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「やぶ医者」と恨んだ日々…私がわが子の障害を受容し、ありのままを認めるまで

  • 2021.3.21
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わが子に「障害がある」と言われたら?
わが子に「障害がある」と言われたら?

「お子さんには発達障害がありますよ」。そう言われ、「はい、そうですか。分かりました」とすぐに受け入れられる親御さんは少ないと思います。私の息子は2歳3カ月のとき、自閉症と診断されました。私は衝撃を受け、その事実を受け入れることができませんでした。さらに、診断した医師を「やぶ医者だ」と恨み、「自閉症ではないですよ」と言ってくれる医師を求めて1年間、ドクターショッピングをしたのです。

「障害」を受容する過程

米国の精神科医キューブラー=ロス氏が1969年に発表した著書「死ぬ瞬間」には、死を受け入れるまでにたどる心理段階について、次のようなことが書かれています。

(1)否認と隔離:「“自分が死ぬ”ことはうそではないのか」「自分が死ぬなんてことはあり得ない」と疑い、死を認めようとしない段階(2)怒り:「なぜ、自分が死ななければならないのか」という怒り、恨みを周囲に向ける段階(3)取引:何かにすがろうとする心理状態で、「死なずに済むのなら○○をしてもよい」など、交換条件のように取引を試みる段階(4)抑うつ:後悔の念や衰弱が伴い、何もできなくなる段階(5)受容:自分の死を受け入れる最終的な段階

これは死への心理的経過について記述したものですが、障害を受容する過程も似ているのではないかと思います。私の場合、最初は誤診だと思い(否認)、発達障害でない「定型発達」の子と比較して、「どうして、うちの子が」と感じ(怒り)、「自閉症ではないですよ」と言ってくれる医師を探して、何かにすがろうと療育に期待しました(取引)。しかし、自閉症が治るわけではなく、定型発達の子どもとの差はますます開くばかりで抑うつ状態に陥ったからです。

息子は小児専門の精神科病院内の療育に通っていました。ある日、病院に早めに着いて敷地内を散歩していたとき、ふと、鉄格子が目に入ったのです。近づいてみると鉄格子越しに、小学生くらいの男の子が閉じ込められていました。さらに、ベッドと椅子、そして、自傷を防ぐために身体拘束をするベルトもありました。

私は診察時、医師に「まだ小さな子がなぜ、入院しているんですか?」と尋ねました。医師は「この病院には、家族が障害を受容していないために適切な育成環境を与えられず、それが原因で2次障害を起こして入院している子が多くいます。入院病床の全264床は満床です。お母さまも気を付けて育ててください」と言いました。

この医師の言葉で目が覚めた私はそれから、わが子の障害を受け入れてはみたものの、「普通の子に近づけよう! できることを増やそう! それが親の責任だ」と躍起になりました。そして、「熱心な無理解者」となってしまったのです。「熱心な無理解者」とは、児童精神科医の佐々木正美さんが提唱した言葉です。

・「障害というハンディがあるのだから、今、つらくても頑張らせることが本人の将来のため。それが愛情だ」と思っている・苦手を克服させようと必死に努力させ、「やればできる」と過度な期待を抱いている・「どうやったらこの子は○○ができるようになるのだろうか」と、できないことばかりにスポットを当てがち・偏食を徹底して直そうとする・本人にとって難しいことであっても、みんなと同じことができるようにさせようとする・本人の意思を考えずに才能を開花させようと躍起になりがち・「障害に伴う困難の改善」ではなく、「障害そのものの克服」を目的にしている

5歳までは保育園に通わせ、定型発達児がいる中で、障害のある子は息子一人でした。心を通わせるママ友もいない状態で、私は「お友達に少しでも近づけよう」と必死になっていました。しかし、こうした状況は息子の小学校入学とともに終わりを迎えます。特別支援学校に入学してからは放課後等デイサービスに通い、きめ細かく、温かい対応をしてくれる学校の先生やデイサービスのスタッフ、また、同じ障害のある子を持つママ友と交流するうちに、私は“モーレツ母さん”から徐々に卒業できました。

「幸せな人生」と言えるために

息子は現在20歳です。できないことがたくさんあります。しかし今、強く思うことは「何でも1人でできるようになることだけが自立ではない」ということです。人は、1人でできないことの方が多いのですから、できないことがあれば、できる人に頼ればいいのです。例えば、息子は成人した今も計算ができません。しかし、コンビニで好きなお菓子を買うことが楽しみになっています。なぜ、計算ができないのに買い物ができるのか。それは、レジの人に助けてもらっているからです。

親はいつか、子どもとお別れする日がやってきます。いつまでも世話をしてやれないのですから、「他人に頼ること」は親亡き後のことを考えれば必要な力だと思っています。できないことは誰かに助けてもらって生きる、これも自立の形だと思います。さらに、頼れる人をたくさんつくっておくことも自立です。「人に迷惑をかけない子」ではなく、「できないことにはSOSを出せる子」に育てることも大切だと思うのです。

真の受容とは、親が今まで持っていた古い価値観を捨てること。そして、わが子を「あなたはあなたのままでいい」と承認することです。これは「普通」であることの呪縛を断ち切り、「世間体」「世間並み」といった横並びの生き方と決別し、わが子にとって最も幸せな生き方を理解して、寄り添うことなのではないでしょうか。

私の最大の願いは息子が人生最後の日を迎えるとき(その頃、私はもうこの世にはいませんが)、「僕の人生は幸せだった」とつぶやいて天国に行けることです。皆さんの願いは何ですか。その答えがきっと、親と子の寄り添い方を教えてくれると思います。

子育て本著者・講演家 立石美津子

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