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『呪術廻戦』『チェンソーマン』 映画好き作者が産むヒット作が提示する“引用”の重要性

  • 2021.1.9
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『鬼滅の刃』が社会現象を巻き起こしたが、『週刊少年ジャンプ』作品では今『チェンソーマン』と『呪術廻戦』の2作が最も盛り上がりを見せていると言っても過言ではない。『呪術廻戦』は2020年10月からアニメ化され、1月からは新章「京都姉妹校交流会編」が放送予定。さらに、先日本誌にて最終回を迎えた『チェンソーマン』もアニメ化が決定した。どちらも同じ制作会社MAPPAが手がけるというのが興味深い。

この2作に共通するのは、呪いや悪魔といった人外かつ恐怖の対象となる存在から、人類を守るために主人公が戦う物語であること。そしてその物語を語る作者が両者とも映画好きで、それが作品に色濃く投影されていることである。両作品で映画の引用は少し違った使われ方をしているが、結果的には同じ作用をもたらしている。

・『呪術廻戦』作品内に登場する映画の役割

映画の引用という意味では圧倒的に藤本タツキ作『チェンソーマン』の方が多いが、まずは芥見下々による『呪術廻戦』の中の“映画”について触れたいと思う。本作の映画といえば、いじめられっ子の吉野順平というキャラクターがすぐ頭に浮かぶ。彼は映画研究部に所属する根っからの映画ファン。研究部では『最終絶叫計画』という、知る人ぞ知るホラーパロディ満載のコメディ映画について仲間と話していた。この時点で、作者もなかなかの映画好きだと窺える。そして最悪な呪いである真人が、順平をいじめていた高校生組を呪術「無為転変」で殺害した場所も映画館だったが、その時の上映作品は『ミミズ人間3』。これはトム・シックス監督による『ムカデ人間』シリーズのパロディタイトルでこそあるが、中身は実際の作品にかなり寄っている(3は刑務所が舞台になったコメディだったので、アニメ版で描かれた映画の内容はどちらかというと1作目の方だけど)。

その後、主人公の虎杖悠仁が順平と打ち解ける河原シーンでは『ミミズ人間』もとい『ムカデ人間』について語り合う。この時、「2作目は評価が高い」と2人の意見があって順平が彼に心を開き始めるが、この2作目についての言及も現実世界の『ムカデ人間』シリーズに対する評価と一致する。アニメ版で描かれた映画の描写も、まんま『ムカデ人間2』。このように、実在する映画をそのまま漫画に登場させることによって、まず作品の世界観のリアルさが高まる。それだけでなく、読者との距離を縮める効果もあるのだ。例えば、かの大ヒットホラー作家スティーヴン・キングは、自分の作品の中に現実に存在するブランドのプロダクトをこれでもかというぐらい、普段に登場させる。これは彼の作品の人気理由のひとつであり、作家性でもあるが、そうすることで読者が「それ、私も使っている」と登場人物や情景の想像しやすくなり、より世界観に没入できるからだ。まさに、親近感そのもの。『呪術廻戦』の映画の使い方は、主にこの親近感とリアリティを高める効果を作品全体にもたらしている。

虎杖が呪力をコントロールする修行でひたすら映画を鑑賞する、というくだりも面白い。その中で明らかに彼は『ロード・オブ・ザ・リング』を鑑賞しているし、五条先生が「ヒロインが死ぬんだ」と鑑賞前にネタバレをするなど、かなりメタ的な楽しみ方ができるシーンである。しかし、それだけでなく、あらゆる感情を感じさせる手法として映画が選ばれたのが実は深いシーンでもある。映画は様々なジャンルがあって、出来も様々。その中に描かれている物語を通して、登場人物(他者)の感情の行方を理解し、その上で鑑賞者として心を揺れ動かすことは、高校1年生の虎杖青年が呪術師として、1人の人間として強くなる上で必要なことだった。そして、その揺れる心を制御できたのも、それが映画という“作られた、現実ではない創作物”であるからだったのかもしれない。目の前で大事な人が死ぬ、といった状況では心の揺れを制御するなんて無理だから。

・『チェンソーマン』規格外の演出の出どころとなった映画作品

藤本タツキによる『チェンソーマン』は、映画もそうだが漫画や小説、音楽など広い文化領域で沢山の引用がされている作品だ。それというのも、作者が大の映画好きだと公言しているからである。実際に、作品の中で活用された、所謂“元ネタ”とされる映画について少し言及しよう。

・『悪魔のいけにえ』

まずは、タイトルともなっている『チェンソーマン』だが、過去に掲載された公式インタビュー「藤本タツキ 毎日インタビュー」では、チェンソーの由来がサム・ライミ監督の『死霊のはらわた』ではなく、トビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ』であることを名言している。

