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【京都ぶらり】嵐山渡月橋スグ☆歌川広重の浮世絵に描かれた幻の滝!?「戸無瀬の滝」

  • 2021.6.4
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汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は右京区、京都随一の観光スポットとして知られる嵐山渡月橋スグの場所にある緩やかな滝。かつて広重の浮世絵にも登場した滝!?

平安時代の和歌にも登場する名滝

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たまたまSNSつながりの方からこんな画像とともに質問が。この浮世絵は江戸時代、歌川広重によって描かれた『六十余州名勝図会』の嵐山渡月橋の様子。絵の下部に木造らしき渡月橋が見て取れるわけですが、桂川、大堰川の上流の山手に滝らしき水柱が描かれています。で、こんな立派な滝って嵐山にあったっけ?と。

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私自身もそんなデカめの滝が嵐山にあった認識がなく、最初清滝か?とも思ったりしましたが、その縮尺度大なのはピンポイントすぎるやろ、と(笑)

で、実際そんな滝があるのかを探しに嵐山へ。ご存じ京都随一の観光名所・渡月橋。

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浮世絵でいうと、手前部分の渡月橋がこちら。途中今の嵐山公園のある中ノ島地区を経由して、さらに渡月小橋が続き、それも浮世絵で見事に再現されてるわけですが。意外とこのあたりは江戸時代から変わってないんだなぁと。

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ちょうど絵にある滝あたりに向かうため、渡月橋、渡月小橋を渡り、桂川、大堰川沿いを上流に向かって歩きます。船着き場から渡月橋も見えます。

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緊急事態宣言下ということで、船も運行休止中のようで無人状態。もちろんボートを漕ぐ人もいません。コロナ前なら多くのボートが渋滞気味に川に浮かんでたもんですが。

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現在の嵐山は観光客自体少なく閑散とした様子ですが、それに輪をかけて川沿いの道は誰も歩いてない様子。まるでどこか手つかずの片田舎に来たような、そんな錯覚もするほど。

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すると、山の斜面を這うようにチョロチョロと流れる水の筋。それとともに駒札らしきものを発見。

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ところどころ段差があり、それに沿って小さな白糸をつくりながら水が流れています。山の湧水がこうして流れているのか。

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そして、駒札を見ると『戸無瀬(となせ)の滝』とあります。て、このか弱い流れが滝?これは、広重の浮世絵の滝とは似ても似つかない別の滝か。

戸無瀬の滝は、嵐山から大堰川に流れ落ちる滝で、天龍寺蔵王権現堂の背後に位置していた、と。天龍寺の寺領ってこんなところまであったのか。

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さらに、こんなことが書かれています。

平安時代から多くに和歌に詠まれ、鎌倉時代の中期には藤原定家の息子・為家がこの滝の様子を歌に詠んだとか。

室町時代初期には、天龍寺開山の夢窓疎石が天龍寺十境の一つとして戸無瀬の滝を三級巌と名付け、さらに江戸時代に歌川(安藤)広重の筆による『六十余洲名所図会』などに描かれている。『戸難瀬』『戸灘瀬』とも書かれる。

て、ここで正解か!!

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この滝は、江戸時代初めに角倉了以によって行われた保津川の開削工事でその多くが削り去られ、上流ではその残影を現在でも見ることができるようですが、明治以降、災害防止のための治山工事でその規模縮小、禁伐に伴い常緑樹が茂り、対岸からほとんど見えなくなり、浮世絵のような姿をとどめていないとのこと。

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で、実際対岸から戸無瀬の滝を眺めてみると、滝だか溝だかも確認できないような、そんな様子(苦)

古の歌人たちが、こぞって歌の題材に使ってたことや広重の絵から想像するに、今とは全く異なるような風光明媚な名滝だったのだろうと。その頃の嵐山も今のように観光客集う場所だったのかと思いをはせてみたり。

基本情報

名称:戸無瀬の滝
場所:京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町12

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