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かつては200人以上の芸者が在籍 JR大塚駅そば「大塚三業地」の今を歩き残り香に酔う【連載】東京色街探訪(3)

  • 2020.12.7
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大塚駅の南東に、かつて大きなにぎわいを見せた色街があります。その名も大塚三業地。紀行ライターのカベルナリア吉田さんが歩きました。

途方に暮れる駅前、風情がない北口エリア

「大塚~大塚です。東京さくらトラム、都電荒川線はお乗り換えです」

うーむ、「東京さくらトラム」と言われても、個人的にどうもピンときません。「都電は都電だよなあ」と思いつつ、JR山手線大塚駅に降り立ちました。改札を抜けると出口が左右に、北口と南口に分かれています。

さて、どっちに行ったものか? 隣の池袋駅ならいざ知らず、大塚駅は東京に住んでいても、そうそう降り立つ駅ではありません。人の流れにつられ、まずなんとなく北口に出てみます。

広い駅前は大、大工事中! 再開発して、駅前を丸ごと作り変えているようです。丸くて巨大なオブジェがドーンとそびえています。

そして北口に出たものの、これまたどっちに行けばいいのやら。オブジェが立つロータリーを付け根にして、道が何方向にも分かれ、まるで手袋みたいです。行き先が定まらないまま、適当にブラブラ歩きだすと――それらはすぐ目に飛び込んできました。

コスプレサロン、プリティガール、花びら大回転、ラブホテルーー黒服のお兄さんが「お決まりですかー?」と声をかけてきます。四つ角に女の子が立ち、首から提げた札に「初回限定1000円」の文字。一方で立ち飲み屋やホルモン居酒屋が何軒もあり、さらに台湾リラクセーションや「精力」の2文字を掲げる薬局も目につきます。

鋭い目つきの警察官が、辺りをパトロール。区役所の車が通りかかり「豊島区では路上での呼び込みを禁止しています」と連呼しています。大塚駅北口は、都内屈指の風俗街。安さと「人妻」の店が多いのが特徴です。

ここもまた「色街」なのでしょうが、風情がないので歩く気になりません。北口散策は早々と切り上げて、南口へと向かいます。

サンモール大塚商店街の路地へ

途中に「巣鴨警察」「巣鴨図書館」「巣鴨建設組合」の案内看板が続き「ここは大塚なのに、なぜ巣鴨?」と思いつつ、いったん駅に戻りました。そして南口に出ると――これまた何方向にも道が分かれる手袋駅前。再び途方に暮れそうです。

でも駅前に「天祖神社」と刻んだ石柱が立ち、ビルに挟まれた路地の入り口に鳥居が立っています。鳥居の上には「サンモール大塚商店街」の看板があり、店も多い様子。鳥居をくぐって、サンモールの路地に入ってみました。

迷路のように入り組む路地端に、小さな居酒屋が何軒もあります。ほかにカレー屋やビストロ、そば屋に魚屋に、肉屋に和菓子屋などなど。

魚屋の前に、ご近所らしき人たちが集まり立ち話。肉屋の店内にベンチが置かれ、ペットボトルのお茶を片手にオジイちゃんが店主と談笑、北口より風情があります。そして路地の途中に天祖神社(豊島区南大塚)があり、やはり地元らしいオバアちゃんが、一礼して鳥居をくぐっていきます。

サンモールを抜けて、駅前大通りを渡った先の路地は「大塚銀座通り」。年季の入った「やきとん屋」が数軒と、枯れたたたずまいのうなぎ屋もあり、サンモールよりも年配向けの様子です。

銀座通りを抜けると、別の大通りに出ました。通りを挟んだ向こうに、大きなパチンコ屋がドーンと立っています。大看板に「バッティングセンター」「ゲームコーナー」の文字がデカデカと躍り、カラフルな電飾が輝き、昭和の懐かしい雰囲気です。

三業通りの随所に、花街の風情が残る(画像:カベルナリア吉田)

そしてパチンコ屋の脇に極細の路地が延び、入り口に小さく「大塚三業通り」の看板が立っています。

花街としてにぎわった「大塚三業通り」

三業(さんぎょう)――最近は聞きなれない言葉ですが、かつて東京にはいくつもの「三業地」がありました。

料理を出す「料理屋」と、芸者を抱えて派遣する「置き屋」、そして客が芸者遊びを楽しむ「待合茶屋」を合わせて「三業」と呼びます。大塚はこの「三業」がそろう「花街」として、大いににぎわいました。

