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追悼・田中邦衛さん 日本の映画界、TV界が“大俳優”を失った以上の象徴的な意味

  • 2021.4.10
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『北の国から 2002遺言』Blu-ray

多数の映画、TVドラマなどで活躍した田中邦衛が3月24日に88歳で亡くなった。10年ほど前から出演の仕事を離れ、自宅や施設で療養する生活を送っていた。最後に公の場に姿を見せたのは、俳優仲間だった地井武男の葬儀だったという。

ここでは、田中邦衛の数々の仕事のごく一部を振り返りながら、映画、TVドラマを見続けているわれわれや、製作する者たちにとっての、彼を失った意味を考えていきたい。

田中邦衛の俳優としての仕事は、半世紀以上に及んでいる。まさに日本の大俳優と呼ぶに相応しい存在だ。それだけに田中へのイメージは、受け取る側の年代によって異なるだろう。

教員から転向した経歴の田中は、とにかく仕事がきたら片っ端から引き受けるという姿勢で、多数の作品に脇役として出演している。そのため、固定化された印象を持ちにくいのも確かだ。

初めて広く認知されたのは、加山雄三主演の『若大将』シリーズでのライバル役“青大将”だった。青春スターたちが演じるキャンパスライフから始まった長寿シリーズの中で、きらびやかでさわやかな若大将に対抗する青大将は、主役を引き立てるユニークな役として、若大将同様にシリーズになくてはならない存在となっていく。そしてシリーズ終盤では、『若大将対青大将』(1971年)というタイトルの作品も公開されている。これは、田中の役者としての魅力の証明となっているといえよう。

その間にも、田中は多くの日本のレジェンド監督、レジェンドとなったシリーズへの出演を果たしている。黒澤明監督の諸作、石井輝男監督の『網走番外地』シリーズ、岡本喜八監督の戦争映画、深作欣二監督の『仁義なき戦い』シリーズや『人斬り与太』シリーズ、鈴木則文監督の『トラック野郎』シリーズなどで、いずれも脇役として強い印象を残しているのだ。青大将の役割が象徴しているように、多くの日本映画に出演することで、田中は日本映画全体にとっても“なくてはならない”存在になっていったのだ。

1981年から1982年まで放送され、特別編の製作・放送がコンスタントに2002年まで継続したTVドラマ『北の国から』では、そんな田中が主演俳優として出演し、多くの視聴者に支持される国民的な存在にもなった。実直な黒板五郎という役柄は、映画界に伝えられる田中の実像とも近いものがある。

黒板五郎は、田舎で自給自足生活を送る後だが、頼りになる渋い存在というより、不器用で口下手なところが逆に魅力だ。「やるなら今しかねぇ、やるなら今しかねぇ」と、行動を起こすときに長渕剛の歌の一節を口ずさんで自分を奮い立たせようとする姿が、等身大の男性としてのリアリティとユニークさを醸し出し、多くの視聴者に共感を与えることとなった。

『ウホッホ探検隊』(1986年)でもブルーリボン賞の主演男優賞を獲得したように、脇役としても主演俳優としても、名優としての地位を手に入れた田中は、その後も順調に映画界、TV界で活躍を続けた。ここで感じるのは、二枚目スター俳優ではない、個性派俳優だからこそ持つことのできる“強さ”である。

能を完成させ、日本の芸能の祖となった室町時代の役者・世阿弥(ぜあみ)は、秘伝の書として、演技理論をまとめた『風姿花伝』を記し、後世の才能ある役者のために役者の魅力を引き出す根本的な考え方を伝えている。そこに登場するのが、「時分の花」と「まことの花」という概念だ。

「時分の花」とは、多くの人が持っている若い時代のきらめきのことだ。花がいきいきとしている時間はわずかであるからこそ、若い美しさは誰もが認めざるを得ない価値を放っている。しかしその魅力は、新しい世代が次々に出現することで失われる運命にある。役者もまた、この運命からは逃れられない。その後も役者の魅力を保つために、世阿弥は 「まことの花」が必要だと述べている。誰もが持つ花が枯れていったとしても、自分だけが持っている別の“花”を育てていけば、魅力が枯れることはない。

田中は、キャリアの初期から、脇役としての味を求められる存在だった。だからこそ、青春スターたちを尻目に、否応なく自分の個性を磨いていかなくてはならず、そこで苦心して獲得しただろう魅力は時代を超えて通用してきたのではないだろうか。

共演経験のある、大部屋俳優から注目を集めるまでになった川谷拓三や、盟友ともいえる地井武男などにも同じことがいえるが、田中邦衛のように初めから脇役としてキャリアを積んでいくことを目指した俳優は、かつて隆盛した映画界、TV界においては数多く存在していた。しかし、以前と比べ縮小した現在の日本の娯楽産業のなかで、彼らのような俳優がキャリアをスタートさせるのは難しいかもしれない。その枠は、スター俳優の二世や、お笑い芸人などが多く占めるようになってきているからである。そして作品の人気を上向きにするため、専業の脇役俳優よりも若い美形の俳優がキャスティングされる傾向が強まっている。

数々の“花”があるからこそ、作品には強い魅力が宿る。そんな日本を代表する“花”が、その生涯を閉じたことは、日本の映画界、TV界にとって、一人の俳優を失った以上の、象徴的な意味があるのではないだろうか。(小野寺系)

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