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「W杯優勝の元なでしこ」岩清水選手が出産後半年でピッチに戻ってきたワケ

  • 2021.3.9
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日本では、子育てをしながら第一線で活躍する女性アスリートは非常に少ない。昨年2020年にその一人に加わったのが、2011年のドイツワールドカップで史上初の優勝を果たしたなでしこジャパンのDF(ディフェンダー)岩清水梓選手だ。妊娠がわかり、一時は引退を考えたという岩清水選手が、出産後もプレーを続けることを決めたのはなぜなのか。スポーツライターの元川悦子さんがリポートする――。

2011のドイツワールドカップで優勝したなでしこジャパン。2011年7月17日、ドイツ・フランクフルト
2011年のドイツワールドカップで優勝したなでしこジャパン。前列左から2人目が岩清水選手。2011年7月17日、ドイツ・フランクフルト
ドイツW杯、ファウルで決定的なピンチを防いだ

東日本大震災で日本中が打ちひしがれていた10年前の2011年。傷ついた人々に勇気と希望を与えてくれたのが、なでしこジャパン(サッカー女子日本代表)だった。

同年6~7月にかけてドイツで行われた2011年女子ワールドカップ(W杯)で、日本はドイツ、スウェーデン、アメリカといった強敵を次々と撃破し、史上初の世界チャンピオンに輝いたのだ。

この大会で守備の要としてフル稼働したのが、日テレ・東京ヴェルディベレーザ所属の岩清水梓選手だった。

岩手県岩手郡滝沢村(現滝沢市)で1986年10月に生まれ、1歳で神奈川県相模原市に移り住んだ彼女は、小学校1年生の時に男子チームでサッカーを始めた。そして中学生になると同時に入った日テレ・東京ヴェルディベレーザの育成組織・メニーナで鍛えられ、2006年からは日の丸を背負うようになった。2007年女子W杯(中国)、2008年北京五輪など、世界舞台で着実に実績を重ね、ドイツの大舞台で大活躍した。

ドイツのW杯では、全6試合にスタメン出場。決勝・アメリカ戦では、延長戦終了間際に相手エースを倒して一発退場処分を受けたが、このプレーによって日本は決定的なピンチを阻止した。

「『どうやってでも、絶対に相手を止めないといけない』と思いました」

彼女の鬼気迫る思いを澤穂希選手、宮間あや選手らチームメートも受け止め、直後のフリーキックを全員で守り切りPK戦へと持ち込んだ。PK戦でも「イワシのために」と全員が闘志を燃やし、最後のキッカー・熊谷紗希選手(フランスの女子クラブチーム、オリンピック・リヨン所属)が決め切り、日本は過去に一度も勝てなかった宿敵を撃破。ついに頂点に立った。

この年の夏には国民栄誉賞も授与された、なでしこの勇敢な戦いは、多くの人々の脳裏に焼き付いたはずだ。

「サッカーは引退するつもりだった」

岩清水選手はその後、2012年ロンドン五輪銀メダル、2015年女子W杯(カナダ)準優勝という栄光を重ね、2017年以降は所属する日テレでのプレーに専念してきた。

そんな彼女が結婚・妊娠を電撃発表したのは2019年10月のこと。何の前触れもなかったため、関係者やファンは大いに驚かされたが、本人にとっては32歳の1人の女性として、ごくごく自然な選択だったという。

「旦那さんとは数年前から付き合っていましたし、結婚は予定通りのタイミングでした。選手としてチームのことを考えると、葛藤が全くなかったとは言えませんが、年齢的にも早く子供がほしかったので、妊娠できたのも嬉しかったです」

実は妊娠がわかった時点では、サッカー選手を引退するつもりでいたという。

「年齢的にも『もういいかな』と思ったし、子供を産んだら子育て中心の生活をするのは当然だと思っていたので。でも両親に伝えた時に『もう少しサッカーも頑張ってみたらいいんじゃないの』と言われて、ハッとしたんです。旦那さんにも相談すると『続けたいんならそうしたらいいよ』と言ってくれた。それで考えがガラリと変わって、出産後もプレーを続ける決心をしました」

