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『おちょやん』の“喜劇”に救われた半年間 秦基博「泣き笑いのエピソード」が改めて沁みる

  • 2021.5.13
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『おちょやん』写真提供=NHK

NHK連続テレビ小説『おちょやん』がついに最終回を迎える。大阪・南河内の貧しい家庭に生まれ、口減らしのためにわずか9歳で奉公に出された竹井千代(杉咲花)が“大阪のお母さん”と親しまれる大女優に成長するまでの生涯を描いた本作。

働きもせず酒と博打にのめり込み、借金を重ねる父・テルヲ(トータス松本)に振り回され、境遇が似ている良き理解者の一平(成田凌)と結婚してようやく幸せになれると思ったら不倫という形で裏切られ、ふたたび居場所を失った千代。その人生はあまりにも波乱万丈で、時には観ているのが辛くなる時もあった。それでも、観続けた先に『おちょやん』がプレゼントしてくれたのは、笑って、泣けて、人情あふれる喜劇。秦基博が歌う主題歌「泣き笑いのエピソード」の歌詞にもあるように、“かさぶた”へと変わった古傷を私たちに惜しみなく見せてくれたのだ。

最後はまだ消えていない千代のかさぶた、一平との再会と鶴亀新喜劇への復帰が描かれるのだろう。NHKラジオドラマの人気女優として大成し、ようやく傷が癒えかけていた千代の心を揺さぶったのは、5月10日の放送回で一平が喜劇について語った本質的な言葉だった。

「私は喜劇なんかなくなる世界を作るために、喜劇をやってるのかもわかりませんな」

父から天海天海という名と想いを受け継ぎ、その生涯、喜劇にこだわり続けた一平。彼を劇作家として成功させたのも喜劇だったが、芝居に人生を捧げていた父に愛想を尽かし、母親が出て行ったことや、執筆に行き詰まり救いを求めて劇団員と不倫したことで、公私ともに良きパートナーだった千代を失ったことを鑑みても、その身を滅ぼしたのも喜劇だったといえる。それでも喜劇をやる理由が、以前一平が千代に語った台詞と重なった。

「お前の苦しみはお前にしか分かれへん。俺の苦しみは、お前なんかには絶対に分かれへん。そやから俺は芝居すんねん。芝居してたら、そういうもんがちょっとは分かる気がする。分かってもらえる気がする」

この言葉で、夢を諦めかけていた千代は思いとどまる。父からずっと血の繋がった娘としての役割を押し付けられてきた千代だって、初めて観た舞台『人形の家』で自身をお飾り人形として扱う夫から自立を目指したヒロイン・ノラを演じる女優・高城百合子に憧れて女優を目指したのだから。

幼くして母親の温もりを失い、父親からの愛情にも飢えていた千代と一平。袂を分かってしまったが、傷ついた2人だからこそ、心の奥底にある苦しみを誰とも分かち合えないもどかしさを知っている。けれど芝居は演じている側も、見ている側も“物語”を共有する。たくさんの人が同じ空間で一つのステージに目を向け、同じ物語に身を投じる。ある者は日常から解放されるように笑い、ある者は登場人物と自分の境遇を重ねて泣き、またある者は何気ない台詞に救われるだろう。その場にいる全員が違う感想を持ったとしても、物語の本質的なテーマと感動を分かち合える時間。千代と一平はそれを、どこにでもいるような人たちに届けるために芝居を続けてきた。

『マットン婆さん』を通して、千代はシズ(篠原涼子)からみつえ(東野絢香)に対する母親の“無償の愛”を知り、大人になった弟・ヨシヲ(倉悠貴)と再会したことで『若旦那のハイキング』で心中を試みる男女の「この人のためなら死ねる」という気持ちを理解できた。戦後、瓦礫が残る中で上演した二度目の『マットン婆さん』で千代は最愛の夫を亡くしたみつえの笑顔を取り戻し、『お家はんと直どん』で別れた一平への愛情を自覚させられることになる。

2020年から未曾有の事態が世界を襲い、当たり前の日常は失われた。多くのことが不要不急とされ、芝居もその一つだった。しかし、私たちは“物語”を必要とする。むしろこんな時だからこそ、苦しみからひと時解放してくれる物語を求める声は日に日に大きくなっている。その証拠に、月曜から金曜の毎日15分間、『おちょやん』はテレビの前にいる人たちを釘づけにしてきた。様々な人の、色んな想いを乗せた喜劇。それに魅せられた人々の人生を映し出した『おちょやん』という喜劇に、私たちもまた救われてきたのだ。

そして、その物語がもうすぐ幕を閉じようとしている。千代のひたむきさに勇気をもらい、テルヲや一平のだらしなさに時々怒り、家族の代わりに千代を守ってくれた親友のみつえや寛治(前田旺志郎)の存在に救われた。笑って、泣いて、最後には心温まる喜劇『おちょやん』の物語を最後まで共有しよう。(苫とり子)

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