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フィリップ王配のもうひとりの生涯の女性、レディ・ペニーって?

  • 2021.4.20
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4月17日に営まれたフィリップ王配の葬儀に、王室メンバー以外でただひとり参列した女性。エディンバラ公が庇護した親友レディ・ペニーとは、いったいどんな人?

エディンバラ公と親交の深かったペニー・ブラボーン。王室メンバーとともに公爵の葬儀に参列した、ごく限られた人々のひとり。(ウィンザー、2006年5月11日) photo : Getty Images

ふたりの友情はほぼ半世紀に及ぶ。ビルマのマウントバッテン伯爵夫人こと、ペネロペ・ナッチブルは、4月9日に亡くなったフィリップ王配のごく親しい女友達のひとりだ。その親密ぶりから、タブロイド紙はたびたびふたりの間に友情以上の関係があるかのようにストーリーを書き立てきたが、裏付ける証拠はない。エリザベス女王からも高く評価されているレディ・ペニー。ふたりの女性は、ともに心を分かち合った友の死を悼んだ。

庶民階級から王室へ

ビルマのマウントバッテン伯爵夫人ことペネロペ・メレディス・メアリー・ナッチブルは、1953年4月16日、王室から遠く離れた、ロンドンのイーストウッドに生まれた。父親のレジナルド・イーストウッドは肉職人から身を興し、レストランチェーンのアンガス・ステーキハウスを創業して成功を収めた裕福な実業家。彼女は子ども時代をスイスで過ごし、1976年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業。イギリスの貴族社会に足を踏み入れたのは、それからわずか3年後のことだった。

1979年10月20日にロムゼー修道院で結婚式を挙げたペネロペ・イーストウッドとロムゼー卿。”今年1番の結婚式”と呼ばれた大規模な挙式には総勢900人以上の招待客が出席した。そのほとんどがヨーロッパの王室や貴族だった。photo : Getty Images

1979年10月20日、26歳で結婚した相手は、ロムジー卿ことノートン・ナッチブル。彼はビルマの第2代伯爵夫人パトリシア・ナッチブルと、第7代ブラボーン男爵ジョン・ナッチブルの息子で、ほかでもないフィリップ王配の名付け子だ。ロムジー修道院で執り行われたふたりの結婚式では、イギリスの法定推定相続人であるチャールズ皇太子が花婿の立会人を務めている。

結婚式は特殊な雰囲気に包まれていた。2ヶ月前に、花婿の祖父であるビルマの初代伯爵ルイス・マウントバッテン、14歳の弟ニコラス・ナッチブル、祖母のレディ・ブラボーン、アイルランド人の青年ポール・マクスウェルが、アイルランドの独立を目指す武装組織IRAが仕掛けた爆弾テロで死亡したばかりだった。結婚式の写真には、テロに遭遇したほかの親族たちの姿も見られる。重傷を負った花婿の母親は救急車で式場に到着し、車椅子で移動する様子がとらえられている。

1975年に初めてロイヤルファミリーに紹介されたときから、未来のレディ・ブラボーンは強烈な印象を与えた。イギリス王室と親しいある人は、彼女のことを「これまで出会った若い女性の中で最もナチュラルな女性のひとり。外向的で、といって厚かましさはなく、媚を売ることもない」と回想する。夫はフィリップ王配ともチャールズ皇太子とも近い間柄(ウィリアム王子の代父でもある)だが、女王夫妻のお気に入りとなったのは彼女だった。

苦しみのなかで生まれた友情

周囲からペニーと呼ばれる彼女は、夫との間に3人の子どもをもうけた。ブラボーン卿ニコラスは1981年5月15日生まれ。レディ・アレクサンドラは1982年12月5日生まれ。そしてオナラブル・レオノーラは1986年6月25日生まれ。

1991年10月22日、一家を大きな悲しみが襲う。たった5歳の末娘レオノーラが腎臓がんで亡くなったのだ。レオノーラは一族の屋敷があるブロードランズの領地に埋葬され、彼女に敬意を表して慈善組織レオノーラ小児がん基金が設立された。この悲劇の後、ペニーはフィリップ王配と女王から励ましを受け、それをきっかけにエディンバラ公との絆を深めていく。

