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竹内涼真の熱量と衝撃的なラスト 『君と世界が終わる日に』深遠なテーマが顔をのぞかせる

  • 2021.1.25
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『君と世界が終わる日に』(c)日本テレビ

セルモーターの回転音が断末魔のように響く。生ける屍がさまよう街で生き残りを賭けて戦う『君と世界が終わる日に』(日本テレビ系)。第2話ではサバイバルドラマの外装から深遠なテーマが顔をのぞかせた(以下、ネタバレを含む)。

前回ラストで来美(中条あゆみ)が生存していることを確認した響(竹内涼真)は、無線が発信された交差点に向かう。そこに来美の姿はなく、響の一行は自衛隊横須賀駐屯地を目指すことに。その行く手をゾンビたちが遮る。宇和島(笹野高史)の様子がおかしいことに気付き、ゾンビに噛まれていたことがわかる。ゾンビから身を守るために甲本(マキタスポーツ)が宇和島を押した時にできた傷だった。宇和島は流血しており、ゾンビたちは血の匂いに引き寄せられたのだった。

噛まれた人間がゾンビになるのにかかる時間は、人によってさまざま。免疫力が低い人の方がゾンビ化は早いと言われる。「いつ変化するか誰にもわからない。危険な芽はすぐ摘まないと」と主張する等々力(笠松将)と響は宇和島の処置をめぐって対立する。

命の選別が許されるかと聞かれれば、誰だってそんなことは許されないと答えるだろう。では自分の命が危険にさらされていたら? 1人を犠牲にして多くの命が救えるとしたら? いわゆるトロッコ事例が突きつけているのは、命の重みに違いはあるのかという問いだ。多くの人を救うために選別を肯定する等々力と、目の前の1人を救おうとする響は答えの両極を体現していた。

この問いは、ジレンマに対する特効薬、すなわちワクチンというマジックワードが飛び出すことで別の様相を帯びる。助かる可能性に賭けるという折衷案かつ解決策は、時間との戦いを意味しており、本人の運も関係してくる。ドラマを観ているつもりで、気付くとすっかり現実に引き戻されていた。新型コロナウイルスが引き起こす自覚症状のない病に対して、ワクチンを待ちながら感染しない方にベットして日々をやり過ごす。トロッコに乗っているのは自分を含む社会の全員で、犠牲になるのは運が悪かった人? ゾンビを倒せば生き延びることができる世界の方が、敵もルールもはっきりしているだけまだ親切かもしれない。

小説家の宇和島には自分自身の物語があって、最後まで自身のストーリーを手放さなかった。ゾンビもウイルスも相手を選ばないが、人間は死に方を決めることができる。死に方は生き方の裏返しで、最後に残された自由でもある。ゾンビになりかかっていた宇和島は、身を挺して響たちを守ることで自身の物語を生ききった。佳奈恵(飯豊まりえ)は「正しい方を選んでいたら、たぶんみんな一生後悔することになってた」と言ったが、後悔せずに済んだのは、響が宇和島の物語を守ろうとしたからだろう。

生きたいと思うことは当たり前の「わがまま」だ。死を直視した宇和島は、最後に「わがまま」という自由意思を貫いて響たちの盾になった。そこには尊厳性があるが、多くの人のために死ぬことが尊いと考えると読み誤る。国や組織のために個人が犠牲になることが肯定されるわけではない。

横須賀駐屯地には日韓新興感染症対策機構が併設されており、来美は首藤(滝藤賢一)たちと出会う。サバイバルを主題にした作品では、共通の敵(本作ではゾンビ)以外に、自分たちと同じような集団や、目的の異なる第三極も相手にしなければならない。衝撃的なラストから察するに、予測不能な展開はまだまだ続きそうだ。本日の一言は「目の前で誰かが死んでいくのを見たくない」。シンプルだけど真情。竹内涼真の熱量に撃ち抜かれた。

(石河コウヘイ)

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