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人種・性別・文化を超えた“相互理解”へ 更新されるドラマシリーズ『マスター・オブ・ゼロ』

  • 2021.6.12
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『マスター・オブ・ゼロ』Netflixにて配信中

アジズ・アンサリ自身を投影したドラマシリーズ『マスター・オブ・ゼロ』の最新シリーズ、「愛のモーメント」が5月23日より配信されている。第1章から第5章まで、21分から56分まで尺を変えて“あるカップルの愛の風景”を描き出す手法は、タイムテーブルやスケジュールに縛られた放送や劇場上映とは異なる配信時代ならではのものだ。アンサリは、シーズン2でも全10エピソードのうち1話だけ他のエピソードの倍近い尺を使う実験をしている。

『マスター・オブ・ゼロ』は、インド系アメリカ人コメディアン・役者として人気を博すアジズ・アンサリが、台湾系アメリカ人アラン・ヤン(脚本・制作総指揮、2020年の『タイガー・テール ―ある家族の記憶―』で監督デビュー)とともに、ニューヨークで暮し働くマイノリティたちの日常を描いたシリーズ。2015年にシーズン1、2017年にシーズン2が配信されている。デフ(アジズ・アンサリ)は映画やドラマでちょい役を貰えるくらいには成功している30代の俳優で、いつもつるんでいる仲間は台湾系のブライアン、もっさりした白人のアーノルド、黒人でレズビアンのデニース。シーズン3は、デニースを演じるリナ・ウェイスが共同で脚本を書き主演している。ウェイスは、アンサリとともに執筆した『マスター・オブ・ゼロ』シーズン2エピソード8の「サンクスギビング」でエミー賞コメディ部門脚本賞を受賞、ダニエル・カルーヤ主演の『クイーン&スリム』(2020年)の脚本でも評価を受けた。役者としても、『レディプレイヤー1』(2018年)、『ウエストワールド』(2016年~)に出演し、今ハリウッドで最も注目を集める俳優の一人だ。ちなみに、『クイーン&スリム』の監督は「サンクスギビング」を演出したメリーナ・マツーカスが務めている。

「愛のモーメント」で描かれるのは2017年のシーズン2から数年後。ニューヨーク・タイムズのベストセラーに選ばれるような人気作家となったデニースは、NY北部の瀟洒な一軒家で妻のアリシア(ナオミ・アッキー)と暮らしている。インテリア・コーディネーターを目指すアリシアのセンスで飾られた家は完璧で、ふたりの結婚生活は満ち足りたものに見える。だが、デニースとアリシアがデフと恋人(フランチェスカではない……)をディナーに招待し、植毛の是非や彼らがクイーンズのデフの両親の家で同居している話題が出た頃から状況が変化する。デニースとアリシアの夫婦間にも、結婚生活や家族計画に関するさまざまな議論が生じていた。どうしても子どもが欲しいアリシアはIVF(体外受精)クリニックの門を叩く。

シーズン1ではウディ・アレン、シーズン2では『自転車泥棒』(1948年、ヴィットリオ・デ・シーカ監督)に代表されるイタリア・ネオレアリズモ、そしてシーズン3はタイトルや第1章のデニースとアリシアのベッドでの会話シーンの撮り方からも明らかなように、イングマール・ベルイマンの『ある結婚の風景』(1974年)がモチーフとなっている。ウディ・アレンは熱狂的なベルイマンのファンとして知られ、2012年に英国の映画誌「Sight and Sound」のために選出したオールタイムベスト10作品に『自転車泥棒』を挙げているので、アンサリ演出の変遷は当然のなり行きだろう。

画面アスペクト比も、シーズン1と1はシネマスコープ(2.35:1)だったのが、シーズン3ではドラマシリーズとして撮られた『ある結婚の風景』と同じ3:4のスタンダードサイズを採用、全編がフィルムで撮影されている。今やシネマスコープや16:9のワイドサイズで撮られたドラマを見慣れてしまった視聴者としては、3:4の画角の狭さを少し窮屈に感じる。そしてこの閉塞感が、2021年にこのドラマが配信された理由とも取れる。

