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「夫の人生だけを生きることはできない」ジル・バイデンが示す新しいファーストレディの生き様

  • 2021.1.21
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1月20日に就任したアメリカのジョー・バイデン大統領の妻、ジル・バイデンは、仕事を辞めることが当たり前とされてきたファーストレディになっても、教師の仕事を続けると公言してきた。彼女はどんな大統領夫人になるのか。自伝から浮かび上がる姿を、アメリカの政治に詳しい渡辺由佳里さんが解説する——。

大統領選挙中、デラウェア州ウィルミントンで夫の応援演説をするジル・バイデン夫人
大統領選挙中、デラウェア州ウィルミントンで夫の応援演説をするジル・バイデン夫人=2020年9月1日
政治に口を出す妻、夫を陰で支える妻

「ファーストレディ」と呼ばれる大統領夫人は、かつては夫の大統領を陰で支えるだけの目立たない存在だった。それを変えたのは1933年から12年間大統領を務めたフランクリン・ルーズベルト(民主党)の妻、エレノアだったと言われる。

ルーズベルトの前任のハーバート・フーバー(共和党)大統領の妻ルーは、1898年にスタンフォード大学で地質学の学士号を取得し、8カ国語以上の言語を学んだ才媛だった。当時の女性としてはまれな学歴を持つフェミニストだったのに、夫が大統領に就任してからは夫を支える活動しかできなくなってしまった。

黒人の公民権など社会正義の実現に情熱を持っていたエレノアは、前任者のように世間からの期待に素直に応じようとはしなかった。健康問題を抱える夫の代わりに選挙キャンペーンに行って講演をし、頻繁に記者会見を行い、定期的に新聞や雑誌にコラムを書き、ラジオ番組に出演して自分の意見を堂々と伝えた。夫の政策に影響を与え、第二次世界大戦中に夫が推進した日系アメリカ人強制収容に反対したことでも知られる、物議を醸したファーストレディだった。

1943年3月、当時のファーストレディ、エレノア・ルーズベルトがアイオワ州の新聞デモイン・トリビューンに寄せた、女性のエンジニア教育に関する記事
1943年3月、当時のファーストレディ、エレノア・ルーズベルトがアイオワ州の新聞デモイン・トリビューンに寄せた、女性のエンジニア教育に関する記事

85歳のアメリカ人の私の義母は、長年の共和党員であり、それぞれのファーストレディが現役の頃にはかなり率直に評価していた。特にヒラリー・クリントン(民主党)への嫌悪とローラ・ブッシュ(共和党)への好感が記憶に残っているのだが、その口ぶりからは、政治に口を出す妻よりも、夫を陰で支える妻を評価しているようだった。

ところが、今日「最も好きな過去のファーストレディは?」と尋ねたところ、「ファーストレディにはそんなに関心がないから、いちいち覚えていない」と言いつつも「ひとりだけ選ぶなら……」とエレノア・ルーズベルトの名前を挙げたのだ。

これには驚いた。これまでの義母の発言からは、イラク戦争など夫の政策に反対している噂があっても公には夫を擁護したローラ・ブッシュと言うと思ったからだ。

ファーストレディは“ドクター”・バイデン

「ファーストレディは、夫が大統領になったというだけで、それぞれがひとりの独立した女性。全員が異なるタイプであって当然だし、好き嫌いは特にない」というフェミニスト的な回答に感心していたのだが、「でも、医者でもないのにドクターの称号を使うのってどうかと思う。しかも名前も知られていないコミュニティ・カレッジで取ったものでしょ」と、ジョー・バイデン新大統領(民主党)の妻であるジルを批判することは忘れなかった。

日本ではドクター(Dr.)は「医師」のみが使う印象が強いが、アメリカでは心理学のPh.Dなど博士号取得者が使うことはよくある。また、大学教授の大部分は博士号を取得しており、お互いへの敬意を表して相手の名前を呼ぶときに「ミスター」や「ミセス」ではなく、「ドクター」を使うことが多い。