どの街も「三業地」になれたわけではなく、営業許可が必要でした。大塚に三業地の許可が下りたのは1922(大正11)年で、そして翌年に関東大震災が発生。被災した地域の多くの店が、被害を免れた大塚に移り、震災以降の大塚三業地は大きく発展します。

大塚は都電荒川線の前身となる王子電車の発着点で、天祖神社の門前町でもありました。1937(昭和12)年には駅前に白木屋百貨店も開業し、戦前は意外にも、隣の池袋よりも大きな繁華街だったそうです。

しかし第2次大戦の空襲で、街は丸焼けになりました。そして戦後は隣の池袋に闇市が立ち、やがて池袋のほうがにぎわい始め、豊島地区の中心街として発展。大塚と池袋の関係は、いつの間にか逆転してしまいます。

ちなみに1969年の住所変更で、駅の北側は豊島区北大塚、南側は豊島区南大塚となりましたが、それまでは「豊島区巣鴨町」または「西巣鴨町」でした。巣鴨に大塚駅があるのはおかしいということで、住所が後追いで大塚に変わったそうです。

そして本家「大塚」は、南大塚のさらに南の文京区にあります。結果的に北から順に北大塚 → 南大塚 → 大塚と並ぶことになり、なんだか妙な感じがしますね。

バブル崩壊以降に衰退した三業通り

さて、大正末期から戦前にかけ、大塚には200人以上もの芸者がいたそうです。その隆盛は戦後も衰えず、1960年代の高度経済成長期まで続きました。

高度成長期には三業の店が並ぶ三業通りを、お座敷からお座敷へ駆ける芸者さんの姿が頻繁に見られたそうです。その後バブル期に至るまで、大塚の花街は高級接待の穴場として重宝されましたが――バブル崩壊以降は衰退の一途をたどります。

男たちの遊び場所も料亭からキャバレーへ、さらに安くて手軽で風情のない各種風俗店へと移ろい、大塚から「三業」の店が1軒また1軒と消えていきました。入れ替わるように、北口に風俗店が続々と開店し、いつしか大塚は「安さが自慢の人妻風俗」の街になってしまったわけです。

昭和が香るパチンコ屋を見上げつつ、三業通りへ(画像:カベルナリア吉田)

そんな時代の流れにあらがうように、今も通りの入り口には「三業通り」の看板が立っていますが、夜はどんな感じでしょうか。日が暮れて、巨大パチンコ屋の明かりが煌々(こうこう)とともるのを見上げつつ、通りに迷い込んでみました。

マンション街の隙間に残る風情

全盛期には及ばないのでしょうが、通り沿いに小さな店がポツン、またポツンと明かりをともしています。

古びた庇(ひさし)の小料理屋があり、店頭に「いらっしゃいませ」と筆書きされた、小さな看板が立っています。隣にバーが1軒と、さらにホルモン居酒屋と薬膳中華、ビアバーも。

また小料理屋があり、小さな看板がともり「割烹、水炊き」の文字が暗夜に浮き上がっています。そんな風に、三業通りでは今も、花街の風情を感じさせる店が数軒営業中です。

「季節料理 ふぐ 天ぷら」看板を掲げる、一見にはやや敷居が高そうな、格子塀の風格漂う日本料理店。店名が達筆すぎて読み取れない、これまた一見だと腰が引ける料亭などなど。ほかに入りやすそうな居酒屋やバーも数軒あります。

しかし一方で、通り沿いには新しい中規模マンションが何棟も立ち並んでいます。新たに建築中のマンションも多く、街の景色はどんどん変わっていく様子です。

三業通りの随所に、花街の風情が残る(画像:カベルナリア吉田)

さらに途中にラブホテルも2軒、ただし1軒は廃業していて、入り口からゴミとガレキが道路にあふれ出ています。三業地に「今どきの風俗」を持ち込んだものの、雰囲気にそぐわなかった、ということでしょうか。

