、ああ自分はもう会社に行けないと思いました。なぜそう思ったのかは、うまく説明できないのですが」

同じ部署で話す機会の多かった先輩の女性に「申し訳ありません。もう会社に行かれそうもありません。本当に申し訳ありません」とメールを送り、そのままスマートフォンの電源を切って、来た道を家まで戻りました。

B子さんの3か月にわたる休職生活の始まりでした。

休職決定後の会社の対応は

3か月というのは、医師からの診断書に書かれた静養を必要とする期間です。

実際には診断書が出されてから3週間ほど出勤を続けていたので、残る期間は2か月余り。それとは別に有給休暇が20日分ほどたまっていたので、トータル3か月ほどの休暇が可能となります。

布団をかぶってひたすら眠り、翌日昼過ぎに起き出して恐る恐るスマートフォンの電源を入れると、先輩の女性からの気にせずゆっくり休むようにという返信と、会社の総務部からいつでもよいので簡単な面談の場を設けたい旨のメールが入っていました。

総務担当者との面談は後日、B子さん宅最寄り駅近くの喫茶店で行われました。その間じゅう涙が止まらず、原因を聞かれても「全て自分が悪かった」としか言いようがありません。

診断書を提出し、「傷病手当金」の申請用紙を受け取り、またひとり自宅マンションへ帰りました。それからおよそ1か月、B子さんはほとんど布団の中で過ごします。食事を取る気になれず、体重は見る見る落ちていきました。

布団の中で考えていたこと

その間B子さんが考えていたのは、同じ職場に戻るべきか、「責任を取って」辞めるべきかということ。

業務を全うできなかった恥ずかしさから、再び会社へ出勤する自分の姿をどうしても想像できなかったといいます。しかしすでに30代。転職するにしても、20代のように選択肢が多いとは思えません。

「当時のお給料は600万円台前半で、比較的ゆとりのある生活ができていたので、手放してしまうのは怖かった。でも、また職場に戻ってつらい日々を繰り返すのはやっぱりできない。そんなことを行ったり来たり考えて、布団に横になりながら転職サイトの求人情報を眺めるようになっていました」

独身。自分自身の生活は、自分で支えるしかない――。休職1か月めの終わり頃から、転職サイトへの登録を始めました。求人検索も履歴書作成も応募も、横になったまま行いました。1週間から10日もすると、2~3社から面接のアポイントをもらえるようになりました。

「それで1か月ちょっとぶりに布団を出て、メークをしてスーツを着て面接へ行くのですが、すでに10kg近く体重が落ちてだいぶやつれていたので、着るものもブカブカ。見苦しかったと思います」

「面接では、必ず『メンタルが原因で休職中です』と正直に伝えました。もし隠したまま内定をもらえたとしても、あとあと源泉徴収票などの給与額でバレてしまうはずなので、先に言ってしまわなくてはと思いました。言うたび声が震えました」

転職活動では、休職中であったためか面接で落とされる経験もした(画像:写真AC)

ある有名な大手企業では、伝えたとたん人事担当者が表情をくもらせたのが分かったといいます。「仕方ありません。私が人事だったとしても同じ反応をしたかもしれない。その会社は1次面接で落ちてしまいましたが、その後1社から内定をもらうことができました。休職して2か月ぐらい過ぎようとしている頃でした」

内定が出たのは、設立から数年ほどのまだ若いIT関連企業。これまでのスキルが十分生かせるポジションである一方、給料は以前より2割強ほど落ちることになります。何より、新しい人間関係を築く体力が今の自分にあるのかというが一番の大きな不安でした。

内定に対する返答期限まで3日間。B子さんは考えました。そして、勤めていた会社を辞めて、新しい会社へ転職することを決めました。

転職を決めてからのこと

「私たちの世代が新卒で社会人になった頃はまだ、ひとつの会社に一生勤め上げるという考え方がどちらかといえば主流でした。だから転職は“逃げ”なのではないかとか、移った先でも使い物にならなかったら、今度こそ取り返しがつかないくらい落ち込んでしまうのではないかとか、本当にいろんなことを考えて悩みました」

結果的には、B子さんの転職は「正解だった」といいます。自分の裁量で決められることが多く、たとえその月の業績がうまく出なくても、改善に向けたプロセスを社員同士で共有する風土が築かれていました。

社員同士の関係は、よい意味でドライ。「自分はバカにされているのではないか」などという被害妄想をふくらませることも無くなりました。半期ごとの人事査定で、給与も少しずつアップしてきているといいます。

「転職して一番よかったと感じるのは、ありきたりかもしれませんが、会社にしがみつくのではなく自分個人のスキルを積んでさまざまな環境で働ける力を身に付けようと思えたことです。複数の会社に所属したことで、少し視野が広がったような気がします。以前は、上司のイエスかノーかだけが世の中の価値判断の全てのようにとらわれていましたから」

休職中、心掛けていたこと

休職中の後半、B子さんが心掛けていたこと。それは、たとえ食事がのどを通らなくても、少しの運動とお風呂を欠かさないこと。

夕方、日が暮れる前頃に外へ出て、自宅近くのウオーキングコースをゆっくり1時間、歩いていたといいます。運動をして汗をかけばお風呂に入りたくなり、お風呂に入れば体が温まって眠くなる。

体重は3か月間で15kgほど落ちましたが、体力はある程度保(たも)てていたので、仕事を再開するとまた少しずつ体重は戻っていったといいます。

「適応障害や休職に対して、世間の目はまだ厳しいかもしれませんが、本当につらいとかもう駄目だという感覚は本人にしか分かりません。たとえ休職を選んだからといって人生が全て終わってしまうなんてことは絶対ない。今もし悩んでいる人がいたら、経験者のひとりとしてそう伝えたいです」

※記事の内容は、関係者のプライバシーに配慮し一部編集、加工しています。

山嵐冬子(ライター)

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