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【齋藤薫の美容自身stage2】これぞ、最強の“自分探し”あなたはライトーワーカーか否か【斎藤薫エッセイ】

  • 2021.5.13
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人間には2種類しかいない。だから問いたい、自分はどっち?

もともとスピリチュアルなことにはほぼ興味がなく、占いすらあまり信じていなかった自分が、見えないものの力に動かされていることを決して否定できないと思うようになったのは、やはり去年から今年にかけて、人類すべてが世界規模の大きな変化に遭遇したからだった。

以前から2020年は経済も暮らしも人の意識も、世の中が180度変わる年と言われていたが、コロナ禍でなるほどそういうことだったのかと、その合致に驚いていたら、2020年末には“風の時代”の到来。“地の時代”から200年ぶりに星の廻りが変わり、あらゆる価値観に劇的変化が訪れるという説が、鳥肌が立つほど腑に落ちてしまったのだ。

そんな訳でほんの少しその世界の扉を覗き見たところ、たまたま出会ったのがライトワーカーという言葉だった。昔から確信していたのは、「人間には2種類しかいない」ということ。「この世には頑張る人と頑張らない人の2種類しかいない」「考える人と考えない人の2種類しかいない」。格言にも「この世には貸す人間と借りる人間しかいない」という人間2種類説があって、どれも納得だが、なぜかゲーテは「大きく分ければ人間は2種類しかいない」とだけ言っている。とするなら、まさにそれ。人間にはライトワーカーか、そうでないかの2種類しかいない。そう考えたいほど、人にとって決定的な分類に思えたのだ。

ライトワーカーとは何か? 詳しくは、ウェブに解説が山ほどあるのでそれを見てほしいが、一言で言うなら、世のため人のために何らかをする使命を持って生まれた人。かといってボランティアや看護師になる人を言うのじゃない、まわりの人の気持ちをポジティブにする力を持った人もまたライトワーカーと呼ばれる。その呼称も要は、人の心と世の中に“光をもたらす人”との意味らしいが、ときには、自分を犠牲にすることもあるほど“人のため”が多い人々なのだ。ただ思いやりがあるとか、自分勝手じゃないとか、そういうレベルでなく、もっと大きな人間の役割の話……。

だからライトワーカーは、実は苦しみも多いという。人の心が読めたりするせいか、対人関係で傷ついたり、間違った人を許せなかったり、理不尽なことに心を乱されるからだ。特に人生の前半は苦労する。子どもの頃から精神的に大人で、周囲に理解されにくいから、疎外感を感じることも多々あったはずなのだ。

ここで何を言いたいか。自分がどちら側の人間であるのかに気づくと、ある意味とても楽になるのではないかということ。逆に、自分はライトワーカーではないと、そう気づくこともまた大切なのかもしれないと言いたいのである。

それぞれにある天命を知っておくと楽になる!

エステティシャンの道を選んだある知人は、何だかうまくいかず2軒目、3軒目と職場のサロンを変えることになるのだが、そこで上司にこう告げられたという。「あなたは人に奉仕する仕事に向いていないわ」と。技術は人並み以上に磨いたはず。接客もきちんとやっている。だから何を言われているのかわからなかった。でも結果的に事務職について精神的にも楽になったとか。人に奉仕する仕事に向いていない……それは彼女がライトワーカーではなかったためなのだろう。

逆に、ライトワーカーは組織に向いていないとも言われる。愛情深く平和主義だが、精神的に人と違っていることも自覚しているから、一人でいることも多くなり、でもそれをあまり孤独と感じないから、同様の意味で結婚にあまり向いていないと感じる人も少なくないとか……。そしていつも何だか精神的に疲れていて、不安や苛立ちを感じている人も多いという。自分の使命をなかなか果たせないためかもしれないが、そういう意味でも自分を犠牲にしている訳で、決して良いことばかりではないのである。

