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羽田空港だけじゃない? ユーミンも歌った「都内もうひとつの空港」とは

  • 2021.3.9
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東京の空港と言えば、真っ先に思い浮かぶのは羽田空港ですが、実はもうひとつ空港があるのをご存じでしょうか。ライターで写真家の石津祐介さんが解説します。

伊豆諸島の玄関口としての飛行場

東京都の多摩地域東部に位置する調布飛行場(調布市西町)は都営の空港で、正式名称を「東京都調布飛行場」と言います。地域航空会社である新中央航空(茨城県龍ケ崎市)が

・新島・伊豆大島・神津島・三宅島

へ定期便を運航しており、東京都島しょ部の交通として、また島で釣りやサーフィンなどレジャー目的としてよく利用されています。

この路線で使用されるのは、ドイツ製の「ドルニエ228」という飛行機です。

19人乗りの旅客機「ドルニエ228」(画像:石津祐介)

主翼が窓の上側にあるので飛行中は眺めがよく、三浦半島や相模湾、伊豆七島など遊覧飛行のような風景が楽しめます。また19人乗りと小型な機体で、バランスを取るために搭乗手続きの際に手荷物の重量とともに体重もチェックされます。

飛行場に隣接する武蔵野の森公園(府中市朝日町、調布市西町、三鷹市大沢)には、展望台や小高い丘など飛行場を一望できるスポットが多くあり、間近で飛行機の離着陸を見ることができます。運航スケジュールをホームページで確認して飛行機を眺めてみましょう。

調布基地を追い越し

ユーミンこと松任谷由実(旧名・荒井由実)のヒット曲「中央フリーウェイ」の歌詞に「調布基地を追い越し~♪」というフレーズがあります。

そんな調布飛行場は1941(昭和16)年、東京調布飛行場として開港し、戦時中は日本陸軍が使用し戦闘機が配備されていました。戦後はアメリカ軍に占領され、1973年に日本に返還されます。

中央フリーウェイが収録されたアルバム「14番目の月」が発表された1976年には既に日本に返還されているのですが、歌詞の中にあるサントリーのビール工場や府中競馬場など、当時の風景を歌ったユーミンに思いをはせると70年代の風景がよみがえってくるようです。

1976年に発表された「14番目の月」(画像:EMIミュージック・ジャパン)

返還された調布基地の広大な敷地は運動公園として整備され、サッカー場や野球グラウンドになっており、南側には味の素スタジアム(調布市西町)や武蔵野の森総合スポーツプラザ(同)があります。

飛行場周辺に残る調布基地の痕跡

飛行場周辺では、今でも基地当時の名残を見ることができます。

飛行場の南北に通る「大沢グラウンド通り」の南側には、飛行場が完成した当時に設置された正門の門柱の跡が残っています。軍民共用の飛行場として開設された調布飛行場ですが、第2次世界大戦中には主に旧日本陸軍が使用しており、戦争が激化すると拡張され関連施設を含めると60万坪を上回る規模となりました。

戦時中は、飛行場に多くの戦闘機が配備されていました。その戦闘機を攻撃から守る目的で作られた「掩体壕(えんたいごう)」の跡が残っています。

戦闘機「飛燕」のイラストが描かれた掩体壕「大沢1号」(画像:石津祐介)

戦後、多くの掩体壕は解体されましたが、敵の攻撃から守るために作られた掩体壕はかなり丈夫で解体が難しく、そのまま倉庫などとして使われました。公園には「大沢1号」と「大沢2号」と呼ばれる掩体壕が当時のまま残っています。

また、公園の敷地内にある武蔵野の森公園サービスセンターでは、工事の際に発見された戦闘機「飛燕」のプロペラが展示してあり、見学することができます。

公園の北側には「玉石造の水路」の跡が残っています。これは戦時中に飛行場から水が侵入するのを防ぎ、また基地との周壁として代用するために作られました。当時は野川までつながっていたようですが、現在は水路の一部が残るのみとなっています。

取り壊された幕末の英雄の生家

飛行場の北側には、幕末に活躍した新撰組の局長・近藤勇の生家跡があります。生家は1943年に飛行場から離陸する航空機の妨げになるとして取り壊されました。

近藤勇は1834(天保5)年に宮川家の三男として生まれ、その後、近藤家の養子に。豪農であった宮川家は、2000坪以上の広大な敷地に主屋のほか、蔵屋敷や文庫蔵、納屋などがあったようですが、現在は近藤勇が生まれたときに産湯に使ったと伝えられる井戸が残されるのみとなっています。

生家跡の向かい側に移築された道場「發雲館」(画像:石津祐介)

生家の向かい側には、近藤勇の養子が開いた道場「發雲館(はつうんかん)」があります。生家が取り壊された際、道場は移築されましたが、道路工事で移転が必要となり生家跡地の向かいに移築されました。

飛行場の周辺は桜の名所としても有名で、花見がてら離着陸する飛行機を眺めるのもよし、史跡を散策するもよし。これから暖かくなる季節に、散策を兼ねて訪ねて見てはいかがでしょうか。

石津祐介(ライター、写真家)

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