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「そんなにがんばらなくていいよ」なんて言葉に意味はあるのか

  • 2021.3.6
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がんばることにどこか違和感を覚えてしまうという雨あがりの少女さん。ところが、「そんなにがんばらなくていいよ」と誰かに声をかけてみても、空虚な響きがするだけ……。がんばらないことの難しさ、「がんばらなくていいよ」というときの覚悟をめぐり、雨あがりの少女さんが紡ぐ、愛の言葉をお届けします。

■みんな、がんばりすぎじゃない?

小学生のころから学校をよく休んでいた。学校が嫌いだとか、友達と喧嘩したとか、宿題をやってないとか、そういうちゃんとした理由はとくになく、ちょっと頭が痛いかもとか、なんとなく体が重たいとか、そんな感じで気軽に欠席の連絡をしていた。高校生のころには、台風が来たとか、鼻にニキビができたとか、さらに欠席のきっかけが加わった。それでも学校や友人が嫌いなわけでもないので翌日には登校し、いちおう毎度ギリギリのところで進級や卒業をしてきた。

そんな私から見ると、学校の壇上で「皆勤賞」の賞状をもらっている人は、ものすごい存在に思えた。なかには小学校から高校まで1日も休まず皆勤の人もいるらしい。信じられない。もしかして、風邪もひかないしニキビもできないし学校の隣に住んでいて雨に濡れないのだろうか。その可能性もなくはないが、きっとそうではなくて、彼らもたまには風邪もひくしニキビもできるし雨にも濡れるだろう。休むことへの意識の問題なのだと思う。

がんばっている人を見ると、ついつい「そんなにがんばらなくていいよ」と言いたくなってしまう。しかし、当然ながら、みんながみんな私と同じではない。たとえば父は週6日必ず出社していて、長い社会人人生のなかで欠勤したことはほとんどないそうだ。深夜に嘔吐しても翌朝には出社する。「もっと楽をしてもいいんじゃない?」と私は思うのだが、父に言わせれば「休むより、何も考えずにいつもどおりに会社に行ったほうが楽」なのだそうだ。

■「がんばらなくていいよ」を伝える難しさ

何が楽で、何が幸せかは、人それぞれだ。人生ほとんどがんばったことのないような私がむやみに「がんばらなくていいよ」と言ったとしても、誰かに強く響くことはないのかもしれない、とも思う。でも、それでも伝えなくてはならない、と思うときがある。「がんばらなくては自分に存在価値はない」と思いこんでいる人を前にしたときだ。

かつて付き合っていた恋人が仕事をがんばりすぎて体を壊し入院したとき、「何かしなければ不安だ」ともがく彼に、「もう今はがんばらなくていい」ということをどう伝えようか迷った。単に「がんばるな」と言うのは、これまでがんばりを支えにしてきた人には抑圧のように聞こえるようだ。「がんばってもいいけど、がんばらなくてもいい」「あなたのがんばる姿だけを好きになったわけではない」「寝ているあなたも一日中ゲームをするあなたもかわいい」とにかくそういうことを繰り返した記憶がある。

あのころ思い出していたのは、私が子どものころに親に言われていた言葉だった。「ゴロゴロしている姿がアザラシみたいでかわいい」「ぼんやりしていてお地蔵さんみたい!」など。褒められているのか貶されているのか微妙なところだが、ただがんばらない姿を無条件に愛されていたのだとわかる言葉たち。これがあったから私はがんばらないままで生きてこられたのではないか。だから、「がんばらなければダメ」という価値観の中で育った彼に少しでも、「人間の価値は努力で決まるわけではない」と伝えたかった。

昨今はご自愛ブームで、「がんばらないで」「無理しないで」といった言葉がよく聞かれるようになった。その一方で、競争教育や努力偏重の価値観も根強く残り、そのはざまでバランスが取れない人もいるのではないかと心配になったりもする。「そんなにがんばらなくていいよ」ということをしっかり伝えるためには、がんばるがんばらないに関わらず人を認め、優しい言葉をかけていくことが必要だと思う。

■休んでいても怠けていても、がんばらなくても生きていい

当時の恋人とは今は別れてしまったが友達になっていて、少し前に「もうすぐ子どもが産まれるんだ」と話していた。「だからがんばって働かないとな!」と意気込む彼に「変わらないね」と返すと、「あの頃はがんばらなくちゃいけないからがんばっていたけど、今はがんばりたいんだよ」と言っていた。「でも、無理しないで」という私の言葉は昔よりも彼に響いたと信じたい。

がんばらなくても生きていていい。休みたいと思ったらいつでも休んでいい。休んだ日にふらっと飲みに行ってもいい。日がな怠ける姿も愛らしい。そんなふうに誰もが思えるわけではないだろうが、少なくとも私は、誰に対しても、そう思っている。「がんばらなくていい」という言葉を発するからには、それが上辺だけの空虚なものにならないよう、人を愛していきたい。

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