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映画『聲の形』に込められた“語りたくなる何か”を考える “卒業”が意味するもの

  • 2021.4.29
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映画『聲の形』(c)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

人生で最も難しいのは、コミュニケーションだ。相手の気持ちを慮るからこそ、時にすれ違い、必要のない誤解を生む。そんな日々が重なれば、自分の存在価値すらも否定してしまうことも、しばしばだ。ましてや、学生時代は大人たちが思い浮かべるほどにキラキラとしたものだけでなく、後悔にまみれて、時には自ら命を断ちたくなる日もある。そんな感情に正面から向き合ったのが映画『聲の形』だ。

本作は大今良時の同名漫画を原作として、2016年9月に劇場にて公開された。封切り時は全国120スクリーンほどと、決して大規模とは言えない公開規模だったが、興行収入23億円を記録したほか、日本アカデミー賞にて優秀アニメーション作品賞、東京アニメアワードフェスティバルにてアニメ オブ ザ イヤー作品賞、劇場アニメ部門グランプリを獲得するなど、興行・批評の両面から成功した作品だ。

その魅力はなんといっても制作した京都アニメーションの、繊細な表現の数々だ。本作では障がい、そしていじめの加害者と被害者という繊細な配慮が必要なテーマを扱っているが、そこから逃げることなく、真正面から向き合った。また原作では中盤で映画作りを基に物語が進行していくのだが、映画ではその描写をカットするなど、大胆なアレンジも印象に残る。

監督を務めた山田尚子は『けいおん!』シリーズや『たまこまーけっと』『たまこラブストーリー』などの監督を務めている。それまではテレビシリーズも監督を務め、その完結編として映画も監督を、という流れであったが、本作で初めて映画単体の作品の監督を務めた。京都アニメーションとしてもテレビシリーズを経ない劇場作品は、今に至るまで映画『聲の形』のみとなっている。

山田尚子監督はそれまでの作品でも、思春期の繊細な感情と、その卒業や変化を鮮やかに描き抜いてきた。『けいおん!』シリーズのテレビアニメは日常系の代表格ともされ、高校生活のほのぼのとした生活を描く一方で、『映画けいおん!』では屋上や通学路を走る4人という構図で、卒業という日常の終わりを描いた。

また『たまこラブストーリー』では、たまこともち蔵の幼なじみ同士による煮え切らない恋愛関係を、卒業とともに一歩進める。それと同時に、たまこへの複雑な感情を抱えるみどりが、その踏ん切りをつけることでドラマを作り出していた。

そして映画『聲の形』でも卒業や変化といった要素は、違う形で発揮されている。上記2作品は学生を主人公としていることもあり、爽やかで清々しいドラマが描かれている。しかし、本作では主人公の石田将也は、過去に聴覚障がいを持つ西宮硝子をいじめてしまったことへの自責の念がとても強く、ドラマもシリアスなものが続く。

もちろん、将也が行ってしまった罪は、幼なさゆえの過ちなどという可愛いものではない。だが、それと同時にそのことを悔いて自死の道を選ぶというのも、また違うものだろう。このような難しいテーマを、山田尚子は断罪するでもなく、かといって甘やかすのでもなく、真正面から向き合った。

将也と硝子の描き方に注目したい。いじめの加害者と被害者、男性と女性という描き方がされているが、2人とも厭世観が強く自身の存在に否定的であり、周囲の人を不幸にしてしまうと考えてしまう点なども共通している。だからこそ、2人が自死という極端な行動に移るのも同じであり、本作では徹底して2人が同一の存在であることを強調している。

例えば予告編でも使われた硝子が「好き」と告白するシーンを挙げてみよう。ここはコミカルな描写を含みつつも、障がいの有無によりコミュニケーションがうまくはかれないという、本作のテーマを端的に表している。それと同時に、将也が「好き」という想いを受け止められなかったのは、その根底において「自分が人に(特に硝子に)好かれるはずがない」という、思いを強く持っているためだろう。

その思いは「自分が周囲の人を不幸にしてしまう」という硝子とも一致する。そういった共通する思いを抱きつつ、全てがひっくり返るという養老天命反転地を経て、将也の硝子に対する贖罪が、今度は硝子の将也に対する贖罪へと変化していくことでも、2人の同一性を強調している。

京都アニメーション作品では花言葉などが重要なメッセージを込められていることがあるが、見方によってはわかりやすく、強固な演出がなされているのも特徴的だ。それらは他の演出にも見受けられる。

例えば終盤、硝子が贖罪を伝えようと友人たちを訪ねるシーンでは、硝子は黒い上着を身に纏うが、黒は将也の私服の色だ。ここでも罪と贖罪の共有化が図られているほか、硝子が自ら死を選んだことを最初に謝る相手が将也の母という点においても、その後の行動も将也と重なるように作られている。

圧巻なのは植野直花の描き方だろう。彼女は一貫して硝子に対して当たりが強く、まるで障がい者をいじめている存在にも見えてくる。しかし、それと同時に彼女は自身の障がいを楯に人とぶつかり合うことを避け、徹底的に自分が悪いと語る硝子に対して怒りをぶつけている。

この描写に対して植野に憤りを覚える観客もいるだろう。一方で、多くの登場人物が”障がい者である硝子”として見ていることに対して、植野は恋敵であると同時に”障がいを楯にして、コミュニケーションを拒否する硝子”に対して怒りをぶつけているようにも感じられてくる。そのどちらの見方をとるかは読者に委ねるが、どちらがより障がい者に対して健常者がとるべき姿なのか、考えさせられてしまう。

これらの複雑なバランス感覚は、山田尚子以外のスタッフの力も大いに関係するだろう。絵コンテを担当した三好一郎、原画の筆頭としてクレジットされている多田文雄は、京都アニメーションの精神を体現したとも言われる日本を代表するアニメーター、木上益治の別名としても知られている。

また総作画監督・キャラクターデザインの西屋太志、絵コンテと演出を務め、後に『ツルネ -風舞高校弓道部-』を監督する山村卓也、聴覚障がいの音を繊細に捉えながら、映画の音声として聞き応えのある作曲を行った牛尾憲輔などの仕事が合わさった、総合芸術としての完成度の高さが作品全体を支えている。

本作にはいじめと障がいをテーマにしながらも、明確な悪人は出てこない。皆、一様に自分の正しさを思いを持ち、それを時にぶつけ、時に逃げながらも人生に立ち向かう人々を描いた作品だ。その人物描写は、キャラクターという表現を遥かにこえ、人物、人間の複雑さを捉えている。

「共に生きていこう」と語った2人はようやく人生をスタートすることができた。青春は決して明るい、楽しいことだけではない。時には大きな過ちを犯しその後悔で、あるいはそういった過ちの被害で苦しむこともあるだろう。10代の頃は自分の人生に価値はないと、強く思ってしまうこともしばしばある。それでも、それでも……と語りたくなる何か。それが映画『聲の形』には込もっている。

(井中カエル)

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