その後、レディ・ペニーは長男のことで困難な時期を経験する。チャールズ皇太子の名付け子であるニコラスは、コカイン、ケタミン、ヘロインの常習で薬物依存に陥ってしまう。2009年には、親からお金をせしめつつ、サウサンプトンで不法占拠生活をしていたことも。また、女王を迎えたレセプションが屋敷の1階で催されている間に、地下室でクラックを吸ったことがあるとも公言。1億ポンドに上る財産の相続権を剥奪すると警告されて、翌年、薬物依存治療を受ける。依存症から立ち直り、現在はロンドンでアーティストとして暮らしているという。

父親の死後にマウントバッテン卿の称号を継承する権利は残されているものの、一族の領地の管理は妹のアレクサンドラに任されることになりそうだ。亡きダイアナ妃の名付け子であるアレクサンドラは、2016年6月にトマス・フーパーと結婚。夫婦の間にはふたりの子どもがいる。

エディンバラ公とペネロペ・ナッチブル。当時の称号はレディ・ブラボーン。現在はビルマのマウントバッテン伯爵夫人。(2009年5月17日)photo : Abaca

共通の趣味

愛娘レオノーラの死から数年後、ペニーとフィリップ王配は繋駕速歩競走という共通の趣味によってさらに友情を深めていく。彼女は1994年にエディンバラ公の手ほどきを受けて競技を始め、公爵のパートナーとして馬術競技会に出場するようにもなる。32歳の年の差にもかかわらず、ふたりはこうして切っても切れない仲となった。ここ数年は、高齢になっても競技を続けているのはペニーの励ましのおかげ、と公爵自らも語っていた。

2019年にも、当時97歳のフィリップ王配が馬車の手綱を握ってウィンザー城の敷地内で散歩を楽しむ姿が見られた。4月12日にケンブリッジ家がインスタグラムに投稿した写真からもわかるように、ときにはジョージ王子をはじめ、ひ孫たちを伴って出掛けることもあった。

ノートンの裏切り

婚姻によって王室メンバーとなった身でありながら、ペネロペ・ブラボーンは伯爵夫人たるにふさわしいその振る舞いで常に周囲に驚きを与えてきた。こうした美点ゆえに彼女は女王からも高く評価されるようになる。

2010年に夫がバハマで愛人と暮らすために家を出て行き、ハンプシャーにある2400ヘクタールの領地をひとりで管理することになったときも、夫の任務をすべて引き受け、家柄にふさわしい数々の儀礼的役割を夫よりも立派に果たして見せた。

4年後に夫が家に戻ってきたときも、追い出すことはしなかったが、距離は取っている。寝室を共にすることを拒否された夫は領地内にある納屋を改装した建物で暮らし、彼女は屋敷で生活している。

ホーム・パークでロイヤル・ウィンザー・ホース・ショーを観戦するエリザベス女王とレディ・ペニー。(ウィンザー、2018年5月11日)photo : Getty Images

この出来事で王室内での彼女の株はますます上がった。以来レディ・ペニーは王室の重要なイベントの常連となり、宮廷スタッフの間では「and also」とあだ名されるまでになった。彼女の名前が記載されていない限り、招待者リストはまだ完全でない、というわけだ。

死がふたりを別つまで

ここ数年、伯爵夫人は、ノーフォーク州サンドリンガムの王室領地のはずれにあるコテージ「ウッド・ファーム」に定期的にフィリップ王配を訪ねていた。2017年の夏に公務引退を発表して以降、エディンバラ公はそこで大部分の時間を過ごしていた。こうして46年にわたって友情を紡いだレディ・ペニーは、フィリップ王配が亡くなるまで身近な友人であり続けた。

そんな彼女は4月17日の葬儀に招かれたごく限られた参列者(30人)のひとり。そしてただひとりの王室メンバー以外の参列者となる。心の友のための特例だ。

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