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どうしたら届く?助けての声。避難先で私にできること #あれから私は

  • 2021.3.11
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東日本大震災が勃発したとき、ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。その震災の記録第7話です。


食料がなくて冷凍庫にあるもので何とか耐えている母、水をもらうために何時間も並んでいる妊婦の友だち、私の大切な人たちが食料や水に困りながらも、黙々と頑張っていました。

原発事故の収束の見通しは立たず、いつ何があってもおかしくない状態。自分で助けに行くことはできない。「助けて」と言いたいけど、だれに言えばいいのかわからない。そんな追い詰められた気持ちが続いていました。

私の故郷は海が近いので津波の被害がありました。実家は海から少し離れているものの、ほんの数百メートル離れたところまで海水が押し寄せたそうです。

住めなくなった家や施設があったり、景観が変わってしまったり。見慣れたはずの場所が、まったく違う場所のようになって、テレビに映っていました。

このころSNSには心ない中傷やデマ、憶測もたくさんあふれていて、だれかを傷つけたりパニックを引き起こしたりすることもよくありました。でももしツイッターなどのSNSがなかったら、そしてたくさんの人が拡散してくれなかったら、福島県、茨城県の困っている人たちの声は届かなかったかもしれない、と個人的には感じていました。

原発事故収束のため日夜必死で頑張ってくれていた方々。まだ高速道路はあちこちガタガタで、鉄道も復旧しないなか、物資の輸送を再開してくれた物流関係の方々。本当にたくさんの人の並々ならぬ努力のおかげで、一番深刻な局面を乗り切ることができたんだと、今改めて思います。


自分にできることを探して動き始めた和田さん。前に向かって和田さんが感じ、決意したこととは…。次回へ続きます。

※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。


著者:イラストレーター 和田フミ江

姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。

ベビーカレンダー編集部

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