「愛のモーメント」のテーマは家だ。デニースとアリシアのアンティーク家具で装飾された完璧な家。クイーンズの両親の家での暮らしが予見する、デフと恋人の未来。第5章、デニースとアリシアの小旅行の目的地。アンサリとウェイスが脚本を書いていたのは2019年で、2020年春にロンドンで撮影を開始する予定だったが、世界を襲ったパンデミックにより撮影を半年遅らせている。その半年間、世界中の人々は家に籠もる生活を余儀なくされた。心と体をやすめる場所のはずの家が、突如として地獄や戦場と化した家庭もあるだろう。デニースとアリシアの居心地の良い家も、ふたりの関係の変化によって全く違う場所になっていく。ふたりを映すカメラは引いているのに、画角は息が詰まりそうな空間を演出する。

全編で監督を務めたアンサリが出演するのは数シーンのみ。第1章でデフは、順調にキャリアと家庭を築くデニースに「以前はよかった。NYを走り回り、好きなことをして、毎日楽しく過ごしていた。自分が恵まれてたと、今頃気づいた」と言う。パンデミックの在宅期間中、世界中の人が同じことを感じていたように。そしてこのセリフは、2017年のインタビューでアンサリが語っていたことにつながっている。「シーズン3をやれるかどうかはわからない。個人的には、結婚したり子どもを持ったり、別人にならないとこの先の脚本を書けないんじゃないかと思っている。NYで食べ歩くばかりのシングルの若者について語れることは、もうないんだ」。言うなれば、クリエイティブにおける閉塞感、ライターズ・ブロックにぶつかっていたアンサリは、友人が同性カップルの精子ドナーになった話を聞いて、以前から考えていたデニースの物語を膨らませることを思いついたという。シーズン2から4年、アンサリは結婚したり子どもを持つことはなかったが、デニース(リナ・ウェイス)のキャラクターを深く構築することによって、社会的マイノリティが直面するおよそ平等とは程遠い現実を知る。デニースとアリシアの夫婦が抱える問題はベルイマンが1974年に『ある結婚の風景』で描いたものと何ら違わないのに、2021年の今も彼らは限られた権利しか享受できていない。TVモニターのサイズは大きくなっているのに、スタンダードサイズの狭い画角の中に閉じ込められたカップルのように。短いシーンだが、デフとデニースの会話には裁きや憂いは一切なく、フラットな一対一の人間同士のものとして描かれている。アンサリは、『マスター・オブ・ゼロ』のオーディションで出会ったウェイスが「サンクスギビング」の元となったエピソードを語った際に脚本を書くことを勧めている。その後のウェイスの成功も含め、ふたりの間に友情が確実に育っていたことがシーズン3のきっかけになったのだろう。

2017年のシーズン2配信後、アンサリは辛酸を舐めることになった。デートの相手からセクハラ疑惑で糾弾され、まさにシーズン2の最終話のグルメ番組のパートナーのようなことになってしまった。その後、友人のシェフ、デイビッド・チャンがホストの食ドキュメンタリー・シリーズ『アグリー・デリシャス』シーズン1のエピソード1「最高のピザとは」で中目黒の聖林館(当時の店名はサヴォイ)を訪れ、2019年のスタンダップ・コメディのツアーでは東京でもライブを行った。東京のシーンはないが、ライブの様子は『アジズ・アンサリの”今”をブッタ斬り』(Netflix)で観ることができる。以前のアンサリは、マイノリティの立場を逆利用した毒舌で世間を斬る芸風で人気を博していたが、『マスター・オブ・ゼロ』シーズン2以降味わった屈辱や失望を経て、友情と友を支える強さを得ている。それは、インド系アメリカ人のコメディアン、アジズ・アンサリのものではなく、38歳の一人の人間のものだ。アメリカを中心に世界中で6月はLGBTQプライド月間として、コミュニティの理解促進と権利について考える時間になっている。以前に比べると婚姻制度やジェンダー表現は是正されているが、まだ完全な平等な社会とは言えない。2015年、マイノリティのアイデンティティから始まったアンサリの物語は、2021年を迎え人種・性別・文化を超えた相互理解へと辿り着いた。家を築くものが家具や絵画でないように、社会を作るのも制度ではなく、人間である。アンサリや仲間たちの自伝的要素を多く含んだ『マスター・オブ・ゼロ』は、今後も彼らが時代と自身の変化を感じとるたびに更新されていくだろう。(平井伊都子)

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