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アル中で寝たきりになった父と、10年の介護ーー離婚しても見捨てなかった「母の意地」

  • 2021.1.25
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写真ACより

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。母親との関係に苦しむ東野晴美さん(仮名・51)の話を続けよう。

東野さんは、アルコール依存症で暴力を振るう父親と、東野さんを常に監視する母親との関係に悩んできた。大学入学を機に実家から出ても母親の監視は続いたが、結婚するとようやく解放され、子どもを連れてたびたび帰省するくらい母親へのわだかまりはなくなっていたのだが――。

前回:「長女の私に、とにかく厳しかった」監視する母とアル中だった父――老いた親を前に、娘の本心は

離婚しても父を介護したのは母の意地?

その頃、父親は長年のアルコールが原因でほとんど寝たきりになっていた。

実家は昔自営業で敷地内に倉庫があったので、そこを父の部屋にして、母親が食事を運んだりトイレの世話をしたりしていたという。

「父は体がきかなくなっても酒はやめられず、ヘルパーさんに来てもらっても怒鳴りつけてクビにしたり、デイサービスに行ってもケンカして行けなくなったりと、家族以外に介護してくれる人はいなかったんです」

東野さんが、孫を連れて里帰りしていたのも、孫を見れば父親の機嫌が良くなり、母親や妹の負担を少しでも減らせるだろうという気持ちがあったからだ。

それにしても、ずっと父親から暴力を振るわれていた母親が、最後まで父親を見捨てなかったのが不思議だ。

「それが、父が亡くなる2〜3年くらい前に、籍を抜いたんです。母はずっと『離婚する』が口癖でした。私たちはそのたびに『すればいいじゃない』『もう私たちも家族を持って、子どもも生まれたんだから、離婚しても何の心配もないでしょ?』と言っていたんです。それで、最後の最後に実行したというわけです。父は離婚届にハンコは押したものの、荒れていましたね……。ただ、それでも母は家を出て行くこともせず、介護を続けたんです。母の意地だったのかなと思います」

夫婦の関係は、傍から見るほど単純ではない。結局、母親は父親を10年介護し、看取ったのだった。

義母の介護「助けてほしい」

父親の死から5年ほど後、九州で一人暮らしをしていた姑が認知症になった。「レビー小体型認知症」だった。アルツハイマー型認知症、脳血管性認知症と並んで“三大認知症”と呼ばれており、「知らない人がいる」「虫がはっている」など、実際にはいないものが見える幻視などの症状が特徴的だ。

東野さんの隣の市に住んでいる義姉が、「どうしても私が母を見てあげたい」と東京に呼び、自宅に引き取った。

「九州から、半分だまして連れてきたようなものです。でも義姉にも仕事がありました。幻覚が見えて夜中に叫び出したりする義母を一人では介護できなくなって、私に『助けてほしい』と言ってきたんです」

東野さんには、姑にかわいがってもらったという思いがあった。

「姑には一度もイヤな思いをさせられたことがありません。ずっと遠く離れて暮らしていたこともあり、嫁として姑に何もしてやれなかったので、こうなったら義姉に付き合おうと腹をくくりました」

東野さんは、義姉と週の半分ずつ交代で姑を介護することにした。

――続きは1月31日公開

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。

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