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坂元裕二が描き続ける“割り切れない関係性” 『大豆田とわ子と三人の元夫』は集大成に

  • 2021.5.4
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『大豆田とわ子と三人の元夫』(c)カンテレ

2018年の『anone』(日本テレビ系)以来、オムニバス形式のリモートドラマ『Living』(NHK総合)や、ドラマスペシャル『スイッチ』(テレビ朝日系)といったイレギュラーなドラマ2本と、映画『花束みたいな恋をした』を手掛けてきた坂元裕二。現在、約3年ぶりとなる連続ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系)が放送されている。

内容は、タイトル通り、主人公の大豆田とわ子(松たか子)と、松田龍平、角田晃広、岡田将生演じる3人の元夫との出来事を追うもので、それだけでどんな物語になるのだろうというワクワク感がある。

ここ数年の坂元裕二作品には、出会いからすれ違い、そして別れまでを描くものが多い。『カルテット』(TBS系)であれば、2幕の最初の部分ではあるが、松たか子演じる巻真紀と宮藤官九郎演じる巻幹生の過去が描かれた。このふたりの場合は、仕事を通じて出会い、幹生の一目ぼれで結婚に至るが、日常生活での些細な行動や考え方の違いが重なり、幹生があげた詩集を真紀が鍋敷きに使っていたことがふたりを決定的にすれ違わせる。

『花束みたいな恋をした』は、終電を逃したという偶然から出会い、読書や映画など、文化的な趣味の傾向から意気投合したふたりの、5年間の恋と別れが描かれていた。ふたりは結婚には到らなかったが、「結婚」という文字がちらついたことで、出会った頃のような関係性ではなくなり、また「結婚」という文字がちらつかなくなったときには、出会った頃のような関係性に戻っていた。

『スイッチ』は、学生時代から7年つきあっていた検察官の駒月直(阿部サダヲ)と弁護士の蔦谷円(松たか子)が、その後13年経っても、お互いの恋人を紹介しあったりする仲を続けている様子を描いていた。

近年のこれらの作品を観ると、交際や結婚をして、その後に別れがあっても、人間関係がそこで終わってしまうこともあれば、そうではないこともある(それは当たり前のことであるが)。しかし、『カルテット』で描かれた、巻夫妻の恋愛を経ての、もう二度と昔のふたりには戻れないときの深い悲しみがあるからこそ、そうではない可能性を描く方向に進んでいるようにも見える。『カルテット』自体、楽器を演奏するということで出会った4人の、あいまいにこれからもゆるやかに続いていくような関係性自体も、その答えになっていたとも思える。

また、『花束みたいな恋をした』では、趣味の一致が恋愛においてどれほど重要なのかの是非が議論されることもあったが、坂元作品においては、恋のきっかけや出会いに関しては、偶然でも環境によるものでも、どんなこともきっかけになると書いてあるような気がする。

『大豆田とわ子』を観ていると、これらの過去の作品で感じていたことが、ちりばめられているように思えるのだ。

3人の夫との出会いも、別れの理由もそれぞれに違う。ドラマのスタートからしばらくは、その3人との間に何があったのかが、1話ごとに描かれていくだろう。それぞれの夫には、愛すべきところもあれば、困ったところもあり、そのどちらも描かれていることで、見ているものにとっても、それぞれの魅力が伝わってくる。

それぞれの夫と別れた理由も、さまざまにありそうだが、こうして現在も会っていられるということの裏には、とわ子と元夫との間の関係性以外にも、何か理由があるとそれとなくわかる。

今のところ気になるのは、とわ子の母親である。元夫3人ともが、自分の母親のように思っていたという、その存在の大きさとはどんなものだったのだろう。そして、その母親が残した言葉、「お母さんて大丈夫すぎるんだろうね。ひとりでも大丈夫な人は大事にされないもんだよ」と、それを受けてのとわ子の「ひとりでも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい」というやりとりが妙に残るのである。

このとわ子が思い出したワンシーンは、1話だけに関わるものかもしれないが、とわ子の生き方やドラマ全体にも関わってくるような気がしている。

それ以外にも、とわ子にも、元夫たちにも、それぞれに恋の予感を感じさせる出会いなども描かれるのも気になるところだ。新たな出会いもあるが、かつてのパートナーに対しての気持ちも消えているわけではない。そこには、昔から恋愛の話として、したり顔でよく使われてきた、かつての恋愛をした相手の記憶を、「上書き」するか、「消去」するかなどという表現で表してきたこととも違ったもの、簡単に誰かと誰かの過ごした時間が終わったり消えてなくなるわけではないことが描かれそうである。こうしたきっぱりと割り切れない関係性も、昨今の坂元裕二の作品から漂っていることのようにも思えるのだ。(西森路代)

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