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中村倫也と磯村勇斗がぶつかり合う 『珈琲いかがでしょう』“赤”と“黒”の対比

  • 2021.5.4
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『珈琲いかがでしょう』(c)「珈琲いかがでしょう」製作委員会

「珈琲に出会えたとき、世界が変わった気がしました」。夢中になれるもの、生きがいと呼べるもの、どうしようもない日々から引きずり出されるほど没頭できるもの……。たった1杯の珈琲が、誰かにとってはそれが人生を変える分岐になる。

これまでも甘くて苦い様々な人生を描いてきた『珈琲いかがでしょう』(テレビ東京系)では、ついに謎多き青山(中村倫也)の、そして執拗に青山を追っていたぺい(磯村勇斗)の生き様が紐解かれる。現在の甘い眼差しと過去の厳しい表情を使い分ける青山と、絶望と愛嬌をあわせ持つぺい。そんな2人を演じる中村と磯村が、演技力でぶつかり合う珠玉の1話となった。

■珈琲に救われた青山と、救われなかったぺい

今回淹れられたのは、原作漫画に沿った「ほるもん珈琲」とドラマオリジナルの「初恋珈琲」だ。裏社会で汚れ仕事を引き受けていた青山とぺいのコンビ。手にかける人を「ほるもん(放るもん)」だと教わり、ゴミとして次々に始末していった。

「ほるもん」と「ほらんもん」。彼らにとって、その差はよくわからない。ただ、言われるがままに仕事をする日々。きっと、いつかは自分も「ほるもん」と呼ばれる側になる。いや、もうすでに社会からはゴミだとみなされるクズなのかもしれないという悲しみを胸に秘めながら。

しかし、ぺいにとってはそんな底辺とも言える生活の中でも、青山に出会えたことが一つの希望だった。いろいろなものが欠落し、光が一つも差さないような、常軌を逸した真っ黒な目の青山に「一生ついていく」と痺れたことも。

しかし、青山のその目は珈琲と出会ってから徐々に変わってしまう。ぺいもホームレスのたこ(光石研)が淹れた同じ珈琲を味わったはずだった。青山の人生を変えたという珈琲を。しかし、ぺいには自動販売機の珈琲と、たこの珈琲との違いがわからない。

同じように底辺の日々を過ごし、同じように社会のはみ出しものとして生きていくんだと思っていた青山が救われ、置いてけぼりにされたぺい。自分だけが救われなかった。それは、救いが見えなかったときよりも、よっぽど残酷な現実だ。

「この人、ミョーなカルト宗教にハマって。“珈琲”っつう宗教」というぺいの言葉に、改めて青山の変わりっぷりと、ぺいの寂しさがにじみ出る。自分にはわからなかったものに夢中になる青山を見て、ぺいがどれほどその存在を遠くに感じてしまったのかを。

■ぺいの中にある「赤」と「黒」

ドラマオリジナルの「初恋珈琲」を描くことによって、ぺいという人となりがより浮き彫りになっていった。青山を逃がすために自らの血を流すことにしたぺい。意識が朦朧とする中、その真っ赤な血を眺めながら初恋の「あの子」のランドセルを思い出すのだ。

「赤」は、ぺいにとって小さな愛を感じた象徴の色なのかもしれない。「あの子」の家に呼ばれて、一緒に食べた手作りの珈琲ゼリー。その上に乗っていた真っ赤なさくらんぼは、「あの子」が愛情をたっぷり受けて育ってきた証だ。親に殴られて育った自分には、やっぱり珈琲ゼリーのおいしさはわからない。憧れて少しでも近づきたくて、でも近づくほどに自分との生まれの違いを見せつけられて。恋をした喜びと叶わない想いの寂しさを行き来した初恋。

それが決定的になったのが、時を経て再会したときだった。ブラック珈琲を「美味しい」といって飲む「あの子」と、大人になってもそのうまさがわからないぺい。すでに裏社会に足を踏み入れていたぺいにとって、その時間は純粋に初恋が実らなかったという事実よりも、育ちの悪さが生んだ分岐の大きさ、その残酷さを実感させるものだったのだろう。

そんな物悲しいぺいの顔を見逃さなかったのは、青山だった。そして「寂しさが紛れる」と言って差し出したのは、赤いイチゴのイラストが施されたイチゴミルクだ。ぺいがこれまで青山を追いながら飴をなめるシーンを思い出す。青山が去り、憎しみや怒りよりも、寂しさが彼を包んでいたという切なさと同時に。

自分と同じところで沈んでいくはずだった青山を連れて行ってしまった真っ黒な珈琲。青山の金髪は、いつの間にか黒髪となり、自分とはもう随分遠く離れた生活を送っているのがわかる。そして、最もぺいにとって屈辱的だったのは、その青山の淹れた珈琲によって自分以外の人たちが「救われている」という事実だったのではないか。

冷たい世の中で数少ない愛を感じられた「赤」と、何度も絶望しながらそれでも“救われたい”と渇望してきた「黒」。ぺいの中にある印象的な2色は、どこか鮮血とどす黒く固まるかさぶたにもかさなる。もしかしたら、青山をかばうために自ら足を刺して流したぺいの赤い血は、ぺいができる最大限の愛情表現だったのかもしれない。そうして青山の危機を助けることで、初めて「救われた」感覚を得られたのではないか。

誰かにきっかけをもらい、何かにハマることだけが「救われる」タイミングではない。きっと青山も、美味しい珈琲と出会ったからではなく、そのあと多くの人にそれを提供したからこそ「人生が変わった」「救われた」と思えているように。「自分が誰かの役に立った」という喜びこそが生きがいであり、人生の醍醐味なのだろう。

(佐藤結衣)

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