ピッチに立つ、妊娠前の岩清水選手
ピッチに立つ、妊娠前の岩清水選手。日テレでは日本女子サッカーリーグ(Lリーグ)通算287試合出場、21得点の記録を持つ
背中を押した、先輩の姿

前向きな決断を下せた背景として、子育てとサッカーを両立させていた先輩・宮本ともみさん(現U-19日本代表コーチ)の存在があった。2005年に出産した宮本さんは、翌年にリーグ戦に戻り、なでしこジャパンにも復帰。若かりし日の岩清水選手は彼女と共に2007年女子W杯(中国)に参戦している。

「宮本さんが日本代表活動を続けるに当たり、日本サッカー協会(JFA)がベビーシッターを雇って息子さんの面倒を見ていました。そうやって子育てとサッカーをしている姿を身近で見ていたので、私にとっては未知なる世界ではなかった。その前例も、自分を後押ししてくれたと思います」

海外で見た女性アスリートたちの姿にも影響を受けていた。

「海外遠征やW杯に行った時も、アメリカなどの代表選手には、子連れで試合に来ている人が何人もいました。『そういうのはいいなあ。いつか自分も子供と一緒にグランドに立てたらいい』という夢も描いていた。それを実現すべくチャレンジしようと決めました」

そうと決まれば、体力維持は欠かせない。岩清水選手は、妊娠中でも可能なトレーニングがないかを探し、取り組むようになった。幸いつわりがなく、食欲がなくなったり、寝込んだりすることもなかったため、思った以上に動けたという。

「最初は、荷重の少ないトレーニングから着手しました。妊娠初期の2019年夏くらいから徐々に始めて、少しずつ強度を上げていこうと考えていたんです」

妊娠中も指導を受けながらトレーニング

そんな時、なでしこジャパンのチームドクターでもある土肥美智子医師が、日本スポーツ科学センター(JISS)に産前・産後期アスリートを支援するプログラムがあると紹介してくれた。

「それで、JISSのトレーニング指導を受けられることになったんです。所属チームには男性のトレーナーしかいなかったのですが、JFA(日本サッカー協会)が女子代表のトレーナーである中野江利子さんを日テレのクラブハウスに派遣してくれました。手足のストレッチなど、負荷の軽いメニューを一つひとつ丁寧に教えてもらいましたし、同性の方が対応しやすい箇所のトレーニングや治療もしてくれました。そういうサポートは非常に心強かったです」

食事面のコントロールも必要だった。長年、女子サッカー界のトップを走ってきた岩清水選手は、日常的にハードなトレーニングや試合をこなしていたため、食事も好きなものを好きなだけ摂取するスタイルだった。妊娠前は、それでも全く太ることはなかったという。しかし、本格的にプレーできない妊娠中はそうはいかない。

「妊娠しても、10kg以上は体重を増やさないでくれ」

産婦人科の健診で担当医に言われ、初めて食事制限を試みた。

「それまでも自炊はしていましたし、料理をするのも嫌いじゃなかった。バランスを考えた食事は心掛けていました。でも、量を減らしたり、炭水化物を少なくするというのは結構つらかったですね。お腹が大きくなってくると、動くのもおっくうになりがちなので、余計に食事に気を付けようと思いました」

妊娠前、試合中の岩清水選手
妊娠前、試合中の岩清水選手。最終ラインの統率力は際立っている
32時間かかった出産、「やっと終わった」

こうして、妊娠中もアスリートであることを忘れず過ごし、臨月を迎えた岩清水選手。出産予定日の2020年3月1日の深夜、日付が変わる直前に陣痛が来た。初産は予定日よりも早まったり遅れたりしがちだが、ここまでは計画通り。しかし、その先がとにかく長かった。