デラウェア大学(半官半民の研究大学)で教育博士号(Ed.D)を取得し、コミュニティ・カレッジの教授をしているジル・バイデンは、博士号を取得した2007年からミセス・バイデンではなく、ドクター・バイデンという呼称を使っている。

いまごろになって義母がこんな批判をするようになったのは、12月にウォール・ストリート・ジャーナルに掲載されたOp-ed(オピニオン記事)のせいだろう。

揶揄したコラムに集まった批判

「マダム・ファーストレディ ― ミセス・バイデン ― ジル ― おじょうちゃん(kiddo):ちっぽけなことに感じるかもしれないが決して取るに足りないことではないことについてアドバイスをしてあげよう」で始まるコラムを書いたジョーゼフ・エプスタインは、かつて大学で文章創作を教えた執筆家で、これまでにも女性蔑視や同性愛差別の文章を書いて物議を醸したことがある。エプスタインは、これに続けて「賢者(男)がかつて、赤ん坊を取り上げないかぎり誰として『ドクター』を自称するべきではないと言った。考えてみなさい、ドクター・ジル。そして、ドクターの称号を即刻やめなさい」と書いた。その後には「私は博士号なしでノースウエスタン大学で約30年教えた」「私は名誉博士号を持っていて、大学で教えているときに特に『ドクター・エプスタイン』と呼ばれることがあった」といった自慢と、著名人が受け取る名誉学位に対する揶揄が続く。

この記事は多くの批判を浴び、エプスタインが2002年まで非常勤客員講師を務めたノースウエスタン大学は即座に「彼は2003年からここで教えていない」「彼の女性蔑視的な見解には強く反対する」という声明を出した。彼が教えた英文学部によると、エプスタインは年に1つか2つの創作文講座を教えただけだという。

Kiddoは、大人が子供にむかって使う「おい、おまえ」といった呼称だ。名誉博士号を受け取って非常勤客員講師をしただけの男性が、博士号を持ってフルタイムで教授をする女性に向かって使うのは、女性蔑視の侮辱以外のなにものでもない。悲しいのは、義母のように、女性ですら真相を見極めようとせずに女友達から聞いた噂を鵜呑みにしてしまうことだ。

離婚、そして9歳上のシングルファーザーとの出会い

副大統領夫人のときからドクターという称号を使ってきたのに、今になって突然批判されるようになったジルは、不意打ちをくらったような気分だっただろう。でも、それがセカンドレディとファーストレディの違いでもある。ファーストレディになると、好むと好まざるとにかかわらず、国民の「お手本」として期待され、予想もしなかったことで批判をされるようになる。

Jill Biden『Where the Light Enters』(Flatiron Books)

前任者のヒラリーとミシェルも、それぞれに厳しい批判をされてきた。でも、ジルは彼女たちとは少し異なるタイプの女性だ。ヒラリーとミシェルはどちらもアイビーリーグ大学の法科大学院を卒業した才媛で、後に大統領になる伴侶と出会う前は、仕事で成功する野心を抱いていた。だが、2019年に刊行されたジルの自伝『Where the Light Enters』を読むと、彼女は人生の意義を見つけるのにかなり時間がかかったことがわかる。

ジルは大学1年生のときにハンサムな元大学フットボール選手と出会って恋に落ち、まだ18歳のときに結婚した。けれどもジル本人が認めるように、2人は若すぎた。2年ほどで仲違いして別居し、苦々しい訴訟合戦の末に23歳で離婚した。その体験から、経済的に独立してひとりで生きていくことを考えていたときに、ブラインドデートで出会ったのがジョー・バイデンなのだが、彼には悲劇的な過去があった。29歳の若さで上院議員に当選した直後に妻と幼い娘を交通事故で失い、勤務先のワシントンDCと住居があるデラウェアを行き来しながら幼い息子2人を育てるシングルファーザーだったのだ。

