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「部下に仕事を振るだけ」9割の"いらない管理職"は、何のために会社に来るのか

  • 2021.2.10
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家庭との両立のために18時退社を決め、限られた時間で数々の大事業を成功に導いてきた佐々木常夫さんは、9割の中間管理職はいらないと断言します。不要な管理職たちは、毎日どのような仕事をしているのでしょうか――。

※本稿は、佐々木常夫『9割の中間管理職はもういらない』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。

日本のサラリーマンの通勤風景
※写真はイメージです
中間管理職と「クソどうでもいい仕事」

前回(不要不急の仕事を生み出す「9割の中間管理職」は不要である)も紹介したように、今、現代社会分析の書として注目を集めている『ブルシット・ジョブ』の著者である文化人類学者デヴィッド・グレーバーは、「テクノロジーが発展すれば人間は長時間働かなくてもよくなる」というケインズの週15時間労働達成の予言について言及しています。

グレーバーは、それをこなす自分たちですら必要がないと思っている仕事・役職についている中間管理職のような存在、つまり「クソどうでもいい仕事」という不必要な仕事が新しく生まれたことによって、せっかくのテクノロジーの進展をうまく活用できないでいることを指摘しました。

これはまことにユニークな分析であるとともに、現代社会の問題を鋭くえぐり出していると言えます。

デジタル化でペーパー過多になる矛盾

また、同じく前回紹介した『ブルシット・ジョブ』の姉妹本とも呼ぶべき、『官僚制のユートピア』という本では、20世紀後半以降、「書類作成(PAPERWORK)」という言葉や「業績評価(PERFORMANCE REVIEW)」という言葉の、英語の書物で登場する頻度がいずれも右肩上がりになっている点を、グラフを挙げて指摘しています。

グレーバーはこれを、実際にビジネスの現場で、書類作成や業績評価に費やされた時間のデータに近いものとして、提示しているわけです。

これは、せっかくテクノロジーが発達しているのに、ビジネスの効率化のために時間を使うことをせずに、不必要な仕事を生みだすために使われてしまっていることを示すよい例でしょう。つまり、デジタル化を推し進めて、ペーパーレスになるはずが、ペーパー過多になっているのです。

結局、業績評価を含めた分析を書類化することに1日を費やしてしまうような仕事、そしてその書類を自分で出力して提出したり、配ったりするだけの仕事、そんな仕事が前世紀の後半からずっと増え続けてきたのです。これは、人間がテクノロジーの発展についていけていないということでしょう。

私も自分の長いサラリーマン生活のなかで、そのような不必要な中間管理職というものに何度も出くわしました。グレーバーの指摘を受け、改めて本章では使えない9割の中間管理職と、使える、あるいは必要とされる1割の中間管理職について見ていきたいと思います。

「クソどうでもいい仕事」の5類型

グレーバーは『ブルシット・ジョブ』のなかで、「クソどうでもいい仕事」は主にどんな仕事をしている人か、次の5種類に分けて分析しています。

①取り巻き(Flunkies)
②脅し屋(Goons)
③尻ぬぐい(Duct Tapers)
④書類穴埋め人(Box Tickers)
⑤タスクマスター(Taskmasters)

①「取り巻き」とは、「誰かを偉そうに見せたり、偉そうな気分を味わわせたりするためだけに存在している仕事」のこと。日本語で言う、いわゆる「太鼓持ち」というやつですね。

②「脅し屋」は、ロビイストや企業弁護士、広報などに代表されるような、「雇用主のために他人を脅したり欺いたりする要素をもち、そのことに意味が感じられない仕事」と定義しています。要は、企業弁護士も広報も、競合する企業が雇っているからその対策のためだけに存在しているような仕事というわけです。

③「尻ぬぐい」とは、「組織のなかの存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在している仕事」です。

④「書類穴埋め人」は、「組織が実際にはやっていないことを、やっていると主張するために存在している」仕事です。

③や④の存在によって、組織は問題があるにもかかわらず、抜本的な改革が行われなくとも、なんとなく存続してしまうことになります。

そして、⑤「タスクマスター」は、「他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、ブルシット・ジョブをつくりだす仕事」と定義されています。まさにこれが、9割のいらない中間管理職なのです。

承認するだけ、挨拶するだけの中間管理職

それではいらない中間管理職、使えない中間管理職とはどんな存在でしょうか。私の経験から考えると、一言で言えば、ただ「承認して、報告して、挨拶するだけ」中間管理職です。

部下が「連休をください」と言えば、すぐに承認する。「今日は早く帰らせてください」と言えば「いいですよ」とただ承認するだけ。

書類に押印する手元
※写真はイメージです

また、部下に資料を作らせ、報告させて、それをただチェックし、上司に報告するだけ。それが必要な資料かも判断せず、ただ時間を穴埋めするために仕事を作って、それをチェックし、気に入らなければ部下に作り直させる。

しかもその判断基準は自分の好みに合うか合わないか。なんのためにその資料が必要なのか、本当に部下に一から作らせる必要のあるものなのかも判断しないので、自分の好き嫌いしか基準にありません。