・『ヘルボーイ』

主人公デンジに肉親を殺された敵、刀の悪魔(サムライソード)のヴィジュアルはギレルモ・デル・トロ監督作『ヘルボーイ』に登場するクロエネンというキャラクターに着想を得ていると思われる。「ジャンプルーキー!」に掲載された「【第66回】担当作家 藤本タツキ先生Q&A!」では、悪魔や魔人のデザインについて「自分の好きなデザインをずっと集めています。映画やゲームのキャラデザとか。そういう3~4つ複合してデザインしています」と語っている。その時、『ヘルボーイ』の画集を購入したことも明かしていた。

・ナ・ホンジン監督作『チェイサー』『哀しき獣』『哭声/コクソン』

特に作者は韓国映画界の大物ナ・ホンジンの大ファンである。沙村広明との対談(参考:藤本タツキ×沙村広明奇跡の対談)でも、自身の作風が『チェイサー』に影響を受けている点を明かした。だからこそ、2話目のサービスエリアでうどんとフランクフルトを注文するデンジが、『哀しき獣』の主人公がコンビニでラーメンとフランクフルトを食べていた姿と重なる。さらに、27話で京都の神社からマキマが敵に対し遠隔攻撃を行うための儀式を行うが、そのシーンは『哭声/コクソン』を参考にしたと30号の『週間少年ジャンプ』にてコメントしている。

・『女ガンマン 皆殺しのメロディ』

爆弾の悪魔、レゼが公安に侵入し、居合わせた職員を片っ端から殺戮した46話「皆殺しのメロディ」。このサブタイトルは1971年に製作された西部劇『女ガンマン 皆殺しのメロディ』に由来する。本作は夫を殺された女が復讐を誓い、銃で悪党を成敗していく物語。あのクエンティン・タランティーノ監督が『キル・ビル』シリーズを作る際のモデルにした作品でもあり、藤本タツキは同監督作『デス・プルーフ in グラインドハウス』が大好きだと、5巻の作者コメントにて名言している。

他にも、49話と50話(サブタイトル「シャークネード」)で明らかにオマージュされたB級サメ映画界の傑作『シャークネード』や、作品全体の強い悪魔に強い悪魔を当てて戦わせるやり方も「化け物には化け物をぶつけるんだよ!」セリフでお馴染みの『貞子vs伽耶子』のやり方であるし、終盤でとあるキャラクターがとある悪魔の復活を願った儀式を行う際、用意された者たちが首が切除されてひざまずいた状態にあったシーンは、『ヘレディタリー/継承』の引用だろう。他にもたくさんの映画の引用があるが、ここでは割愛させていただく。

彼の映画の引用は『呪術廻戦』のそれとは違い、絵作りや設定、意味性の深みに使われている。そして物語の展開の仕方は、そういった既存の作品に影響を受けながらも、それらのエッセンスを掛け合わせることで真新しいオリジナルなものとなっているのだ。

・多くの作品に触れたからこそ描ける演出、生み出せる“新しいもの”

先述のインタビューにて藤本タツキは、自身の漫画作りにおいて再三“映画をたくさん観ることの重要性”を語っている。そうすることで、物語の展開においても既視感のあるものを避けた、新しいものを生み出すことができると言うのだ。それだけでなく、ビジュアルやシーンの引用も、それらを組み合わせることによって真新しいオリジナルを生み出すことができる。

実はタランティーノもそうだが多くの名監督による名作映画は、それ以前に作られた名作映画を引用したものが多い。あの大ヒットミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』もそうだ。映画作品に限らず、既存の名作からの引用という行為は、その一つの事物を理解するだけでは難しい。その周囲にある歴史を知る行為でもあると私は考える。何か一つの単語に興味を抱いたら、そこから順々に芋づる式で引き上げられるもの。その知識の吸収量が多い作家に引き出しが多いことは、もはや必然なのである。

冒頭で触れたように、『呪術廻戦』も『チェンソーマン』も呪いや悪魔というものと戦う物語、という意味合いでは似たような作品が多い。これまでのジャンプコミック作品の中で、どれだけあっただろう。言ってしまえば、この2作品自体の共通点も多い。しかし、それでもこの2作品が圧倒的に頭ひとつ抜けて人気が高いのは、そういった映画作品を効果的に使ったり、引用したりすることで“ありそうでない”を更新し続けることができる作家性に起因していると考えられる。

そしてもうひとつ、やはり元ネタなどの引用の掘り甲斐がある作品はファンがつきやすい傾向がある。映画でも、王道ではないがカルト的な人気のあるものは大体コアな映画ファンがつきやすいのと同じ。それを読み解く側も、自分の知っている作品の引用に作家に対する信頼と親近感を沸かせ、知らない作品に出会えば新たな知識として学ぶことができる、そんな楽しさが味わえるのだ。日本の漫画に限ったことではない。映画や音楽の分野にも通じる話だが、作り手がどのくらい“知っているか”ということが、その作品の深みと面白さに繋がるということを、改めて知らしめてくれる2作品である。

(文=ANAIS/アナイス)

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