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「人権がない状態が普通」。コロナ禍で突きつけられた性的マイノリティの現実

  • 2021.6.2
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クィアマガジン「purple millennium」を運営し、LGBTQ当事者としての経験や考えを発信しているHonoka Yanです。

同じ人間でも与えられる選択肢の数は違う。そう思ったのは、同性かつ外国籍のかたとの出会いがきっかけでした。

多数派(マジョリティ)から逸脱することは社会でどのような意味を持つのか。「マイノリティ」とは、「少数派」を意味しますが、現段階ではそれに加えて「弱者」の意味も持つと思います。

今回、私が性的マイノリティとしての社会的立ち位置を自覚したきっかけと、よくも悪くもマイノリティに対するさまざまな認識を垣間見ることができた瞬間をご紹介します。

初めて、同性かつ外国籍の人と付き合った
image by:Unsplash

シンガポール人の同性のかたとお付き合いすることになったのは、約4年前のこと。それまでは異性としか付き合ったことがなく、同性に惹かれることがあっても、恋愛関係に発展することはありませんでした。

正直、それまで同性と深い関係性を構築するまでに至らなかったこともあり、自分の抱く同性に対する「好き」の感情がわからず、友達としてなのか恋愛感情としての好きなのか、境目が曖昧でした。

同性に惹かれることがあっても、実際に自分が同性と恋愛をしているところを想像することは難しかったのです。早い段階で「LGBTQ」という言葉を知っていたら、同性に対して抱く「曖昧さ」はなかったのかもしれません。

そんな未知の世界のなかで、初めて同性と付き合うことになりました。同性かつ外国籍ということもあり、最初はどうすればいいのかわかりませんでしたが、一緒に時間を過ごしていくなかで、文化や言葉、性別の壁を感じることはありませんでした。

また、同性に対する「好き」の感情の曖昧さも、シンプルな概念へと変わりました。異性との恋愛と同じように、恋愛そのものの感情は男女で変わらず、何ひとつ特別なことではないのだと、そのころから認識しています。

非現実的に描かれやすい「女の子同士」
image by:Unsplash

彼女との出会いを通し、「手をつなぐ」「ハグをする」など、異性カップルと同じ行為をしても見られかたが異なることがあると実感しました。

たとえば、異性と手をつないで歩いていたらカップルだと一目でわかりますが、女性同士だと「友達」だと認識されることが普通。それが理由かはわかりませんが、手をつないで街を歩いていても視線を感じることはあまりありませんでした。

「カップルです」と伝えるまでは関係性について気づかれないことは多かったように思います。ほかにも、ふたりでショッピングをしていたら店員さんに「仲のいいお友達ですね〜」といわれたことも。現状は、性的マイノリティであると自らが言葉にしない限り認識されないのだと思います。

また恋人関係であることを知ったうえで、利用して近づいてくる人もいました。直接差別的な態度を取られた経験はありませんが、二人の関係性を消費されているように感じることはありました。これは、アダルトビデオのレズビアンコンテンツや百合など、女性同士の恋愛は非現実的に描かれやすく、現実と混合して捉えられやすいのもひとつの要因だと思います。

全く知らない男性から「3人で楽しいことをしよう」といい寄られたりなど、異性カップルではなかなか起こらないシーンに遭遇することも。

マジョリティにとっては異性間の恋愛が当たり前であるという認識だからか、私たちカップルに対してそのような発言をしてくるのは、女性(私たち)を恋愛・性的対象にする男性が多かったです。一部の男性ではありますが、女性だから男性に強くいい返せないとか、女性は力では勝てないので男性が優位な立場から発言できるのだと、どこかで思っているのではと感じました。

まだまだ世間的には「弱者」な私たち
image by:Unsplash

とはいえ、ネガティブな側面だけではありませんでした。レストランやホテルでは記念日プランが適応されたり、想像以上に柔軟に対応してくれるサービスが多くあります。また家族に同性の恋人を紹介したり、友達から祝福されたりなど、嬉しい出来事も同時に起きました。

