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「俺の家の話」最終話からまだ抜け出せない。連続ドラマ丸ごと1本を使った長瀬智也との別れ

  • 2021.4.2
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能の形式を借りた最終話

この記事が掲載されるのは4月。長瀬智也がすでに所属事務所を退所した後だ。「俺の家の話」は長瀬の退所前最後のドラマとなった。40代の男にとっての親の介護、家を継ぐこと、好きなことを仕事にすること。重くなりそうなテーマを驚くほど軽やかに描き通した大傑作は、思いもよらない結末を迎えた。

2021年の大晦日。二度目のプロレス引退試合中、スーパー世阿弥マシンこと寿一(長瀬智也)は意識不明に陥り、そのままこの世を去ってしまう。対戦相手はホセ・カルロス・ゴンザレス・サンホセ・ジュニア。寿一がプエルトリコで活動していた頃に倒したレスラーの息子、つまり彼も「父の跡を継いだ男」だ。

最終話がスタートしてしばらくは、年明けの2022年、新春能楽会を控えた観山家の面々が描かれる。そこには寿一もいて、寿三郎(西田敏行)はこれまでと同じように寿一に接している。

やがて新春能楽会の日。主人公であるシテ方の装束をつけた寿限無(桐谷健太)になぜシテが寿一ではないのか問う寿三郎は、改めてさくら(戸田恵梨香)から寿一が死んだことを告げられる。これによって冒頭から登場していた寿一は死んだあとの姿だったとわかる。認知症によって此岸と彼岸を行き来する寿三郎には、寿一の姿が見えていたのだ。能では、シテ方がこの世ならざるものを演じることが少なくない。その能の形式そっくりそのままで、この10話が進行していることになる。

「全部自分で準備していった」=寿三郎のために寿一がしていた葬式の準備が全て自分のものとして使われたシーン、そこからのあまりにもくだらなすぎるフリースタイル合戦、そして燃えるのに時間がかかり、通常の骨壷には収まりきらない”大きさ”。悲しみと笑いがごちゃまぜになった寿一の葬式を挟んで、このドラマ最大の見せ場がやってくる。

寿一にかけられる最後の言葉

9話でいきなりグループホームから家に帰ってきた寿三郎と寿一が繰り広げた「『隅田川』を上演する際、死んだ息子の亡霊を出すべきか出さざるべきか」の話、そして寿一の「俺が息子だったら出てくるよ、だって会いてえもん」の言葉の通り、「隅田川」本番で地謡をつとめる寿三郎の前に主人公の寿一が現れる。登場したときの寿一が、寿三郎を風呂に入れるときの格好なのが憎い。25年の空白の後、父子はこの風呂をきっかけとして関係を再構築していったのだ。二人の再会と介護生活の象徴のような格好の寿一は、まるで子どものように寄る辺なさげな表情で寿三郎の前に立つ。

舞台上で寿一の息子の秀生(羽村仁成)が「隅田川」を舞う中、寿三郎も、そして寿一自身も、ようやく寿一が死んでいることを認識する。自分に立っていたあらゆる「死亡フラグ」を寿一が受け止め、身代わりになったことを理解する寿三郎。そして、寿一に最後の言葉をかける。

「寿一、お前はたいしたもんだよ、よくやったよ寿一。みんなのことを笑顔にしてくれてさ、奮い立たせてくれてさ。人様の分まで戦って、舞って、ケガして、笑って。そんなやついないよ」

多くの視聴者は「これが長瀬の事務所退所前、最後のドラマ」と認識したうえで「俺の家の話」を観ていた。だから寿一の存在を長瀬自身と重ねていたし、演者が役をはみ出してその人自身に見える瞬間が何度もあった。中でもこの寿三郎のセリフは、脚本家から役者・長瀬智也への別れの言葉のようにも聞こえた。

「まあ国の宝にはなれなかったけど、家の宝にはなれたな。家宝にはなれたな。お前は観山家の人間家宝だよ」
「いよっ、人間家宝 観山寿一」

3話で寿三郎から褒められたのは、スーパー世阿弥マシンであって息子・寿一ではなかった。寿一自身は、最後にようやく父親に褒められた。それはつまり、彼がこの世への未練をなくしてしまう、この世に姿をあらわす必要がなくなったことを意味する。

本人が未練なくこの世を去ったとて、観る側の私たちは「レスラーなんて何回引退しても何回もカムバックすりゃいいんだよ」という長州さんの言葉にすがり、あまりにも大きかった寿一という存在に未練を残すばかりだ。

寿一との別れ=長瀬智也との別れ

「これからはな寿一、みんながお前の代わりに笑ったり泣いたりしていくからな」

観る者の思いを反映して生きてきた寿一。最後まで誰かの思いを反映して、さくらとの別れの瞬間まで「自分」をなくして去っていった。

ドラマのラスト、自身の追悼興行に現れた(長州力にだけ見えた)寿一が、スーパー世阿弥マシンのマスクを脱ぐ。その顔は見えず、リングに脱ぎ捨てられたマスクだけが落ちる。マスクを脱ぎ終えた彼はきっともう寿一でもなく、役者でもアイドルでもない長瀬智也その人だから、私たちがその顔を見ることはかなわないのだろう。

寿一との別れは、長瀬との別れでもある。規格外に大きくて、不死身に見えて。誰かにとっては憧れの人であり、誰かにとっては兄であり、誰かの父で、誰かの息子で、誰かの仲間で。誰かのアイドルで。そして、誰かにとっては何作も脚本を書きたくなるほどの役者だった、長瀬智也。「俺の家の話」というドラマはフィクションを通じて、その長瀬とのお別れをさせてくれた。作品のなかで悲しむ時間をくれた。

最終回に向けてドラマの公式サイトで更新されたインタビューで、プロデューサーの磯山晶が「企画当初から寿一のモノローグ『これは俺のいない俺の家の話だ』は決めていた」と明かしている。むしろ長瀬の退所が発表されたとき、結末を変える相談を本人にしていたとも。長瀬の役者としての総決算にこんなにもふさわしいしつらえが、彼がこの世界を去ることが判明する前に用意されていたことになる。つくづく、長瀬智也は宮藤官九郎の発想の源泉たる役者だったのだ。

■釣木文恵のプロフィール
ライター。名古屋出身。演劇、お笑いなどを中心にインタビューやレビューを執筆。

■オカヤイヅミのプロフィール
漫画家・イラストレーター。著書に『ものするひと』『いのまま 』など。趣味は自炊。

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