「夫の人生だけを生きることはできない」

自分探しを始めたばかりの若い女性が、すでに野心的な人生を歩んでいる9歳年上の子持ちの男性と結婚すると、家族の世話に追われて自分を見失ってしまうリスクが高い。

何度プロポーズされても答えをはぐらかしていたジルだが、5度目のプロポーズで「これが最後」と言われて決意した。幼い息子2人が「ぼくたち、ジルと結婚するべきだ」と父親に提言したというのがプロポーズのきっかけだったということだが、ジルの自伝からは、血が繋がっていない息子たちへの深い愛情が伝わってくる。アメリカでは離婚や再婚が多いが、バイデン家の体験は、血が繋がっていない者たちが集まって愛情あふれる家族を作りあげることを強く信じさせてくれる。

上院議員の妻も、専業主婦になって夫と子供の世話をすることが期待されており、ジルもしばらくはそうしたが「夫の人生だけを生きることは自分にはできない」と思うようになった。そこで、教師の仕事に復帰し、夜間に学業を続けて15年かけて修士号2つを取得した。また、そこでやめずに教育学の博士号まで取得したジルが「ドクター」という称号を使うのは、他人へのアピールではなく、諦めなかった自分に対する誇りなのだと私は思った。

「家族の世話もしたいけれど、自分の人生も生きたい」と悩む女性は世界中にたくさんいるはずだ。そういった女性たちは、ジルの粘り強さに励まされることだろう。

伴侶としてのジョー・バイデン

ファーストレディもセカンドレディも、給料を受け取る仕事を辞めてボランティア活動に専念することが期待されている。独身時代から仕事での成功を夢見る野心家で、結婚してからも重職に就いていたヒラリーやミシェルですら、ファーストレディの間に行ったのは無料奉仕の仕事だけだった。けれどもジルは2009年に副大統領夫人になったとき「好きなことをし続けたい」とコミュニティ・カレッジでフルタイムの教授になる希望を夫に伝え、ジョーは「もちろんやるべきだ」と全面的に支持した。

そういった、これまで私たちが知らなかった、伴侶としてのジョーを見せてくれるのがジルの自伝の魅力だ。フルタイムで働く初めてのセカンドレディの達成は素晴らしいことだったが、その背後には、妻を励まし、応援してきた夫の存在があったのだ。

また、妻の献身もなかなかのものだ。ロサンゼルスで行われた予備選の選挙集会で、酪農業に反対する動物愛護活動家2人が、ジョーが立っているステージに駆け上がってきた事件があったのだが、そのときジルはジョーの前に立ちはだかり、活動家を押しのけたのだ。活動家に歯をむくジルの形相を見たとき、この夫婦の愛と絆の強さを感じた。ジルの自伝は、大部分がジョーや家族に対するラブストーリーなのだが、読んでいるときにこのシーンを思い出した。

史上初の「働くファーストレディ」

ジルはファーストレディになっても教授の仕事を続ける意思を明らかにしており、これはアメリカ史上初めてのことだ。それについて義母が「ジルが仕事を続けたいなら続けるべき。いいことだと思う」と言ったのは、良い意味での驚きだった。なにせ、私が夫と結婚した30年前に「わがままかもしれないが、自分の息子の妻には夫の出世を支える妻であってほしいのが本音」と私に打ち明けた人なのだから。

過去30年のアメリカ女性の生き方が義母の考え方を変えたのだとしたら、多くの保守的なアメリカ人女性にとっても同様だろう。だからこそ、国民から注目されるファーストレディの生き様は重要なのである。

若い頃に結婚に失敗し、悩み、迷い、そのうえで家族愛や人生の意義をみつけたジルは、ファーストレディとして親しみやすいお手本になってくれることだろう。

渡辺 由佳里(わたなべ・ゆかり)
エッセイスト
助産師、日本語学校のコーディネーター、外資系企業のプロダクトマネージャーなどを経て、1995年からアメリカ在住。現在はエッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長編新人賞受賞。翻訳書に糸井重里氏監修の『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』、レベッカ・ソルニット著『それを、真の名で呼ぶならば』など。著書に『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』、『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』など。洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。

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