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夫には内緒の買い物 気がつけば地獄(1)

  • 2021.2.23
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起こったトラブルをSNSに書き込んだら… (C)岡部えつ/KADOKAWA
起こったトラブルをSNSに書き込んだら… (C)岡部えつ/KADOKAWA

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気がつけば地獄 1話

SNS上で仲良くなった相手は、夫の愛人でした。

パート勤めの主婦・紗衣の元にやってきた荷物。それは夫に内緒で購入した美顔器と入れ替わって届いてしまったものだった。その誤配達を企んだのは夫の愛人である夏希。夏希はその出来事をきっかけにSNS上で紗衣を発見し、身元を隠して交流を深め…。

正体を隠しながら距離を縮めていく2人の女性、そして変わりゆく夫婦関係…衝撃展開が繰り広げられるサスペンス『気がつけば地獄』から、10話までを連載でお送りします。今回は第1回です。

※本作品は岡部えつ著の書籍『気がつけば地獄』から一部抜粋・編集した無料試し読み連載です

 (C)岡部えつ/KADOKAWA
(C)岡部えつ/KADOKAWA

【第1回 秘密の買い物】

来た来た来た!

子供のようにはしゃいだ気分で玄関のドアノブを掴んだとき、急かすように二度目のチャイムが鳴った。

「中屋さん、コウノトリ便でーす」

「はあい、今開けます」

勢いよくドアを開けると、立っていたのは最近よく来るようになった若い女性配達員だった。日焼けを嫌ってか、いつもユニフォームの帽子を目深にかぶって目を見せないので、表情がわからない。(いい心がけだけど、子供ができたらそんな気遣いもみんな水の泡よ)と思っても口には出さず、菓子折ほどの大きさの段ボール箱を受け取って、シューズボックスの上に載せる。

「ご苦労さま」

受領書にサインして返すと、差し出してきた手も腕も、嫌味なほど真っ白で、しみひとつない。頬や首はさらに白く、輝いてさえ見える。

「毎度どうもでーす」

棒読みで言って背を向けるとき、彼女が一瞬顎を上げ、わたしの顔を見た気がした。嘲笑われたように思うのは、完全にひがみだ。わかっている。だからこれを買ったのだ。もう人をひがみ続けるのは嫌だから。ひがまれていた頃の、自信に満ちた自分に戻りたいから。

ドアの鍵を閉めると、ダンボール箱を持って小走りしながら、送り状を剥がし取った。ダイニングに入ってそれをゴミ箱に捨て、その手でカウンターのペン立てからカッターナイフを引き抜く。そしてテーブルに載せた段ボール箱に、そっと刃先を入れる。中の商品パッケージを傷つけてしまったら返品できなくなるから、慎重に、慎重に。

いいや、あれだけ悩んで考え抜いて買ったのだ、口コミサイトでもほぼ高評価だったし、写真入りで効果を証明している購入者のブログだってやらせとは思えなかった。最後は大型家電ショップで実物も見て、店員から説明を受けて納得もしたではないか。返品してしまったら、また明日から思い悩む日々が始まってしまう。それはもう、嫌だ。

蓋が開くと、マシュマロのような緩衝材がいくつも飛び出てきた。そこから、わくわくしながら中に入った箱を取り出し、テーブルに置いたところで手が止まった。家電ショップで見たパッケージと、なんだか様子が違う。地味な水玉模様の包装紙で雑に包まれているのも妙だし、形が立方体に近いのもおかしい。指で突ついてみると、木のように固い音がするのも変だ。

わたしはスマホを開き、販売店から届いている商品発送完了メールを見た。商品名、メーカー名、配達日時、宅配業者、どれも間違っていない。そこからリンクをタップし、商品写真を見る。一年間悩んで決めた、五万二千円のフォト美顔器。パッケージはブルーの紙製で、覚えていたとおり、もっと細長い形だった。

あっ、まさか。わたしはゴミ箱の中から先ほど捨てた送り状を拾い上げ、皺を伸ばした。案の定、宛先が違っていた。マンションは同じだが、部屋番号がうちの301号ではなく603号、名前も中屋紗衣ではなく(株)ロクマルサン宛になっている。

