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「母に名前を忘れられても、悲しくなかった」直木賞作家・桜木紫乃がそう語る深い理由

  • 2021.4.14
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直木賞作家・桜木紫乃さんにとって初めての絵本『いつかあなたをわすれても』(絵=オザワミカ/集英社)では、孫である少女の視点から認知症になった祖母の“さとちゃん”とその娘、つまり少女の母が一緒に過ごすひとときが描かれ、その中での少女と母の対話が綴られる。歳を重ねて記憶を失っていくことについて、女性の一生について、桜木さんに聞いた――。

初めての絵本、初稿はボツに

——2020年に上梓した『家族じまい』(集英社)では、認知症になったサトミとその娘・智代の関係など、高齢の親と向き合う家族の姿をオムニバス形式で描きました。この絵本も『家族じまい』と同じ世界の物語なのでしょうか?

桜木紫乃さん
桜木紫乃さん(撮影=露木聡子)

【桜木紫乃さん(以下、桜木)】どちらも私が作者ですが、この絵本は『家族じまい』の続きを書くことから発想したわけではありません。始めに編集者から「絵本を書いてみませんか」と提案され、じゃあ何をやりましょうかと考えたときに、母と娘、祖母という親子三代の物語を書きたいと思い、私の母の認知症が進行したときを振り返ることはできるかもしれませんというお返事をしました。絵本という新しい表現媒体で、画家の方と力を合わせて築けるものがあるかもしれないと思うと、ワクワクしたんです。

——初めての絵本ということで、執筆の苦労はありましたか。

【桜木】初稿はボツ(没原稿)になったんです。発展的なボツでしたけれど。これまで子どもに読んでもらうことを意識して書いたことがなかったので、現在56歳の私の感覚で書くと、多くの人に手に取ってもらいにくくなる。自分の気持ちに客観的になることを忘れていて、小説ではそれができるのに、なぜ絵本で文章が短くなるとできなくなるんだろうと……。そういう勉強をさせてもらいました。

イラストレーターとは完成まで一度も会わなかった

――完成した絵本では、オザワミカさんの絵と桜木さんの文章がマッチし、哲学的な内容が頭に自然に入ってきます。

【桜木】繊細な線と色だけで描き出すイラストがすてきですよね。絵本を作ることになって、編集者さんから「桜木さんに合うと思う」と勧められたのがオザワさん。その瞬間「この人だわ」と直感が働いて、もう「お願いします!」という感じでした。そして、すばらしい絵に仕上げていただきました。表紙のイラストは、孫の女の子で、この子もおばあちゃんもお母さんも、みんなこんな横顔を持っていたなということをはっきり教えてくれる。輪郭線が1mmずれても出てこない絶妙な表情なんですよ。

——絵に合わせて文章を変えたところもあるのでしょうか? コロナ禍の中での制作はどのように進めましたか?

【桜木】この絵なくして私は言葉を削いでいけなかったし、絵ができてきてからも、文章を何度も書き変えました。私もオザワさんもお互いに相手の創作の邪魔をしないようにと思い、編集者を通してメールでやり取りしていたので、実際には完成するまで会っていないんです。でも、それはこれまでたくさんの作家と画家を見てきた編集者の戦略で「制作途中で実際に会ってしまうと、良い意味での戦いがなくなると思った」そうです。私とオザワさんの感想は、「うまいことやられたな」と(笑)。

名前と顔を忘れられても

――“さとちゃん”が自分の娘の名前を忘れたことについて、「ママはかなしくはないんだけどね」と、娘である少女に語ります。桜木さんもお母さんが認知症であり、娘さんがいらっしゃるそうですが、実体験が含まれているのでしょうか。

【桜木】母親が私の名前を忘れたというのは本当に起こったことです。実際にうちの母が私の名前を忘れたとき、悲しいと思わなかったんです。忘れられたということはこちらが抱く感情なので、忘れゆく人に負担をかけない私でいたいと思っています。ただ、それは私と母のこれまでの歴史あってのことだから、万人に伝わる感覚ではないですよね。すべての人が親に忘れられて悲しくないわけがない。

