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『ここぼく』最終話は希望を示すエンディングに 松坂桃李が叫ぶ“好感度”の正体

  • 2021.5.30
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『今ここにある危機とぼくの好感度について』写真提供=NHK

「必ずや名を正さんか」。論語にある孔子の言葉だ。ある時、弟子が尋ねる。「政治をなさるとしたら、まず何をなさいますか?」。孔子は物事に正しい名前を付けることから始めると答える。名前が間違っているところから様々な問題が起きる。だから問題を解決するために名前を正すのだと。問題を発見した時にその問題は半分解決していると言われるように、危機管理は問題を正しく認識することから始まる。『今ここにある危機とぼくの好感度について』(NHK総合)最終話は、名前を付け間違えてきた社会に警鐘を鳴らす内容となった(以下、ネタバレを含む)。

みのり(鈴木杏)からの着信。「カニ好き?」「好きだよ」。「エビは?」「大好き」。何のことかと思えば、過去にサハライエカに刺されて重傷化した患者は甲殻類アレルギーがあるとのこと。アレルギーのない真(松坂桃李)は胸をなでおろす。窮地を脱して、総長の三芳(松重豊)にこれまでのあらましを話す真。理事たちの隠蔽工作を伝え、真実を明らかにするよう求める。真の仕組んだドッキリに理事たちは狼狽し、蚊の流出を公表することに同意。しかし、次世代博に巨費を投じてきた市長は公表を渋り、またもや真実は闇の中に葬られた。

研究不正、ネット炎上と表現の自由、バイオハザード(生物災害)と大規模イベント。今ここにある危機を描く本作で一貫して問われてきたのは言葉の重さだ。意味のすり替えや擬態、慇懃で形式的な応答など、隠蔽体質の組織で日常的に行われる言葉のトリック。危機管理という名の空中戦によって言葉は極限まで軽くなる。その先に待っているのは緩慢なる死だ。

「我々は組織として腐敗しきっています。不都合な事実を隠蔽し、虚偽でその場をしのぎ、それを黙認し合う。何より深刻なのは、そんなことを繰り返すうちに我々はお互いを信じ合うことも敬い合うこともできなくなっていることです」。言葉を信じられなくなった時、社会は崩壊する。当たり前のようだが決して他人事ではない。言葉の価値が下落し、相互不信と分断に陥っているのが現在の日本だからだ。

言葉を貶めるのは偽りや嘘だけではない。好感度も同じだ。意味のある言葉は敵・味方を生んでしまうから、「意味のないことをしゃべる」真の戦略はある意味正解である。好感度を追い求めてきた真が、言葉によって保身を図る大学という組織の広報になったことは必然性があった。真は新聞部のコウスケ(坂東龍汰)に叫ぶ。「世の中ってのはそういうもんなの。負け組は負けるしかないし、少数派は多数派の犠牲になるしかないんだよ。だから好感度なの!」真ほどあからさまでなくても、生きていくために愛想を振りまき、忖度している人は多いはずだ。

ますます軽くなっていく言葉。一方、この世界は複雑でわかりにくい。真実を前に立ち尽くすしかできなかった真も、みのりとの再会をきっかけに変化の兆しが現れる。第3話がターニングポイントで、教え子に心を動かされた三芳が事なかれ主義に一石を投じた。真は蚊に刺されて当事者になったことで、初めて自らの意志で言葉を発し、最終話はかすかに希望を残すようなエンディングとなった。

真実から目を逸らさせ、意味を漂白する無言の圧力。その流れに抗するのは頭で考える以上に困難だ。真実と向き合う鍛錬を積んで来た三芳をして「長く厳しい闘いになる」と言わしめた通りである。正しい名前を付けるのは難しいが、それでもやり遂げなくてはならない。この世界で本当の意味で生きようとするのなら。好感度という他者の視線を離れた時、真は少しだけ自分を好きになれたのではないか。それは世界と出会った瞬間だった。

(石河コウヘイ)

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