つまり、どちらが良くてどちらが悪いという話ではない。人それぞれに天命というものがあるわけで、ライトワーカーでない人にもまた別の天命があるのだろう。それぞれの割合までは不明だが、ライトワーカーばかりでも社会が体をなさないから、そこは神様の采配。だから、自分がどちら側の人間であるかを知る一方、反対側の人がいることを知るほどに、迷いがなくなり、対人関係もうまくいき、生き方に確信が持てるはずなのだ。

ただ、このライトワーカーの定義が100パーセント正しいのかどうか、そこからして私にはわからない。とはいえ、一般的な占いや血液型分類によって、その人の人となりをざっくり言い当てて、毎年の運勢のみならず、人生そのものを占い示唆していく、これまでの“自分探し”のパターンよりも、このライトワーカーか否か、という二分割のほうが、はるかに効率よく人生に役立つ気がする。結果的に人生は、自分自身がデザインしなければならないもの、そういう意味で自分は、何のために生を受け、何のために生きているのかという、最重要テーマが明快だと、人生を間違えないで済むからだ。

逆から言えば、芸術家から芸能人まで、何かを表現する人も本来はライトワーカーであるべきなのだそうで、要は、人を幸せにしたり感動させたり笑顔にしたりという目的を心に持たなければ決して成功しない仕事だということ。ひたすら自己顕示欲だけを形にしても、何も響かない。やっぱり誰かの光にならない限り、仕事が成立しないのだ。

いや、ひょっとするとこうした雑誌に関わる仕事だって同じ、読者に光を与え、癒やしたり正しさに導いたりする、その志がなければいけない仕事なのかもしれない。何かを伝えるべき相手がいる仕事には押し並べて、ライトワーカーの心が必要で「自分はこんなに凄いんです」というアピールに意味はない。そういう新たな視点を持つと、それぞれの仕事の本来的な役割というものが浮き彫りになってくる。本当の適性というものもはっきり見えてくる。逆にそうやって、自分はそもそも何を生業とすべきなのか、今の役割は間違っていないかを確かめる、絶対の基準ともなるはずなのだ。

さぁどうだろう、あなたはライトワーカーだろうか。人間にそんな種類があること自体をまったく知らなかったときは、やたらモヤモヤしていたのに、ライトワーカーという言葉を聞いた瞬間、頭の中がすっきりし、世の中がはっきり見えて自分自身を理解できた人は少なくないはずだ。仮にこれをスピリチュアルな偏った見方として片付けたとしても、何かが心の中に残るはず。考え方は、決して間違っていない気がするから。そういう役割を持って生まれる人がいることだけは嘘ではない気がするから。

ライトワーカーは幼い頃から世の中が見えていて、精神的にとても大人だと言ったけれど、それについては以前から何となくの持論を持っていた。精神年齢の差は、前世においてたくさん人間をやってきたかどうかの人間経験のキャリアの差なのではないかという。たとえば、子どもの頃から自分の親の方が精神的に幼いことに気づいてしまう子どもっているはずで、それは人間経験のキャリアの逆転のせいと思ってきたが、その子どもがライトワーカーなのだと思えばよりわかりやすい。だから社会に出ても、ライトワーカーは世の中の理不尽を許してあげる立場になるのだ。そんなふうに世の中の仕組みにライトワーカーの概念を当てはめると、すべて納得がいく。だからやっぱり間違いではないのだ。

どちらにせよ、ライトワーカーは権力や権威主義が嫌いで、地位とか名誉とか物質とかお金とかに執着しないから、まさに“風の時代”の人。自然を愛し動物を愛するエシカルな人。だからひょっとしたら、これからはもっと楽に生きられるのかもしれない。まさしく風の時代が教えてくれた生き方の重要なヒント。最強の自分探しと言えないだろうか。

ライトワーカーとは、“人のため”が多い人。自分がどちら側の人間であるかを知る一方、反対側の人がいることを知るだけでも、迷いがなくなり、対人関係もうまくいき、生き方に確信が持てる。何のために生を受けたかが明快だと、人生を間違えないで済むはずなのだ。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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