「ったくもう。全然違うじゃない」

あんな帽子のかぶり方をして、ちゃんと見ていないからだ。真っ白な肌を思い出して、舌打ちをする。

時計を見ると、指定した配達時間の期限まであと十五分だった。またあの配達員が運んで来るだろうから、これはそのとき返せばいいとしても、外箱を開けてしまって、いくらか請求されることはないだろうか。

秘密の散財なのに、その上余計なお金がかかるのは困る。それに何かややこしいことになって、夫にばれたらもっと困る。

途端に心細くなった。やはり、してはいけない買い物だったのかもしれない。一度そう思うと、胸の内にあった迷いがみるみる溢れてきた。

息子の晴哉が歩くようになってから、追いかけ回すのに日傘など差していられなくなり、日焼け止めクリームも朝塗ったきり、汗をかいても塗り直す余裕はなくなった。家に帰れば家事と晴哉の世話に追われて、スキンケアなどしていられない。

「見て。もう、肌ぼろぼろ」

ママ友同士で「名誉の傷跡」と誇り合っていられたのは、最初の夏だけだった。今までなら冬の間に消えていた日焼けが、残ったまま春になり、しらずしらずに右のこめかみと鼻の頭で、小さなしみを作っていた。

経済的に余裕がある人達は、美容皮膚科やエステサロンに通っていたが、わたしにはできなかった。週に三日近所のレストランでパートをしているとはいうものの、我が家のお金の優先順位は、一に晴哉の教育費、二に家の購入資金、三に家族旅行、と決まっていたからだ。

しかしその頃から、今まで気にならなかった夫の祐一の、仕事にかこつけた夜遊びやゴルフ、出張が、わたしを苛立たせるようになった。彼が外で楽しんだ何杯かの酒や食事が、そして何より膨大な時間が、わたしの顔のしみを、じわじわと濃く、広げていくような気がしてならなかった。少し前まで「幸せで一杯」だったはずの生活が、そうではなくなっていたのだ。

だから、どうしても消したかった。

再び時計を見る。あと五分だというのに、宅配屋はまだ来ない。何をしているんだろう。

わたしはスマホを取り、ツイッターのアプリを開いた。いらいらしたときは、溜め込まずに吐き出すに限る。祐一はこういうものが大嫌いだから、当然秘密だ。ユーザー名はサニー。秘密だから本音が書ける。彼はもう、かつての、何でも話せる恋人ではない。

『最悪。宅配業者が部屋番号を間違えて、他人の荷物を置いていった。そして私の美顔器はまだ来なーい』

「ビンゴ!」

思わず毛布を蹴飛ばして、叫んでしまった。祐くんの奥さんのツイッターアカウントを、特定しちゃったのだ。「美顔器」だって。笑える。

「え、何か言ったか」

裸の祐くんが、バスタオルで頭を拭きながらバスルームから出てきた。わたしの匂いを微塵も残すまいとしているようで、悲しくなる。

「ううん、何でもない」

スマホを枕の下に隠す。祐くんはSNSを毛嫌いしていて、二人でいるときにスマホを見ているだけで嫌な顔をする。だから、ツイッターもインスタも、していることは内緒。奥さんも、きっと隠れてやっているに違いない。

人は、隠しごとをたくさん持っている。祐くんは出会ったとき、既婚者であることを隠していた。裸になって抱き合って大好きになってしまったあとで、奥さんと息子がいると打ち明けてきた。わたしは、運命の人と出会ったと思っていたのに。もっと悪いのは「夏希のことが好きだから、よかったらこれからも、こうして会わないか」と言ってきたこと。

「よかったら」って何。むちゃくちゃ頭にきたけど、好きになったものを嫌いになれるわけないじゃない。

そそくさと帰っていく祐くんを見送ったあと、すぐにツイッターを開いた。祐くんの奥さん、単純過ぎる。「宅配」「間違え」「荷物」のワードで検索したら、まんまと引っかかるなんて。

わたしは「サニー」をフォローして、ツイートにリプライした。

「サニーさんはじめまして。近頃の宅配便、不手際が多いですよね」

わたしにはもう一つ、秘密がある。それは、最近派遣の仕事を辞めて、宅配会社で配達のバイトを始めたこと。それも、祐くんの家のエリアで。

>>続く

著=岡部えつ/『気がつけば地獄』(KADOKAWA)

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