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命のぬくもりをつないでいく。 特別養子縁組で家族を迎えた不妊ピア・カウンセラーの池田麻里奈さん

  • 2020.12.24
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実子を諦めて、浮かび上がる「子どもを育てたい」という思い

2回の流産に続き、死産を経験して、どんなに努力をしても実らないことがあると思うと、不妊治療だけを頑張ろうと思えなくなりました。42歳のとき、不妊クリニックにずっと保管してあった受精卵を子宮に戻し、妊娠に至らなかったので治療を終えました。

カウンセラーの仕事をしながら気になっていたのは、やはり子どものことです。
以前にも参加していた、児童養護施設を退所した人たちが集まる場でのアフターケアボランティアに再び参加しました。18歳になって退所し、自立しようとする彼らの元に、突然親から連絡がきて気持ちが不安定になることもあるのです。これまで育つ中で常に寄り添う大人がいたら、状況はずいぶん違うだろうと思いました。

親の愛情を受けられずに育ち、「家庭」という帰る場所もなく、何を拠り所にすればいいのか…。振り返ってみると、父を失ったときの絶望感は、裏を返せば、父に愛されていた安心感であり、それが私の人生の基盤になっていたのです。でも、この子たちにはそういう存在がいない。子どもと永続的に関係を続けていく「パーマネンシーケア」の必要性をあらためて感じました。彼らと接するほど、「一時的なスポットの関係ではなくて、日常でかかわる人になりたい」と思ってしまう。それは親であり、家族なのです。

「養子を考えてみない?」と、治療中からずっと夫に投げかけていました。でも、「今は考えられない」「40歳になってから」「夫婦二人でいい」と言われ、話が進みませんでした。また、「血のつながらない子どもを愛する自信がない」とも。私も「絶対に子どもを愛せる」とは言い切れないし、迷っているから話し合いたいのに・・・。

朝日新聞telling,(テリング)

人生をともに歩む夫に、どうしても伝えたかったこと

死産のあと、私たちは人生を楽しもうと決め、「子どもができてから」と先送りにしていたことをやり始めました。キャンプに行く、アウトドアに合う車を買う、そして海の近くに土地を買い、家を建てました。しかし、引っ越して半年後、以前からずっと耐えていた生理痛がいよいよひどくなり、寝込む日が続きました。35歳頃から痛みはひどかったのですが、当時は妊娠が優先、その後にホルモン治療もしたものの、治療をやめると生理痛に悩まされます。MRI検査で子宮腺筋症が広がり、子宮が通常の3倍くらいの大きさになっているのがわかり、根治のため子宮全摘手術を決めました。

もう子どもは産めません。今までわずかな希望に賭けてきたけれど、可能性はゼロになる。夫が「男だったらどの臓器を失うことになるんだろう?」と自分のことのように考えてくれたことがうれしくて、「この人がパートナーでよかった」とあらためて思いました。この頃には、「私はこう思うけど、あなたはどう思う?」と相手の気持ちを尊重する、本当の意味での対話ができるようになっていました。

2018年の年末、手術前日に入院し、この先の人生について考えました。これまで多くの喪失をしてきた私にとって、手術は大きなショックではありませんでした。もしかして夫は、私がさほど落ち込んでいないと思っているのかもしれません。でも、「なんとなくこのまま二人だけの人生になっていく」とは思って欲しくなかった。この先ずっといっしょにいる彼には、私の思いを知って欲しい。42歳。子どもを育てるなら、もう先延ばしにできません。

親として子育てをしたい。一人の子どもの人生を、家族として見守っていたい。いっしょに笑って泣いて、日常で子どもとかかわり続けたい。あなたが子どもにどんな言葉をかけるのか見てみたい。それが、私の人生の願い。
「養子を迎えることを考えて欲しい」――。そう手紙を書きました。

朝日新聞telling,(テリング)

翌日、手術が終わって病室に運ばれ、まだもうろうとしているときに「手紙を書いたから読んでね」と夫に渡しました。それを読んだ夫は「わかったよ。麻里奈さんに付き合うよ」と言いました。

年が明けてから、二人で児童相談所を訪ねました。児相で里親研修を受けたのですが、2回目の研修は日程が合いません。そこで民間の斡旋団体を調べると、近日に説明会がありました。すぐに「よし、行こう!」と言った夫の反応の早さに驚きました。

突然の電話。命をつないでいく決意

養親になるための研修や審査を終えて、2019年1月、私たちはいつでも子どもを受け入れられる「待機」の状態に入りました。

しばらくして、斡旋団体から電話がありました。
「ご紹介したいお子さんがいます。10日以内に生まれそうです。委託が可能か、明日の朝までにお返事ください」
まさか、こんなに早く連絡があるなんて! しかも、これから生まれる赤ちゃん! 急展開にびっくりして、私は電話を持ったまま部屋の中をぐるぐる歩き回っていました。

すぐに夫に連絡したものの、私は「どうしよう、どうしよう」と動転するばかり。帰宅した夫は、開口一番「断る理由なんかないよね!」。その澄み切った笑顔を見たら、ホッとして力が抜けました。その日は夫の46歳の誕生日、大きなプレゼントになりました。

