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竹内涼真と笠松将の運命を分けたもの 『君と世界が終わる日に』を支えるキャストの一体感

  • 2021.2.8
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『君と世界が終わる日に』(c)日本テレビ

運命共同体とはどこまでを指すのだろうか。離れていく響(竹内涼真)と等々力(笠松将)を見ながらそんなことを考えた。自らの意思によるか否かにかかわらず、生死をともにすることはそれだけで強い絆になる。しかしその絆も絶対ではなく、生きるという同じ目的から互いに背を向けて歩いていく。響と等々力の間には見えない線が引かれているように見えた。いや、それは昔からあったのかもしれない。

『君と世界が終わる日に』(日本テレビ系)第4話では、序盤の舞台設定と顔見せが終わり、登場人物の運命も交錯しはじめる(以下、ネタバレを含む)。

美亜(芳根京子)の演技によって捕らわれの身となった響たち放浪グループ。響は脱出を試みて、坪井(小久保寿人)と対決する。その頃、ゴーレムのサンプル採取に出た来美(中条あやみ)も坪井に拘束されていた。再会への期待はあと少しのところで落胆に変わる。まるで出会えない運命にあるかのように。

線のこちら側と向こう側。運命を分けるのはいったい何なのか? ショッピングセンターに立てこもった坪井たちは、最初の感染者として隔離された。閉じ込められて実験道具にされ、避難指示後も救助されなかった。国による隠ぺい、あるいは「棄民」という言葉が頭に浮かぶ。有力者の息子だった坪井はゴーレムを退治し、残された人々の面倒を見ていた。だが、来美を監禁したことで自衛隊からテロリストとみなされてしまう。

運命は多分に人為的に作り出される。隔離、避難地域、テロリスト、サンプル……明確な根拠を欠いたまま、自分たちに都合が悪いというだけで線の向こう側に置く。それを正当化するのは社会の偏見だ。物理的な壁も運命を分ける。停電を修理するため連れ出された響に残った人々は疑念を抱きかける。鉄格子で隔てられたゴーレムたちは、もとは同じ人間だった。恋人の側にいることを選んだ美亜は、自らあちら側に行くことを選択する。

同じ側にいようとすることなのだろう。「信じたほうが負け」と言う美亜が自身の思いを捨てられないように。また、響の訴えに耳だけ貸した坪井が、知らない間に心を動かされていたように。それ以外に、相手が自分と同じ人間だと確かめる方法はないからだ。「俺は人を信じる。自分が信じてほしいから」という響の言葉は、等々力の「あいつは人を裏切りますよ」という独白と対照的だった。

同じ船に乗り合わせた不可避的なニュアンスを持つ「運命共同体」という言葉は、運命をともにする意思によってしか成り立たない。「正しい人よりも信じられる人についていきたい」と佳奈恵(飯豊まりえ)は話す。皮肉なことに、その決断は等々力を線の向こうに追いやり、響たちはテロリストとして逃げ続けることになる。

ゴーレムとの戦いが人間の持つ業をあぶり出す、という『君と世界が終わる日に』のテーマ性が徐々にはっきりしてきた。生き残った人々や自衛隊、ワクチンを作るという大義名分の下で、来美(中条あやみ)を利用しようとする研究所の首藤(滝藤賢一)たち。暗躍する首藤は響の父を知っているようで、両者のつながりが鍵になりそうだ。また避難区域という線の向こうを目指す響に、坪井は前途が安全とは限らないことを示唆していた。

混沌とした本作の世界観にあって、目下、制作チームとキャストの一体感が最大の癒しである。竹内と放浪グループの面々は、ドラマでも家族のような雰囲気を身にまといつつあるが、撮影の合間に届けられる舞台裏の様子やSNS配信で見られるキャストの素顔から、チームワークの良さが伝わってくる。それらを見ながら、フィクションと現実の違いを噛み締めている。

(石河コウヘイ)

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