一カップルとして見られることで、同性のカップルであることに誇りを持ちつつ、同性のカップルであることを忘れる瞬間もありました。少なくとも私の周りは、性的マイノリティや外国人を受け入れてくれる人がほとんどなので、個人レベルでは割とスムーズにものごとが進んだように思います。

しかし、なかにはセクシュアリティを隠している人や、会社の人に鉢合わせるのを恐れて恋人と手をつないで歩けない人もいます。性的マイノリティ当事者の集まる街「新宿二丁目」を出た瞬間、手を離して歩くカップルも見ました。

このように、状況や環境に合わせて自分を変化させて過ごす当事者は多くいます。私自身、とても恵まれた環境にはいますが、周りを気にしながら生活するかたを間近で見ることで、まだまだ世間的には「弱者」なのだと常々実感させられるのです。

同じ人間でも「選択肢」の数が違う不思議
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個人レベルではラッキーでしたが、国や社会を見ると厳しい状況ではあると思います。特に外国人や性的マイノリティに対する人権が保証されていないことから、不当な扱いを受ける当事者をニュースでよく見かけるからです。

シンガポール人の恋人がいたころは、遠距離ベースの恋愛でした。相手に学生ビザがあったので、日本には数年の滞在が許されていましたが、ビザが切れた後は帰国をするほかありませんでした。交互に国を行き来していましたが、1カ月以上の滞在は一度国を出る必要があったり、条件が厳しいだけでなく、金銭的負担もかかります。

そんなとき、外国籍で異性の恋人を持つ友達が海外永住権を手に入れるために「手段としての結婚」をしているのを見て、我々には性別という壁により不可能なことであり、法律では守られない立場の人間であると実感させられました。

同じ人間のなかでも、「結婚か労働」の2つの可能性が与えられる人と、「労働のみ」の一択しか選べない人がいるのは、不思議なことです。

「人権がない状態」が普通
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私は仕事でシンガポールに移住するという予定だったのですが、タイミング悪くコロナが流行。その予定もなくなってしまいました。

また、コロナの影響で日本への帰国を余儀なくされたとき、いつ離れ離れになるかはわからないという不安に駆られました。次に会える日もわからなく、海外渡航も許されないなかで、友好な関係や精神状態を築くことは困難です。仮に移住できたとしても、結婚やそれと同等の権利の保証がない。いい換えると「人権がない」ということには変わりありません。

以前、40年以上も同居していた同性パートナーが亡くなったあと、ふたりの関係性を認識していないとして、生前に約束した遺産の引き渡しが認められず、火葬場への同行も親族により認められなかったという悲しいニュースがありました。

いまでは大きくニュースに取り上げられることも増えましたが、こういった問題は昔から今もずっと続いており、我々にとってはそれが「普通」なのです。

多様だからこその不寛容さ
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シンガポールは多様な国といった印象を持つ人が多くいるかもしれません。西洋やアジアなど、さまざまな人種や文化と共存し、英語や中国語が飛び交う国ではありますが、行ってみると多様な国だからこそ不寛容であることに気づきました。

シンガポールでは、信仰や政治的背景の想定に基づき、男性間の性行為は犯罪となります。日本にはLGBTQの人々が集える二丁目などのコミュニティがありますが、シンガポールでは女性向けのバーやクラブは一切ありませんでした。

性的マイノリティのかたたちはオンラインでしか出会う機会がなく、オフラインでセクシュアリティを公言することは難しい。想像以上に閉ざされた環境であると感じました。表ではオープンですが、潜ってみると閉鎖的な側面を垣間見ることが多く、ゾクっとしたのを覚えています。

2021年現在、こういった環境や出来事を問題視する人は増えたものの、国家レベルでの認識が変わらないことには、マイノリティは声を上げる権利すらも奪われた不利な立場のままとなってしまいます。理不尽なことで責められ、いい返しても認められず、マジョリティだけが正当なものとして判断されてしまっていいのでしょうか。セクシュアリティや性別、国籍で、人々が判断されない社会の未来を、私は願っています。

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