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アン ミカさん「今悩んでいる人に、立派やん!って、拍手してあげたい」

  • 2021.5.2
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安定を恐れてチャレンジを続けた、20代だった

――圧倒的な明るさとパワーで私たちを元気にしてくれるアン ミカさんですが、20代のころにはどんな悩みがあったのでしょうか?

アン ミカさん(以下、アン ミカ): 20代の頃といえば、とにかく仕事に邁進、そして恋愛をすれば結婚を意識したりして、悩みが虹のように変わっていた時期でした。
一生懸命その時その時を生きていて、気がついたら時間が過ぎていた感覚があります。
そもそも私は19歳でパリに行くまで、安定を知らない子どもでした。貧しい家庭に育ったので、学生時代も家に帰れば温かいご飯が待っているなんてことはなく、今月の給食費を支払うことができるかどうか、といった逼迫した生活をしていました。常に家族みんなで支え合って生きてきて、安らぐ瞬間はありませんでしたね。

そんな状況下だったので、モデル活動のためにパリへの留学を決めた時には、「今よりはいいはず」とワクワクする感情しかありませんでした。
24歳で帰国した時、「はじめていろいろな安定が手に入った」状態でした。収入面や、仕事、恋愛もなんとなく長く同じ人と交際していて、満たされていたんです。

朝日新聞telling,(テリング)

――24歳でそこまで!とても順風満帆ですよね。

アン ミカ: ところがその時、安定に恐れを持ってしまったんです。このままでいいのだろうかと。そこで、今度はニューヨークでのモデル活動に挑戦しました。
でも、結果は大失敗しての帰国。そして29歳の時に、10年近く付き合ってきた彼とも破局し、さらには父とも死別しました。

29歳は西洋占星術の世界でも「サターンリターン」と呼ばれる時期で、いわゆる苦しいことやつらいことが起こりやすく、運命が変わる時期だと言われています。
このままの自分でいいのだろうかとか、今見ている景色を全て変えてしまいたいという思いがわき出て、さまざまな感情にぶち当たっていました。

モデルの仕事は30代からなくなると言われ続けてきた時代

――積み上げてきたものが、29歳で一度ストップしてしまったのですね。

アン ミカ: 当時の日本では、今のようにママモデルが活躍するような環境はなく、「モデルさんは30歳から仕事がなくなる」と言われていた時代でした。
私はこの先どのようにキャリアを築いていけばよいのだろうと考えながら、亡くなった両親のお墓を作りに韓国へ渡りました。
翌年に日韓ワールドカップが控えていたこともあり、日本と韓国の架け橋になりたいという新しい目標ができたんです。

ところが日本に戻ってくると……浦島太郎子ちゃん状態(笑)。モデル業界には「ガールズコレクション」の文化ができ、私のようなショーモデルの居場所はなくなっていました。
ありがたいことに「関西ガールズコレクション」の司会として声がかかりましたが、名誉なことだと頭では理解しつつも、自分がモデルとして歩けないことは内心ショックでした。
ステージでは人気タレントが登場すると歓声が沸き、私が一緒にしのぎを削ってきたショーモデルが歩いてもシーン……。「あぁ、時代がもう違うんだ」と痛感した出来事でした。

――お仕事で新しい目標ができたのに、先が見えなくなってしまったと。

アン ミカ: そうなるとね、恋愛も同様なんですよ。30代に突入して、「“結婚したい、妊娠したい、もらってほしい”と顔に書いてあるみたい」と散々言われました、相手への圧がすごかったんでしょうね。
男性に手を握られそうになったら、「これって付き合ってるってこと?結婚前提じゃないと付き合わないよ」と言っては、すばやく逃げられていく……という感じ。
なんでなの?と思っていたけれど、そりゃそうでしょう、怖いよね、って(笑)。
恋愛で枕を濡らした30代だったように思います。

『ポジティブ日めくりカレンダー 毎日アン ミカ』(講談社)より

――アンミカさんにもそんな時代があったのですね。

アン ミカ: 一方で、これも時代の流れだとは思うのですが、結婚をしてしまったら、パートナーによっては結婚生活を続けながらキャリアを歩み続けていく人生は難しいかもしれないとか、子どもができたら育児に縛られてしまうのではないかといった不安も抱えていました。

周りの結婚ラッシュが重なり、子どもが生まれた友人も多く、今までのように遊ぶこともできなくなってきて……。
「めったに予約がとれないお店の予約がとれたよ!」と誘っても、子連れで入りやすいお店を友人が希望する、なんてこともありましたね。どちらが悪いわけでもなく、生活のリズムが合わなくなっていく。それぞれの「悩みの温度が変わっていった」感覚がありました。

朝日新聞telling,(テリング)

背中を押され、東京へ。そこで運命が変わった

――転機を迎えたのはいつだったのでしょうか?

