1. トップ
  2. 恋愛
  3. 「テーブルに置くだけで相手の話が急につまらなくなる」スマホが奪う人生の楽しみ

「テーブルに置くだけで相手の話が急につまらなくなる」スマホが奪う人生の楽しみ

  • 2021.1.18
  • 637 views

スマホやSNSを通じてネットの情報をいくらでも仕入れられるようになった。しかしどれくらいが頭に残っているだろうか。精神科医のアンデシュ・ハンセン氏は「スマホの使用により集中力や作業記憶が脅かされるだけでなく、学習能力も落ちる」と指摘する――。

※本稿は、アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

スマホを手に考える女性
※写真はイメージです
情報が記憶に残らない「デジタル性健忘」

グーグル効果とかデジタル性健忘と呼ばれるのは、別の場所に保存されているからと、脳が自分では覚えようとしない現象だ。脳は情報そのものよりも、その情報がどこにあるのかを優先して記憶する。だが、情報を思い出せなくなるだけではない。ある実験では、被験者のグループに美術館を訪問させ、何点かだけ作品を写真撮影し、それ以外は観るだけにするよう指示した。翌日、何枚も絵画の写真を見せたが、その中には美術館にはなかった絵画も混ざっていた。課題は、写真が美術館で観た絵画と同じかどうかを思い出すことだ。

判明したのは、写真を撮っていない作品はよく覚えていたが、写真を撮った作品はそれほど記憶に残っていなかったことだ。パソコンに保存される文章を覚えようとしないのと同じで、写真に撮ったものは記憶に残そうとしないのだ。脳は近道を選ぶ。「写真で見られるんだから、記憶には残さなくていいじゃないか」

なぜ知識を身につけなくてはいけないのか

では、なぜ私たちは知識を身につけなくてはいけないのだろうか。スマホにグーグルやウィキペディアが入っているのに。確かに、電話番号くらいなら問題ない。だが、あらゆる知識をグーグルで代用することは当然できない。人間には知識が必要なのだ。社会と繋がり、批判的な問いかけをし、情報の正確さを精査するために。情報を作業記憶から長期記憶へと移動するための固定化は、「元データ」を脳のRAM(ランダム・アクセス・メモリ)からハードディスクに移すだけの作業ではない。情報をその人の個人的体験と融合させ、私たちが「知識」と呼ぶものを構築するのだ。

人間の知識というのは、暗記した事実をずらずらと読み上げることではない。あなたの知り合いでいちばん賢い人が、必ずしも〈トリビアル・パスート〉[訳註:一般知識を競うクイズ形式のボードゲーム]で勝つとはかぎらない。本当の意味で何かを深く学ぶためには、集中と熟考の両方が求められる。素早いクリックに溢れた世界では、それが忘れ去られている危険性が高い。ウェブページを次から次へと移動している人は、脳に情報を消化するための時間を与えていないのだ。

スティーブ・ジョブズはコンピューターを「脳の自転車」みたいなものだと称した。思考を早くするための道具だ。私たちの代わりに考えてくれる「脳のタクシー運転手」と呼ぶほうが正確かもしれない。確かに快適だが、新しいことを学ぶのを誰かに任せてしまいたいだろうか?

テーブルにスマホがあるだけで会話がつまらなくなる

食事やお茶をしている最中に相手がスマホを取り出すと、毎回イライラする。自分だってちっとも偉そうなことを言えるような人間じゃないのに。ただ私には、相手に感謝される以外にも、スマホを取り出したくない自分勝手な理由がある。スマホが目の前にあると、会話がつまらなく思えるからだ。スマホが魅力的すぎて、周囲に関心がもてなくなってしまう。

ある研究で約30名に、知らない人と10分間自由に話してもらった。テーブルを挟んで座り、一部の人はスマホをテーブルに置き、それ以外の人は置かなかった。その後、被験者たちに会話がどのくらい楽しかったかを尋ねてみると、視界にスマホがあった人たちはあまり楽しくなかった上に、相手を信用しづらく共感しにくいとも感じていた。言っておくが、スマホはただテーブルの上にあっただけで、手に取ることは許されなかった。

これもさほど驚くことではない。当然のことながら、ドーパミンが何に興味を向けるべきか指示していたのだ。毎日何千という小さなドーパミン報酬を与えてくれる物体が目の前にあれば、脳は当然そっちに気を引かれる。スマホを手に取りたいという衝動に抵抗するために、限りある集中力が使われる。無視するというのは能動的な行為なのだ。その結果、あまり会話についていけなくなる。

