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コロナ禍で人生設計が狂ったときの対処法【ひとみしょうの余談ですみません】

  • 2021.3.27
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コロナ禍の影響によって在宅勤務になったり、外出できなくてイライラしたり、というのは、まだ「かわいらしい」悩みです。

なぜなら、職を失ったり、思うように稼げなくなって、明日の生活が精神的のみならず「物理的に」見えなくなり、その結果、絶望している人もいるのだから。

さて、今回は、コロナ禍によって人生設計が狂ってしまった人(狂いそうな人)に対して、その対処法について、一緒に見ていきたいと思います。

「しあわせになりたい」とは「どうなりたい」ことなのか

人生設計が狂った人は「わたしはもうしあわせになれないかもしれない」と思います。

しあわせになりたいのに、しあわせになれない……この場合の「しあわせ」って、なんでしょうか?どうなることなのでしょうか?

たとえばそれが、安定的に毎月**万円の稼ぎを得て、定期的に婚活して結婚して、郊外にマンションか一軒家を買って、犬を飼い、車を所有する……というような「しあわせ」であれば、コロナ禍によって計画が狂っても、どうにかなります。

狂ったところから1つずつゆっくりやっていけばいいからです。

狂ってしまった地点から、今できることを1つずつやっていくと、やがて「遅れ」を取り戻すことができ、「追いつく」から大丈夫です。

がしかし、「本当の」問題はそのあとなのです。

「本当の」問題

たとえば、あなたが安定的に年収400万円になり、年収1000万の彼氏と結婚し、タワーマンションに住んで、高級外車に乗ったとしても、あなたはきっとそれでも「しあわせになりたい」と思うはずです。

上には上がいるし、見上げればきりがないから。だから「もっとしあわせになりたい」「もっとできるはず」と思うはずです。その結果、「今の自分、なんかちがうな」とか、「この旦那、なんかちがうな。ほかの人と結婚しておけばよかったかも」と思うはずです。

いま、コロナ禍によって人生設計が狂ってしまった人は、「そんな先のことまで」頭が回らないかもしれませんね。でも、頭がよく回るようになったとき、考えてみてください。

いまあなたが「しあわせ」と思っていることって、ほかの誰かがもうすでに手に入れていて、その人は「がんばって手に入れたけど、でもなんかちがう。わたしが求めていたしあわせはこうじゃない気がする」と思っているのです。

「わたしがわたしでよかった」と思えるようになりたいのでは?

いまあなたが言うところのしあわせって、安定的に毎月**万円の稼ぎを得て、定期的に婚活して結婚して、郊外にマンションか一軒家を買って、犬を飼い、車を所有する……というような「しあわせ」ではなく、じつは「わたしがわたしでよかった」と思えるようになることではないですか?

年収がいくらであろうと、どのような相手と結婚しようと、犬を飼っていようといなかろうと、ようするに「わたしがわたしでよかった」と思える心理状態で「毎日」いられること、それこそを<しあわせ>と、あなたは(じつは)思っているのではないですか?

もしそうであるなら、コロナ禍によって人生設計が狂おうと、ほかの原因で狂おうと、あとからどうにかなるから大丈夫です。

なぜなら、あなたは「しあわせ」になる努力をしていたようで、じつは<しあわせ>になる努力をしていたのだから。「しあわせ」はなんか違うと思っていたのだから。

そして、<しあわせ>になる努力とは、内部要因の研鑽のことであり、それはいかなる外部変化にも負けないから。

コロナ禍をべつの視点から眺める

別の言い方をするなら、世間一般に流布している「しあわせ(っぽい感じ)」を追い求めることから「下りた」とき、わたしたちは自分独自の<しあわせ>に気づくということです。

友だちと会えない淋しさをもたらしたコロナ禍は、別の見方をすれば、いやな人と顔を合わせる機会を減らしてくれましたね。たくさんの人が「お金」や「目に見えるいいもの」を求めても手に入りづらくなったコロナ禍は、別の見方をすれば、心の中の「財産」を堂々と追究する生き様を肯定してくれましたね。

他人とのめんどうなかかわりが減り、自分と向き合う時間が激増したコロナ禍において、自分なりの<しあわせ>のかたちに耳を澄ましてみてください。きっとなにかが聴こえるはずだから。(ひとみしょう/作家・キルケゴール協会会員)

※参考 ひとみしょう『自分を愛する方法』玄文社(2020)

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