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メリッサ・マッカーシーがスーパーヒーローに 『サンダーフォース』は女性の価値観を刷新

  • 2021.5.13
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『サンダーフォース ~正義のスーパーヒロインズ~』Netflixにて配信中

探偵、刑事、国際スパイなど、近年コメディー映画のなかであらゆる役を演じてきた、メリッサ・マッカーシー。そんな彼女が、ついにスーパーヒーローを演じるのが、本作『サンダーフォース ~正義のスーパーヒロインズ~』である。監督・脚本は、公私ともにメリッサ・マッカーシーのパートナーであるベン・ファルコーンだ。

“コメディアン”、“ヒーロー”の女性版を“コメディエンヌ”、“ヒロイン”という言葉に言い換える表現が、本作の邦題にも見られるように、メリッサ・マッカーシーは、これまで男性が基本とされてきた役割をぶち壊し、アダム・サンドラー同様に表現者としての魅力によって多くの観客を呼べる存在となった。『ある女流作家の罪と罰』(2018年)では、シリアスな演技でアカデミー賞主演女優賞にノミネートまでされた彼女だけに、彼女が本作で強大なパワーを持ったスーパーヒーローを演じるということは、象徴的であるといえる。

サンドラ・ブロックやジェイソン・ステイサム、ときにマペットなど、様々な共演者との組み合わせによる化学変化も楽しみなマッカーシーのコメディー映画だが、今回、彼女の相棒を務めるのは、幅広い役柄で人気を集め、大きな瞳が印象的なオクタヴィア・スペンサーだ。アカデミー賞助演女優賞を獲得しているなど、実力と人気を兼ね備え、役を自由に選べるだろうスペンサーが、コメディー映画でマッカーシーの相棒を務めるのだから、アメリカでいかにコメディー作品が愛されているかが分かる。

本作で、大都市シカゴを舞台に繰り広げられるのは、スーパーパワーで街を破壊する犯罪者“ミスクリアン”と、科学の力でスーパーヒーローとなった二人の女性の戦いである。子どものときに両親をミスクリアンに殺害されたエミリー(オクタヴィア・スペンサー)は仇を討つことを決意し、自らがスーパーヒーローになるべく、巨大企業を経営しながら日夜ヒーローになる研究を重ねていた。

そこに現れたのが、小学生の頃にエミリーをいじめっ子から助けたことで親友になったが、生き方の違いから長い間疎遠になっていたリディア(メリッサ・マッカーシー)だった。お騒がせ者のリディアは、誤って研究所で自分にスーパーパワーを授ける科学物質を注入してしまう。かくして、リディアは人の限界を超えた怪力を手にし、エミリーは透明化という特殊能力を自分のものとするのだった。そして彼女たちは、スーパーパワーで悪を行う者たちを成敗するチーム、“サンダーフォース”を結成する。

本作のテーマが分かりやすく凝縮されているのは、彼女たちの小学生時代のエピソードだ。幼いエミリーはいじめっ子の男子同級生から「ガリ勉」と揶揄され危害を受けるが、体格の良いリディアがいじめっ子を力でねじ伏せてエミリーを救出。それ以来、二人は親友になったのだ。二人は性格も趣味も異なるが、自分らしく生きたいと願う共通点がある。だからこそ二人は共闘し、人々を抑圧する世の中の理不尽な暴力に、ヒーローとして対抗するのだ。

そう聞くと、ありがちな作品だと思われてしまうかもしれない。だが、コメディー作品でありヒーロー作品である本作が、世の中の理不尽と戦うという内容を描くとき、一つの暗い背景が浮かび上がってくる。それが、女性キャストたちでリブートされた『ゴーストバスターズ』(2016年)が巻き込まれた差別問題だ。この映画の監督は、メリッサ・マッカーシーとは何度も組んでいるポール・フェイグである。

『ゴーストバスターズ』(2016年)には、多くの男性たちからと見られる、凄まじい誹謗中傷がインターネット上で寄せられ、とくにキャストには、女性蔑視、人種差別的な暴言が、SNSを介してぶつけられることになった。女性の活躍や社会での地位向上を面白く思っていない、ある種の男性にとって、オリジナル版『ゴーストバスターズ』(1984年)のような、子ども時代の思い出となっている象徴的な作品が、女性たちを主役に作り変えられることは、“聖域”を汚されたような心境だったのかもしれない。

そして誹謗者たちが『ゴーストバスターズ』(2016年)を批判する根拠の一つとなっていたのが、「女性のコメディアンは面白くない」という先入観だった。これが一定の説得力を持ってしまうのは、コメディーの分野で女性が男性ほどには活躍できていなかった歴史が存在するからである。しかし少し深く考えてみれば、それはそもそもコメディーの世界でも、他の職業同様に女性が閉め出されてきた経緯があるはずだということに思い至るはずである。そして、“くだらないことをやって盛り上がる”という文化が、「女の子はそういうことをするもんじゃない」と、かなり長い間女性たちから剥奪されてきた経緯も存在するのだ。これによって、どれだけ多くの女性のユーモアが限定的な範囲に抑え付けられていたかは、計り知れないところがある。

このような現実の女性たちが直面してきた現実の境遇というのは、マーベル・スタジオ製作の『キャプテン・マーベル』(2019年)の主人公が、ヒーローのなかでも最強といえるパワーを持ちながら、その才能が開花するまで様々な制約に縛られていたことを示す描写によって暗示されている。そして『キャプテン・マーベル』自体も、インターネット上で女性差別主義者らによって、評価サイトで低い点数になるよう組織的ないやがらせが行われるなど、不遇の目に遭った作品なのである。

本作『サンダーフォース ~正義のスーパーヒロインズ~』の主人公たちもまた、物語のふざけた脱線を繰り返しながらも、自分の道を信じて進み、能力を最大限に発揮することで、女性の生き方を少しでも明るく照らそうとしているように感じられる。彼女たちのコスチュームは、ほぼ露出もなくデザインは地味で、長い間洗濯をしていないせいで、異様な臭気が漂っている。そんな女性ヒーロー像は、これまで求められてきた、男性から見た女性の理想像とは大きく異なるはずだ。しかし、だからこそ彼女たちは、自分自身が主体となる新時代のヒーローとして機能するのである。

メリッサ・マッカーシー、エイミー・シューマー、オークワフィナ、アリ・ウォンなど、アメリカの新しい世代のコメディー俳優や、女性のコメディアンたちは、従来のような男女間の文化的な垣根を越えて、下品なネタだったり、くだらないネタや振る舞いを次々に繰り出すことができる。彼女たちのような存在こそ、新しい世代のヒーローだということを、本作は語っているように思えるのである。そしてもちろん、そのようなタイプでなくとも、自分の力をまっすぐに発揮することもできる。本作では、オクタヴィア・スペンサーがその役割を担ってみせる。

ときにお下劣で、ときに真面目に……本作は女性の生き方や価値観を、時代のなかで刷新していく映画である。サンダーフォースが悪を倒すように、本作のような作品が増えていくことが、世の中の本当の悪の居場所を狭くしていくのだ。そして、誰かの人生が彼女たちによって救われるのかもしれない。(小野寺系)

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