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賢者の選択心理テスト【ある日、突然に…】

  • 2021.3.24
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今回のお話は、ぜひ皆さんにじっくり考えてもらいたいテーマで構成されています。主人公の心境に寄り添って読み進めてみてください。

大学生3年生のTさんは、ある日、突然に重い病気にかかりました。

小さい頃は健康優良児で、中高とスポーツもしてきましたし、若くして病気になるとは思ってもみないことでした。 命も危ないかと思われましたが、幸い、一命はとりとめました。Tさんは命の大切さをしみじみと味わいました。

しかし、以前のような健康を取り戻すことはできず、主治医の先生から、こう言われてしまいました。

「もう普通の人のような人生を送ることはできません。就職するとか、大学に残って勉強するとか、いろいろ夢があったかもしれませんが、それはあきらめてください。自分ひとりで生きていくことはおそらく無理でしょう」

これから社会に出て行くつもりだったTさんにとっては、衝撃的な宣告でした。

親は裕福ではなく、世話になって生きていくことはできません。 むしろ、自分が支えていかなければならないのです。

それでも自分はまだいいほうでした。Tさんは6人部屋に入院していました。同室の人たちの中には、命を落とす人もいました。

バリバリ仕事をしていたのに、突然に病気になって、仕事どころではなくなってしまった人。恋愛に夢中だったのに、急に病気の苦しみと闘わなければならなくなった人……。

病気は、人々の日常を一瞬にして理不尽になぎ倒していきます。

夜になると、小児病棟から子どもたちの泣き声が聞こえてきます。まだ人生のとば口なのに、もう病気と向き合っているのです。悪いことをしたわけでもなく、何の理由もなく……。

人生とは何なのか? 命とは何なのか? 生きる意味とは?

Tさんは考えざるをえませんでした。Tさんはその答えをさがして、たくさんの本を読みました。そして、次の3つの言葉に出会いました。

本Aの言葉。「信じれば、必ず、夢はかなう」

本Bの言葉。「欲を捨てて、すべてを受け入れよう」

本Cの言葉。「人生に期待するのは間違っている。人生のほうが私たちに期待しているのだ」

あなただったら、どの言葉に最も励まされるでしょうか?

このテストから学ぶテーマ 「生きる力を失わないために」

このTさんというのは、じつは私のことです。

これは物語ではなく、私自身の実話です。

病気は災害とはぜんぜん違いますが、個人の身の上においては、似ているところもあります。

「ある日、突然に、日常を奪われて、非日常に叩き込まれる」ところ。

「人生の進路を大きく変えざるを得ない」ところ。

「命をおびやかされる」ところ。

「病人という共通性だけで、年齢も境遇も異なる人たちと一部屋で、苦しみを共にしなければならない」ところも似ているでしょう。 自分の家に帰ることはできないのです。

大学生だった私は、人生にとても大きな期待を寄せていました。いろんなことができると思っていましたし、いろんなことが起きるだろうと思っていました。

想像しきれないほど、それは豊かなものに感じられていました。

ところが、「もはや人生からは期待通りのものは得られない」と宣告されてしまったのです。大半をベッドの上で過ごさなければならないかもしれませんでした。

そのとき、私の救いになったのは、フランクルという精神科医の書いた本でした。彼はユダヤ人で、第二次世界大戦中に、ナチスの強制収容所に入れられてしまいました。

いつガス室に送られるかわからない死の恐怖と、過酷な強制労働と、劣悪な生活環境。その中でフランクルは、さまざまなことに気づきました。

仲間が次々に病気などで死んで行きましたが、それは身体が弱い順ではありませんでした。希望を失った人から順番に死んでいったのです。希望を持っている人は、それだけ耐える力も強かったのです。しかし、いつ殺されるかわからない絶望的な収容所で、どうして希望を持つことができるでしょう?