うちの母は辛い過去がいっぱいあって、記憶が非常に重たい人でした。けれど、母の体はその記憶という“荷物”を下ろし、女の人としての輝かしい記憶は鮮明に残して、“かわいく”老いることを選択した。今は父が毎日そばにいてくれるのがうれしいそうなんです。これは彼女なりに悪いことじゃないと思うし、絵本に書いたように、うちの娘とも「忘れて楽になるならいいよね」という話をしました。

介護は嫁が……その波にのまれることに疑問があった

――2021年の今でも、介護や育児のために仕事を辞めてしまう女性が少なからず存在します。

桜木 紫乃・文、?オザワ ミカ・絵『いつか あなたを わすれても』集英社
桜木紫乃・文、オザワミカ・絵『いつか あなたを わすれても』集英社

【桜木】実際の比率はわかりませんが、娘が親の面倒を見る場合が多いと聞きます。息子が介護をしている例もあるかもしれないけれど……。私の周りでも老人の介護は嫁がするという風潮はいまだにあるし、私が小説を書き始めたのも、そういう波にのまれることに対しての疑問も少なからずありました。

結婚して主婦として家事育児をし、このままでは親の言うことを聞いて、夫の言うこと、婚家の言うことを聞くだけで終わってしまうなと気がついたときに、一回、親たちとの関係をフラットにしてみたんです。精神的にも物理的にも意識して離れてみると、家族というものが見えてきて、それを小説に書くことにしました。その時から家族は私の永遠のテーマになったと思います。

――女性が仕事を持ち続けることの意味は大きいですね。

【桜木】私の担当編集者は女性が多く、20代から40代までいますが、みんな子どもが小学校に上がるタイミングになると悩んでいますね。育児しながら働き続けるのは体がしんどいと。それはつまり女性が働くための制度が整ってないということなんですよ。環境が整っていれば仕事を続けられるのだから、そういう世の中になってほしいと思います。

私は担当さんたちに「仕事はやめないで」と言っています。やめるのはいつでもやめられます。本当に苦しいならやめていいし、自分がやめたいのならいいけれど、やめたくないのにやめたら絶対に後悔する。そういう不本意な生き方をしてほしくないと思うんです。子どもはいずれ大きくなるし、ペースダウンしてもいいから、好きな仕事は手放さないでほしいと思います。

手取り17万円のうち5万円が保育園代に

――桜木さんご自身の経験から出てくる力強いメッセージに励まされます。たしかに産後や育児中、仕事の効率が落ちてしまい、悩んでいる女性も多いですね。

【桜木】うちの子たちが小さかったころは、夫の給料の手取り17万円ぐらいで親子4人暮らしていました。そのうちの5万円が保育園に収めるお金。私が子どもを預けて何をやっていたかというと、新人賞を取った後、何年もお金にならないボツ原稿を書いていたんです。

女性が稼ぐのは、今も昔も本当にたいへんなことだけれど、でも、「それを選んだんだから、やろうぜ」と言いたい。「自分には才能がない」と言って小説をやめていく人もたくさん見てきました。でも、自分に才能があるかどうかなんて自分ではわからないもの。年代によってやれることは違ってきますし、私も年を取ってから本を出せるようになって、続けてよかったと思っています。夫に感謝しつつ、簡単にはあきらめないでほしいと口に出せる、理由は持てたと思います。

構成=小田慶子

桜木 紫乃(さくらぎ・しの)
作家
1965年北海道生まれ。2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。2007年同作を収録した『氷平線』で単行本デビュー。2013年『ホテルローヤル』で第149回直木賞を受賞。他の著書に『ラブレス』『蛇行する月』など。2020年、『家族じまい』で第15回中央公論文芸賞を受賞。近刊に『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』がある。

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