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ティナ・フェイとジェフ・リッチモンドのラブ・ストーリー

  • 2021.4.12
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ことコメディに関しては誰よりも才能がある、ティナ・フェイ。これまで幾度となく、エイミー・ポーラーとゴールデングローブ賞の共同司会を務めてきたのにはわけがあります。だから、作曲家で夫のジェフ・リッチモンドとのなれそめにも笑いが関わっていたとしても、当然と言えば当然。

始まりは1990年代の初頭。『ニューヨーク・ポスト』紙によると、ジェフはケント州立大学で音楽理論と作曲を学んだ後、シカゴに劇場を立ち上げるため、友人たちとシカゴへ。やがて俳優のデル・クローズが作った即興劇のためのImprovOlympic劇場で専任ピアニストになりますが、奇しくもこの劇場は多くの『サタデーナイト・ライブ』のコメディアンたちがキャリアをスタートする場所でした。

一方、バージニア大学で演劇を学んだ後、ここで即興劇のレッスンを受けていた、ティナ。1993年にふたりはこの劇場で出会います。

25ans Wedding

「みんながオーディションを受けるのをピアノの後ろで見ているヤツっていうのが、僕だったんだ。ティナとエイミーはその中でも抜きんでてたよ」とジェフ。

舞台が終わった後、一緒に遊ぶようになった頃を思い出すと、ティナはいつもジェフを笑わせてくれたそう。

「当時、彼女はチョコレートケーキをたくさん食べてたんだけど、会話の途中でよく歯を黒くして見せるんだ」とジェフ。「どう受け取られるかわからないけど、それはすごく面白かったし、とても、とても愛らしかった」

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「私が24歳の時に出会ったの。彼は9歳年上だった」と『Women’s Health』に語ったのはティナ。「実は、この年齢差がすごくよかったの。彼は私の年齢の人よりもずっと大人だったから。ゲームをする必要もないし、『明日電話するよ』って感じもなくて。最初からとても楽で、尊敬に満ちていたし、すぐに確かな関係になったわ」

『ヴァニティ・フェア』誌にジェフとティナが語ったところによると、ふたりが急速に恋に落ちたのは、シカゴ科学産業博物館でデートしてから。その後、ふたりとも即興コメディ集団「セカンド・シティ」で仕事を得、さらにティナがニューヨークで『サタデーナイト・ライブ』の脚本を書く仕事に就き、ジェフもやがて同番組の音楽ディレクターになります。

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2001年に結婚するまでに7年間交際していたふたり。結婚後も順調にキャリアを積み、ティナは2004年公開の映画『ミーン・ガールズ』の脚本を執筆し、作品にも出演。さらに、2006年に放送されたNBCのテレビシリーズ『30 ROCK/サーティー・ロック』では主演も果たしました。同番組でディレクター、作曲家、俳優も務めたのはジェフ。ふたりの才能は、2015年にネットフリックスで公開されたホームコメディ、『アンブレイカブル・キミー・シュミット』や、ブロードウェイでリメイクされた『ミーン・ガールズ』で再び結集します。

そうしたキャリアの絶頂の中で生まれたのが2人の娘―2005年に生まれたアリスと2011年に生まれたペネロペでした。

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ますます活躍の場を広げながら、今年結婚20周年を迎えるふたり。2008年に『ヴァニティ・フェア』誌から結婚生活について聞かれた際、ジェフは自分とティナが良い意味で「たいくつスレスレ」の結婚生活を楽しんでいると語りました。

「というのは、僕らは不倫というものとは一切無縁だったんだ。他人の生活を見ていると、ああいうこと、浮気は、彼女にとって完全な『ノー』なんだ」とジェフ。「彼女は自分の行動規範を持っていて、それは僕がこれまでに出会った誰よりも強いんだ」。

同インタビューでは、ティナもこう言っています。「私は危険なことや不安定なことはすべて好きになれないの。私に、『やんちゃな男が好き』っていう感覚はないわ。ダメ、お断り。私は良い人が好きよ」。

翻訳/mayuko akimoto Photo Getty Images From GOOD HOUSEKEEPING

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