ある人は、いつか解放されたときに、自分がやるべき仕事を持っていました。その仕事のために生きようとしていました。

ある人は、自分を待っている最愛の人がいました。その人のために生きようとしました。

ある人は、収容所の他の人たちを助けるために生きていました。自分も同じようにつらいのに、他の人の面倒を見ていたのです。

つまり、「何かいいことがあるのでは」と、自分に何かが与えられることを期待するのではなく、自分が人に対して、あるいは社会に対して、何かを与えようとしていたのです。

そういう人たちは、生きる力を失わなかったのです。

「人生に期待するのは間違っている。人生のほうが私たちに期待しているのだ」

これはフランクルの言葉です。

私は人生が自分に何かを与えてくることを期待していました。そして、それが与えられないことに絶望していたのです。しかし、本当は自分のほうが、人生から期待されていたのです。

その期待に応えるためには、私は絶望から抜けだし、ベッドの上でもできることとして、原稿を書き始めました。それが今につながっています。

今は幸いにして、医師の宣告が外れて、普通の人とほとんど変わらない生活を送ることができています。そして、人生の期待に応えることを心がけています。

<賢者の答え>

本Aの言葉「信じれば、必ず夢はかなう」

→この意見に励まされたあなたは……

これも素晴らしい言葉です。信じることで、人の力は倍増します。

「できる」と思っているのと、「できないかも」と思っているのとでは、発揮できる力がまるでちがうのです。

ただし、注意すべき点があります。自分を信じて、夢をかなえるために努力するのなら、まったく問題ありませんが、「いつかいいことがあるはずだ」と、ただ信じて待っているだけだと、それこそ「人生に期待する」だけの人になってしまいます。

また、フランクルはこんな事例も紹介しています。あるとき、クリスマスまでに収容所から解放されるといううわさがあって、みんなとても期待したのだそうです。

しかし、 解放されませんでした。そのとき、その解放を信じて、それを希望にして生きていた人たちが、とても大勢亡くなってしまったのです。

ただ信じて待つだけでは、かえって深い絶望につながってしまう場合もあります。信じるのはあくまで自分自身で、夢に向かって努力することが大切です。

本Bの言葉「欲を捨てて、すべてを受け入れよう」

→この意見に励まされたあなたは……

これも素晴らしい言葉です。欲があるからこそ、満たされないことに苦しんでしまいます。そして、欲望にはきりがありません。どんな専制君主も満足したためしはありません。それどころか、どんな地位になっても、満たされない欲望があることを知って、かえって苦しむほどです。

たとえば、初めて中国を統一した秦の 始皇帝は、すべてを思いのままにしましたが、不老不死だけは得られないことに苦しみ抜き、けっきょく怪しげな不老不死の薬を飲んで、早死にしてしまいました。

欲を捨てて、すべてを受け入れることができれば、こうした苦しみからは逃れられます。しかし、そのためには、それこそ釈迦(しゃか)のように出家する必要があるでしょう。

普通に生活しながら、つまり仕事や恋愛をしながら、欲を持たず、ありのままを受け入れるというのは、逆にとても困難なことです。常人にはなかなかできることではありません。心がけとしては、ぜひ心に刻んでおきたい言葉ですが、誰にでもすすめることは難しいように思います。

本Cの言葉「人生に期待するのは間違っている。人生のほうが私たちに期待しているのだ」

→この意見に励まされたあなたは……

人は期待が裏切られると、とても落胆してしまいます。しかし、逆に自分が期待されているときには、それに応えようと頑張れるものです。期待に応えることには、人としての喜びや誇りがあるのです。

もちろん、他人から過度の期待を寄せられると、重荷になってしまいますが、「自分の人生」からの期待であれば、そういうことはありません。ケネディの就任演説の有名な言葉、「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるか」にも似ていますね。

ぜひ人生の期待に応えて、あなたができることをやってみてください。こういう考え方こそが、逆境を生き抜く力となるはずです。

お話/津田秀樹先生

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