おっ、銭湯がある! と思ったら「管理地」の貼り紙、閉業したようです。その先に再び、建築中のマンション。工事現場を囲む塀に、未来都市のような完成予想図が描かれています。

さらに進むと――店は途切れました。風情漂う日本料理店も料亭も小料理屋も、そして居酒屋やバーもありません。ひたすらマンションだけが並んでいます。

それでも裏道に入ると途中に1軒、うっそうと茂る木々に覆われて、黒塀の料亭跡が残っていました。営業はしていない様子でしたが重厚なたたずまいで、その一角の景色だけが、数十年前にタイムスリップしたように見えました。

見知らぬ客を、気さくに迎える街

居酒屋に入ってみました。年季の入ったたたずまいで、もしかして昔は料亭? と思ったら「ウチは違います」と、女性の店主が笑顔で答えてくれました。三業通りで30年以上続いているお店だそうですが「芸者さん? 今はもう、ひとりいるのかどうか。ほとんど見かけませんね」とのこと。

「もともと個人で芸者遊びをする人は少なくて、皆さん会社の接待で来られましたから。今は経費で芸者遊びなんて、とんでもない時代なんでしょうねえ」

苦笑しつつ、そうおっしゃっいます。つまらない時代になったものです。それでもカウンター席で隣に座った同世代のオジさんが、あれこれ話しかけてきます。

「大塚の人じゃないの? どこから? 墨田から?」「あっちのほうは、あまり行ったことなくってさ。この前、地下鉄で出掛けて淡路町で乗り換えようとしたら、乗換駅が新御茶ノ水駅と小川町駅で、乗り換えなのに駅名が違うの。何がなんだかわからなくなっちゃったよ」

三業通りの随所に、花街の風情が残る(画像:カベルナリア吉田)

大塚から淡路町は近いのに、ずいぶん遠い街のように言いなあと思いました。そのあと別のお客さんが来て「よう元気?」「久しぶり」とか声をかけ合います。

思わず「池袋の隣って感じがしませんね」と言うと「だってここ、下町だもん」と、オジさんは笑って言いました。

形は変わっても、残るもてなしの心

もう1軒、カウンターだけの小さな店に入ると、すでにほぼ満席。辛うじて空いていた1席に座る僕を、おなじみらしい先客の皆さんが「コイツは誰だろう?」と言いたげにチラチラ見ます。

そして僕をけん制しながらも、競馬の話で盛り上がります。皆さん競馬ファンのようです。僕は焼酎の水割りをチビチビ飲みつつ、会話にそれとなく耳を傾けます。

焼酎を2杯飲んだタイミングで、隣のお兄さんが「……大塚の人じゃないですよね?」と声をかけてきました。

「墨田区から来ました。スカイツリーの近くです」「墨田区? そりゃまたずいぶん遠くから(遠くないです)。競馬はやります?」「やらないんです」「じゃあ何を見るのが好きですか?」「プロレスは見ますね」

そのあと一気にボボ・ブラジルやタイガー・ジェット・シンなど、しばし昭和のプロレス話に花が咲きました。僕は3杯目の焼酎を飲み干したところで、2軒目なのでいい加減酒が回り、お会計。するとお客の数人が、

「大塚は、また来ます?」「また来てくださいね」

と言ってくれました。社交辞令かもしれませんが――また来ようかな、ここ。

料亭や日本料理店が数軒残る以外、今の大塚三業通りに「花街」を感じる風景は、ほとんどありません。通りを駆ける芸者さんも見ませんでした。

でもよそから来る客にさりげなく声をかけ、もてなす雰囲気にかつての花街の味わいを感じました。ひとときの芸者遊びを求め、都内近郊の各地からやって来る男たちを、街の人はこんな風に迎えていたんじゃないでしょうか。

JR大塚駅(画像:カベルナリア吉田)

たまには池袋ではなく、隣の大塚を歩いてみませんか。適当な居酒屋に入れば、きっと歓迎してくれますよ。

え、北口のほうに興味がある? 別に止めませんが、大人の街歩きを楽しみたいなら、南口をおすすめします。今どきの風俗街にはない「粋な艶っぽさの残像」を感じられますからね。

カベルナリア吉田(紀行ライター、ビジネスホテル朝食評論家)

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