1通のメールのためにディナーが台無しに

友人とのディナーの感想を300人に調査した研究者も同じ傾向を目にすることになった。被験者の半数は、ディナーの最中にメールが届くからスマホをテーブルに出しておくよう指示された。残り半数はスマホを取り出すなと指示されていた。食後、スマホがそばにあった被験者は、ディナーはいまいちだったと感じていた。極端に差があったわけではないがそれでも結果は明白だった。一言で言えば、目の前にスマホを置いていると相手と一緒にいるのが少しつまらなくなるのだ。

しかし、1通のメールのためにスマホを出したからといって、ディナー全体が台無しになることはないのでは? ならないかもしれないが、被験者たちはスマホをスタンバイさせていただけではない。ディナーの1割以上の時間、スマホをいじっていたのだ。1通のメールに返信する、そのためだけに置いたはずなのに。

授業中も仕事中も忘れられない

ドーパミンの役割はつまり、何が重要で何に集中を傾けるべきかを伝えることだが、ここで言う「重要」とはよい成績を取ることでも、キャリアアップすることでも、元気でいることでもない。祖先を生き延びさせ、遺伝子を残させることだったのだ。スマホほど巧妙に作られたものが他にあるだろうか。

ちょっとした「ドーパミン注射」を1日に300回も与えてくれるなんて。スマホは毎回あなたに「こっちに集中してよ」と頼んでいるのだ。

レストランでの食事中にスマホを操作する男性の手元
※写真はイメージです

授業中や仕事中でもスマホのことを忘れられないなんて、おかしいだろうか。スマホを取り出さないことに知能の処理能力を使ってしまうなんて。あまりに魅力的で、一緒に夕食を食べる仲間がつまらなく思えるほどなのだ。10分間隔で新しい体験と報酬を与えてくれる存在。それを失うと、ストレスを感じる。いやパニックに近いかもしれない。ちっともおかしくはない。そうでしょう?

マルチタスクによって間違った場所に入る記憶
アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』(新潮新書)
アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』(新潮新書)

記憶は脳の様々な場所に保存される。例えば事実や経験は俗に記憶の中枢と呼ばれる海馬に入る。一方で、自転車に乗る、泳ぐ、ゴルフクラブでボールを打つといった技術を習得するときには大脳基底核の線条体という場所が使われる。テレビを観ながら本を読むなど、複数の作業を同時にしようとすると、情報は線条体に入ることが多い。つまり脳は、事実に関する情報を間違った場所へ送ることになる。一度にひとつのことだけすると、情報はまた海馬に送られるようになる。

例えばニューヨークで散歩していたときに超美味しいチョコレートドーナツを食べたことがあるとしよう。またニューヨークに行ったり、別の場所でドーナツを食べたりすると、記憶が甦ることがある。そのときと同じ服を着たり、チョコレートのかかった別の美味しいものを食べたり、ニューヨークにいたときと同じ気分になったりしてもだ。脳は連想が大得意で、何らかの形でその出来事を思い出させるような小さな小さな手がかりを頼りに、記憶を取り出すことができるのだ。

デジタル化が脳に及ぼす深刻な影響

柔軟な記憶を作る能力は、複数の作業を同時にしようとすると部分的に失われてしまう。その原因は、情報が海馬だけでなく線条体にも送られてしまうから。記憶のテストでは、被験者が数字や言葉を覚えられるかどうかを調べることが多いが、記憶というのはそれより複雑なものだ。事実に関する記憶は、その人の個人的体験と融合され、知識として構築される。その知識を吟味し、角度を変えて見つめ直したりもして、自分の周囲の世界を理解しようとするのだ。

この途方もなく複雑なシステムが、情報の洪水にどれほど影響されるのか。それはまだ正確にはわかっていない。だが、デジタル化は思ったより深刻な影響を及ぼしていると言えるだろう。考えてみてほしい。記憶のテストで数字を何桁覚えられるかより、もっと根本的に大切なものを今この瞬間も失っているのだとしたら?

アンデシュ・ハンセン
精神科医
ノーベル賞選定で知られる名門カロリンスカ医科大学を卒業後、ストックホルム商科大学にて経営学修士(MBA)を取得。現在は王家が名誉院長を務めるストックホルムのソフィアヘメット病院に勤務しながら執筆活動を行う傍ら、有名テレビ番組でナビゲーターを務めるなど精力的にメディア活動を続ける。前作『一流の頭脳』は人口1000万人のスウェーデンで60万部が売れ、その後世界的ベストセラーに。

元記事で読む
の記事をもっとみる