そうやって作った資料を、今度はたださらに上の上司に報告として持っていくだけ。

上司にとって、そんな報告は本当はいらないかもしれない。けれども、せっかく時間をかけて作ってきたんだから受け取ろうということで、目を通してはみるけれども、腹の底では「こんなもの作りやがって」と思っているのではないでしょうか。その仕事が必要かどうかも判断せずに、ただ資料を作って報告するだけなのです。

あるいは、取引先を訪問しても、なにか売り込むでも、新しい事業の提案をするでもなく、単に挨拶するだけの中間管理職です。

何も生み出さない、「生産」をしない中間管理職

こうした中間管理職は、仕事をしているというけれども、その内実は、なにも生み出していない。言ってしまえば、なにも生産していないことになるのです。

佐々木常夫『9割の中間管理職はもういらない』(宝島社新書)
佐々木常夫『9割の中間管理職はもういらない』(宝島社新書)

新型コロナウイルスの流行によって、リモートワークや在宅勤務が当たり前になりつつある昨今ですが、これはコロナ以前から進められてきたITの導入やデジタル化の波によって着々と準備されてきたことです。

トップの意思を部下に伝え、現場で起こったことをトップに伝えるというのは、旧来の中間管理職の役目のようですが、これはデジタル化によってほとんど不要になったとも言えるのです。

以前は、会議があるとその結果を出席した上司たちが、部下に伝えて回るのが普通でした。たとえば部長が重役会議に出て聞いたことを課長に説明し、課長は部下を集めて説明するといったふうにです。

しかし、今やそんな「ホウレンソウ」は必要なくなりました。それはデジタル化によって、一斉にメールを送ったりすれば事足りるものになってしまったからです。こうして中間管理職は、グレーバーが言うような「ブルシット・ジョブ」になってきてしまっているというわけです。

中間管理職の自己顕示欲

ほとんどその存在に意味のないような中間管理職のなかには、しばしばプレイング・マネジャー的に振る舞う人たちも多いと思います。

たとえば、課長職にある人物が「この案件は俺がやった」というような顔をしている。現場の部下たちが丁寧に進めてきたものを、わざわざ横槍を入れてきて、自分があたかもプロジェクト・リーダーで、現場の仕事もやりながら管理したというふうに見せたがるような、そんな中間管理職です。

部下に任せず、自分でなんでもかんでもやってしまうのは、中間管理職としては、一見、忙しそうで、仕事をしているように見えるかもしれません。しかし私は、それは必要な中間管理職のあるべき姿ではないと思います。むしろ、こういうプレイング・マネジャー的な中間管理職こそ、いらない9割の中間管理職なのです。

そういう中間管理職は往々にして、自己顕示欲が強いだけです。部下に任せず、なんでも「自分が、自分が」というタイプで、なんでも自分の直接の業績にしたい。

しかし、後で述べますが、中間管理職がなぜ存在するのかを考えてみると、プレイング・マネジャーになるためにあるわけではありません。それは、部下にもできる仕事です。中間管理職は中間管理職にしかできない仕事をしなくてはいけない。私は、この場合、部下に任せて、部下の業績にしたほうが中間管理職にとってもよいのだと考えています。

そこで部下を褒め、育てることができれば、組織の力が増大することになる。それは組織を管理する中間管理職にとって、「俺がやった」なんて自己顕示欲を満たすことよりも、もっとずっと、大きなプラスになるのです。

ゴマすり一本で副社長を目指した人

「ブルシット・ジョブ」の5類型のうち「取り巻き」というものがあるのを説明しましたが、実際に「俺はゴマすり一本で副社長になる!」と宣言した人が過去にいました。もちろん、周囲の人間たちに公表したというのではなく、私だけに話してくれたことなのですが、私がまだ課長か部長で、彼は総務の部長でした。

その後、さまざまな部署を経験して出世していきましたが、彼は最後は専務まで昇進しました。本当にゴマすり一本だったのです。

権力のある人にピタッとくっついて、彼が好む趣味や食べ物と、ありとあらゆることを把握していた。ゴルフの接待ももちろん欠かさない。上司が好きな歌は何度も聴いて覚えていた。

宣言どおりの副社長にはなれませんでしたが、専務まで行った。あともう一歩でした。私は非常に驚き、脱帽しましたね。それは並々ならぬ努力でした。

たとえ「取り巻き」=太鼓持ちでも、やるなら徹底的にやらないとダメです。専務まで出世したその人は、「ブルシット・ジョブ」というよりも、結果的によい仕事をしていたのではないかとも思います。

なぜなら、彼の「ゴマすりで副社長になる」という野心には噓がなかったからです。彼の「ゴマすり」はおべっかだったかもしれませんが、噓ではなかった。自分は通常の仕事では他人よりも劣るかもしれないということがよくわかっていた。だから、自分のできることを懸命にやったのです。結果、彼は組織に必要な人間になっていたと思います。組織がまとまるための重要な潤滑油になったのです。

それは、管理職としてどうかという点は置いておくとしても、やはり組織にとっては必要な存在なのです。そのために、徹底的に努力した人でした。

佐々木 常夫(ささき・つねお)
佐々木マネージメント・リサーチ代表
1966年東京大学経済学部卒業、東レ入社。2001年、東レ同期トップで取締役。03年より東レ経営研究所社長。10年より佐々木常夫マネージメント・リサーチ代表。

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