赤ちゃんに最初に会ったのは、誕生から5日目、産院から退院する日でした。私は「赤ちゃんを見たら泣いちゃうかな?」と思っていましたが、緊張しすぎて心の余裕がありません。赤ちゃんを抱いた婦長さんが部屋に入ってきて、赤ちゃんは、まず夫の元へ・・・。
「うおー! 動いている!」
それから、私の手に・・・。
「わぁ生きている! 命だ!」
赤ちゃんを抱いた瞬間、命を感じました。私たちは死産した、冷たく眠る赤ちゃんを抱いた経験があります。今、この腕にいる赤ちゃんはあたたかい、命のぬくもりを放っています。
「あなたなのね、うちに託されるのは。うちでいい?」
そう話しかけていました。そして、たいへんな思いをして産んだ子を他人に託す、大きな決断をした実母さんのことを考えました。同じ日、静かに退院した、ひとりの女性。責任を持って、この命をつなげていかなくてはいけない——そう胸に刻んだのです。

池田さん提供

「産んでいなくても、この子には私しかいない!」

この日から人生がガラッと変わりました。今まで突然消えてしまう悲しい変化ばかりだったけれど、その逆の大きな喜びに一日で変わったのです。昨日まで存在しなかった赤ちゃんが今、ここにいる。いきなり育児が始まりました。

翌日、赤ちゃんの受診のため総合病院に行きました。院内を歩いていたとき、人とぶつからないように私は自然に赤ちゃんを自分の体に引き寄せていました。ふと、妊娠中の記憶がよみがえり、母親が子どもを守る反射的なしぐさだと気がつきました。
「ああ、私は母親なのだ。産んでいなくても、この子には私しかいない!」

2、3カ月経ったある日、夫と「俺たち、もう家族になっているね」「いつの間にかなっていたね」と話しました。まさに日々の生活によって家族になることを実感しました。血のつながりがない分、愛情を与える努力が必要なのかと思っていたけれど、赤ちゃんを目の前にすると「愛情を捧げる以外ない」という感じで、「愛せるのか?」なんて考える暇もありませんでした。

赤ちゃんを迎えて9カ月後、家庭裁判所の審判で認められ、市役所に特別養子縁組届けを提出し、子どもの苗字が私たちと同じになりました。この先ずっとこの子の成長を見守る、未来を思い描ける・・・。家族の大事な記念日になりました。

池田さん提供

養子縁組の相談がカウンセラーとしての柱の一つに

「なぜこんなに子どもが欲しいのか」「どうして治療をやめられないのか」「なぜ子どもを育てたいのか」・・・。不妊治療や妊活をやめるときに向き合わなくてはいけないポイントです。私も、自分を見つめるワークを地道に繰り返し、気持ちを整理しました。やがて、子どもを授からなくても、これまでの経験は頑張った証だと受け入れることができるようになりました。

カウンセラーとしての活動は、「不妊」「流産・死産のグリーフケア」「養子を考える会」の3つが柱になりました。カウンセリングで感じるのは、「妊娠さえすれば、夫婦関係も含めて何もかも解決する」と思っている方が多いこと。そんな方には「目の前の問題をパートナーと話し合ってどう乗り切るか、そのプロセスを大事に」とお話しします。

妊娠しないのは辛いけれど、それでその人の全てが否定されるわけではありません。「頑張っているね」という誰かの声があれば、自己肯定感が大きく下がることはないものです。特に流産・死産の体験は自分を責めて自信を失いますから、「あなたのせいではない」とはっきり伝えています。突然の絶望の淵にあるとき、寄り添う人がいれば、心細さや悲しみはずいぶん違ってくる。私も「あのとき、ただただ泣いている私に助産師さんが寄り添ってくれたなあ」と今でも思い出すのです。そして、心が回復するには時間がかかり、それはひとり一人違うことも知っておいて欲しいですね。

池田さん提供

気がついたら、理想だった「普通の家庭」も「こんなママになりたい」も消えていました。愛情を持って育てるという大きな目標はありますが、今の子どもに向き合い、変化に柔軟に対応すればいいと考えています。子どもは1年9カ月に成長し、元気に保育園に通っています。将来、養子のことで悩んだら・・・など、養親という道を選んだ私たちは勉強を続けますが、養親ファミリーとの交流もあるので心強いです。

いつか子どもが「この家に来てよかった」と思ってくれれば本望ですが、それはずっとわからないかもしれません。でも、それこそが私がなりたかった親の姿なのだと思います。

池田さん提供

コウノトリこころの相談室

※記事冒頭の写真は「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」(KADOKAWA) /撮影:回里純子 より

[参考]
厚生労働省:特別養子縁組制度について

日本財団 子どもたちに家庭をプロジェクト(旧・ハッピーゆりかごプロジェクト)

■高井紀子のプロフィール
北海道生まれ。女性向け雑誌編集部、企画制作会社等を経て、フリーランスの編集者・ライター。広報誌、雑誌、書籍、ウェブサイトなどを担当。妊活や不妊治療、高齢者住宅などの取材が多く、生命誕生前から人生の最終章まで幅広く興味を持つ。不妊体験者を支援するNPO法人Fineスタッフ。コミュニティFM「渋谷ラジオ」に出演中。趣味は月を見ること、温泉めぐり、ボルダリングなど。健康マスター(ベーシック)。NPO法人Fine http://j-fine.jp/

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