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EDITOR'S LETTER 「ハレ」と「ケ」、メリハリがあるから人生は面白い

  • 2021.3.1
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「ハレ」と「ケ」という言葉は日本人なら聞いたことがあるはず。「ケ」はニュートラルな日常、「ハレ」は晴れ着や晴れ舞台に代表されるような、非日常。古来日本では農業などをして働いて、質素な食事をして、寝て、という日常が当たり前で、時々、祭りのような非日常を楽しむ文化があった。それが、人々が豊かになって都市で働くようになると、毎日が「ハレ」のような状態になるし、より強い刺激がないと非日常を感じられなくなっている……。

先日読んだ、内田 樹さんと釈 徹宗さんの共著『現代霊性』(講談社)にそんな話が書いてあり、ハッとした。そうそう、私が感じていた「毎日ご馳走、毎日自分にご褒美という生活を続けていたら、ご馳走にもお酒にもちっとも感激しなくなってきた」という感覚はコレだ!

先日、沖縄にルーツをもつ友人が、おばあの教えとして子どもの頃から毎日唱えている言葉を教えてもらったときにも、同じようにドキッとした。

「天地の神様がた、××家のご先祖様、○○家のご先祖様、△△家のご先祖様、□□家のご先祖様、今日、何事もなく楽しく過ごせたことを感謝します。今日は〜〜なうれしいことがありました」

そう、いいことがあったから感謝するのではなくて、何事もなく過ごせただけで感謝すべきことなのだ。そして、何事もない1日の中でも、その中でうれしかったことを探して、自覚してそのことにも感謝する。

人はいつだって楽しいことを求めてしまうものだし、私も毎日楽しい予定を作りたくなる。そして、楽しい予定がないと、それだけで残念な気持ちになったりもする。それは、「毎日がハレの日病」のようなものなのかもしれない。おばあの教えのように、何事もなく過ごせることが幸せと、まずは自分のベースラインを地味で変化がない「ケ」の日常に持ってくる。そして、その日常に日々感謝しながら暮らし、時々、おしゃれして、ご馳走を食べて、特別なことをする「ハレ」の日を作る。そうすると、きっと毎日がハレの日だった時よりも、ハレの日の喜びは何倍にもなるはず。

年始から続いているこの外出自粛、人と会うこと自粛の日々も、言ってみれば究極の「ケ」の状態とも考えられる。みんなで集まってはしゃいだりもできないし、ドレスアップして出かけるところもない。日々、家でご飯を食べて仕事をして、部屋着に包まれて地味な趣味を楽しむ。

これまでの「毎日がハレ」に慣れすぎているから、最初は「毎日がケ」であることに抵抗もあったしストレスも感じた。けれど、これが真っ当な日常だと思えば、コロナは私たちを異常な興奮状態から本来のあり方に引き戻してくれたのだとも考えられる。

ときめく予定が何もなくても、不自由なくごはんをいただけて、自分や大切な人が健康で、食べていくのに困らない仕事がある。もうそれだけで何て幸せなことなのか。「ハレ」と「ケ」を自分の中で意識して、日常と非日常のメリハリをつけるトレーニングに、今ほど最適なタイミングはない。

だから今日も地味な日常に感謝の気持ちをもって、日々の中にうれしいことを探していこう。

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