「長年、アスリートだったせいか、体の筋肉が多くて硬かった分、子宮口がなかなか開かず、ずっと痛みが続いたんです。私はサッカーでいろんな痛みを経験しましたけど、出産の痛みは想像をはるかに超えるものがありました」

「結局、32時間格闘が続き、3月3日の朝9時に息子の産声を聞くことになりました。生んだ瞬間の心境は『やっと終わった』(苦笑)。疲れ切った印象しかないです。それでも痛みはすぐに忘れるし、子供の圧倒的なかわいさが先に立つ。だから女性は何人も子供が欲しいと思えるんでしょうね(笑)」

「しんどかった」産後の2カ月

コロナ禍の今は立ち合い出産が許されないケースも少なくないが、岩清水選手は緊急事態宣言前で何とか間に合った。

「入院してから出産するまで、旦那さんがずっとそばについて励ましてくれました。その存在は本当に心強かった。もし1人だったら、途中で投げ出してしまいたくなったかもしれないです」。さすがのW杯王者にとっても出産は別物。パートナーの協力の重要性を痛感したようだ。

とはいえ、生んですぐトレーニング復帰というわけにはいかなかった。産後2カ月間は子育てに集中することになる。全ての母親が感じることだろうが、新生児が2時間おきに目を覚ますこの時期は、戸惑うことばかり。サッカーで数々の修羅場をくぐってきた彼女も「一番しんどかった」と打ち明ける。

「息子が寝て、起きて、泣いて……を繰り返すので、自分のペースでは全く寝られません。それまでの自分は、アスリートとしてのコンディションを第一に考え、睡眠の質を追求したり、自分に必要な睡眠時間を取るように心掛けてきたので、寝られないことがここまでストレスになるとは思いませんでした。母親としても初心者ですから、泣くたびに何が必要なのか、どうしたらいいのかを考えますし、不安にもなる。最初の2カ月間はホントにいっぱいいっぱいでした」

岩清水選手
岩清水選手
サポートなしでは両立できない

その時も出産時同様、夫が支えてくれた。緊急事態宣言下で外に出て仕事をする必要がなくなったため、夫がほぼ在宅していたことが岩清水さんにとって大きな助けになった。

「旦那さんは子育てに協力的で、息子が泣いたらあやしてくれたり、おむつ交換も率先してやってくれました。お風呂も担当してくれて、むしろ私より手際がいいくらいでした。『自分の子供なんだから、男性が育児に参加するのは当たり前』という考えを持っていたのは心強かったですね。そこは『男は台所にも立たない』といった感じの自分の親世代とは全く価値観が違うなと感じました」

昨今の女性アスリートを見ると、女子バレーボールのキャプテン・荒木絵里香選手(トヨタ車体)や女子100mハードルで2021年夏の東京五輪を目指す寺田明日香選手のように、子育てと競技を両立させる例は少しずつだが増えている。荒木選手が実母の全面的なサポートを受けながらプレーに励み、寺田選手も夫と家事育児を分担しながら高みを目指すように、やはり周囲のサポートは不可欠だ。

岩清水選手が、出産直後の心身ともにギリギリだった状態を乗り越え、再びサッカー選手としてトップに挑んでいこうと思えたのも、夫の積極的なサポートがあったから。頼もしい援軍を得て、彼女は出産から3カ月後の2020年6月からトレーニングを再開することになった。

文=元川 悦子

岩清水 梓(いわしみず・あずさ)
サッカー選手(日テレ・東京ヴェルディベレーザ所属)
1986年、岩手県生まれ。小学校1年からサッカーを始め、1999年に同クラブの育成組織・メニーナ入りし、2003年にベレーザに昇格。2006年に日本代表デビューし、2008年北京・2012年ロンドンの両五輪、2011年・2015の両女子W杯など世界舞台で活躍。国際Aマッチ122試合出場11ゴールという実績を誇る。日テレでは2021年からは背番号を22から33へ変更。ポジションはDF(ディフェンダー)

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