アン ミカ: モデルとしての仕事のあり方では壁にぶつかっていたけれど、関西のテレビ番組でトークをおもしろいと言ってもらえたんですね。
恋愛!結婚!と、焦って悩んでもいたけれど、一度そうしたプライベートに踏ん切りをつけて、仕事に全力でシフトしたら、楽になれたんです。
「私はやっぱり、仕事が好きなんだ」という気持ちに行き着いた。

もっと自分を必要としてくれる場所に出ていこうと、東京で仕事をしていく決意したのは、38歳の時です。
東京の事務所に所属したその日に、QVCのショッピングチャンネルの仕事が決まり、2ヵ月後に今の夫と出会いました。

――すごいです!もがいている中で、自分の気持ちを整理して動き出したら、運命が変わったんですね。

アン ミカ: だから、もし今悩んでいる方がいるとしたら、その時その時を全力投球で、怖がらず、自分のいる環境の中に幸せを見出していけば、幸せになれるんだよって伝えたいですね。
私の場合は、仕事も恋愛も、あれもこれもと目移りしていた時に、「仕事が好きだ」という気持ちで道が切り拓けた。そして結果的に、大切なパートナーとも巡り合えたんです。

『ポジティブ日めくりカレンダー 毎日アン ミカ』(講談社)より

あなたの悩みは、価値のあるもの

――改めて過去の自分を振り返ってみて、今の20代、30代の女性たちに伝えたいことはありますか?

アン ミカ: 20代って、いろんなスキルを整理整頓して自分の引き出しの中にしまっていく時期だと思います。感情の置き方や人間関係、そしてもちろん仕事。いろいろなことを吸収して、あっという間に過ぎていく期間なんですよね。
そして、年齢を重ねていくと今度は、しまったスキルを適切なタイミングで出す練習をしていかなくてはいけない。すごくめまぐるしくて悩むことも多いと思います。
でもその悩みはとても価値のあるもの。

悩んでいるあなたに、「20代、悩んだの?立派やん!」って、拍手してあげたいです。
苦しむことができるという感性を持っていること自体が、あなたが自分と向き合ってきた証拠。
「アンタはえらい!」って、私が言います。

――このアン ミカさんのパワーを文字でしかお届けできないのがもったいないくらいです(笑)。

アン ミカ: キャリアができてくると、あれもこれもと任されて、頑張りすぎてしまうでしょう?「どうして私ばっかり」と思うことも、少なくないはずです。
でも、遠回りするからこそ見える景色もある、ほかの人の分まで頑張ったから身に付くスキルもある。
「どうして私ばっかり」ではなくて、「私だから乗り越えられるんだ」と思ってみてください。
今回作った日めくりカレンダーは、行き詰まった時やちょっと違う視点がほしいと思った時に手にとってほしくて作りました。

朝日新聞telling,(テリング)

――まさに、オラクルカードのようなものですね。

アン ミカ: そうなんです!今回セレクトした言葉たちは、有名な方々のメッセージや、禅語も盛り込んでいます。メモや手帳に書き留めてきた、私を救ってくれた言葉です。
カレンダーのように毎日1枚ずつめくってもいいし、目の前にあるサイコロをふって出た番号のページを開いてみてもいいですね。
元気をもらえたり、ちょっとだけ注意深くなれたり……。誰かの背中を押せるようなカレンダーになったらうれしいです。

■田中 春香のプロフィール
大学卒業後芸能事務所に就職。俳優、アイドル、文化人等のマネージメントを経験。その傍ら、趣味であるサブカルチャーやお笑いのコラムをwebメディアに寄稿するなどライターとしても活動する。30歳の夏、港区での彼氏との同棲を解消、同時に8年勤めた会社を退社しフリーとなる。が、明確な職業を決めていないため肩書きは無し。人生の大掃除開始です。趣味は14年続けているmixi日記の更新と自宅ベランダでの飲酒。

■家老芳美のプロフィール
カメラマン。1981年新潟生まれ。大学で社会学を学んだのち、写真の道へ。出版社の写真部勤務を経て2009年からフリーランス活動開始。

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