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なぜ不倫をしてはいけないのか?【ひとみしょうのお悩み解決】

  • 2020.11.30
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“【お便り募集】文筆家ひとみしょう お悩み解決” に送っていただいたお便りの中から、お悩みをひとつピックアップしてひとみしょうさんがお答えします。

「畠山さん34歳」のお悩み

こんにちは。ひとみさんのコラム、いつも楽しく読ませていただいてます。

ずばり教えていただきたいのですが、不貞行為をしている人は罪悪感を抱いてないのでしょうか?私の周りで不倫をしている人が複数人いて、男性も女性もどちらもじつに楽しそうにお付き合いしているように見えます。そこに愛などなくお互いに遊びだから罪悪感を感じないのですか?

私は不倫って所詮身体の関係で、その人の何かに惹かれるとか恋に落ちるのとは別のものだと思っています。性欲が有り余ってる男女のただの組み合わせにしか見えません。それなら不倫、婚外恋愛ではなくセフレと呼んだほうが適切ではないかと思います。ひとみさんはどのようにお考えですか?

※ちなみに私はサレ妻というわけではなくただの独女です。

〜ひとみしょうのお悩み解決コラム〜

不貞行為をしている人は多かれ少なかれ罪悪感を抱いています。言い方を換えるなら、不倫しつつ「ぼくは/わたしは倫理的に善くないことをしてるな」と思っています。

ただ、その思いの強さが「ふつう」の人よりもいささか弱いということです。

詐欺と同じです。詐欺師に話を聞いたことがありますが、詐欺師たちは悪いことをしているとちゃんとわかっているのだそうです。でも、倫理的な善し悪しより、とにかくカネがほしいと思うんだそうです。

不倫も同じです。倫理的に善くないことをしているのは、やっている本人は百も承知です。がしかし、やっちゃうんだなこれが、と思うということです。

そしてそれは、愛がないただの気持ちいいことのしあいっこかといえばそうではないです。これは実際に不倫しないと理解できない感情かもしれません。つまり、倫理観の強い人には理解しがたい「恋愛感情」なのかもしれません。

なぜ不倫してはいけないのか

その理解しがたさについて、今回は一緒に考えたいと思います。

ご承知のとおり、倫理(学)は哲学という学問領域を形成するひとつの学問です。日本における「道徳」のもとは、その倫理学です(だから政府主催の道徳の会議には、大学の倫理学の先生が集められるそうです)。

さて、その倫理学を象徴する問題に「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という問題があります。とっても簡単な問いでしょ?今回の相談メールになぞらえて言うなら、なぜ不倫をしてはいけないのか?

なぜだと思いますか?

おそらく誰もが直感的に思いつく答えに「奥さん(旦那さん)に悪いから」というものがあるでしょう。旦那の浮気が善くないのは、奥さんに悪いからだ。妻の浮気が善くないのは、旦那に悪いからだと。

ではその「悪い」とは、具体的にどういうことでしょうか?

これも、直感的に「相手の心が傷つくこと」と答える人が多いように思います。夫が浮気することで、奥さんの心が傷つく。だから浮気は善くないと――。

ではなぜ、人は他人の心を傷つけたら善くないのでしょうか?

このへんになってくると、おそらく答えられない人も出てくるでしょう。

たとえば「魂論」を持ち出せば

なぜ人は他者の心を傷つけてはいけないのか?この問いに答えるために、ここでは「魂論」を持ち出しましょうか。古代ギリシャ・ローマの哲学(たとえばソクラテスやプラトンの哲学)では、しばしば魂のことが語られます。

たとえば、他人の魂を傷つけるというのは、同時に自分の魂を傷つけることである。だから他人の魂を傷つけるのは善くない――たとえばプラトンはこう言っていたと記憶しています(たぶん)。

ここでは仮にプラトンの言い分を認めることにしましょう。ではなぜ自分の魂と他人の魂を傷つけることは善くないのでしょうか?

もうこの段になると、さっぱり答えられない人の方が多いのではないでしょうか。

不倫に限らず倫理は打ち破れる 

むずかしい話が続いたので、気軽な世間話をします。

コロナ禍において、日本の偉い人がわたしたちにマスクを配りましたね。700億円だかもっとだか、かなりのお金がかかった「高価な」マスクが全戸に配られましたね。

そのとき、その施策に対する反対意見がツイッターにたくさん出ました。

たとえば、マスクを配るお金があれば医療従事者の待遇をなんとかするべきだと。あるいは、身内で税金を分け合うような真似を許してはならないと。

それら反対意見について、これまた日本の偉い人はたったひと言「布マスクは洗うと何回でも使える」と言いました。

医療従事者に思いを寄せる人はきっと、倫理的に「まずは医療従事者に手を差し伸べるべきだ。一般人にマスクを配るのはそのあとでいい」と考えた結果、思いを寄せたのだとぼくは想像します。

つまり、倫理的判断の結果、「マスクはあと」と言ったのだろうと想像します。

しかしその倫理的判断は「布マスクは洗うと何回でも使えます」というひと言の前に、無残にも打ち倒れた。だからなのか、いつのまにかマスクのことを問題視するツイートが消え、今ではマスクのことなんか誰もなにも言わない。

ようするに何が言いたいかというと、マスク批判をしているのではなく、倫理はつねに理屈に負けるのです。「布マスクは洗うと何回でも使える」という理屈は、小学生でも納得する、ある意味最強の理屈です。ぼくはその答弁を思いついた人を(嫌味ではなく)心から尊敬します。

しかし、人々が「なんかこのマスクはおかしい」という「なんか」、つまり「言葉にできない正義」をそこまで木端みじんにすることもなかっただろうに、とも思います。

ふたたび、なぜ不倫をしてはいけないのか?

さて、ふたたび、なぜ不倫をしてはいけないのかについて。この問いを一般化したもの、つまり、先に挙げた「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という問いの答えとして、哲学界のスーパースター永井均氏は「その答えはぼくにもわからないから一緒に考えようという答えが、もっとも誠実な答えだ」と述べています。

永井氏は、倫理学を専門としていますが、専門家として検証した結果、倫理の内側からも外側からも「なぜいけないのか」は検証できないとわかったから、というのが、その答えの根拠です。

たとえば小学生が「なぜ人を殺してはいけないの?」と尋ねたら、永井氏は、「その答えはぼくにもわからないから、一緒に考えよう」と答えるというのです。

なぜ不倫をしてはいけないのか?畠山さんが感情的にならず、「本当に」してはいけない理由を見つけたいのなら、ぼくはまず永井氏の考えに乗ります。

つまり、「その答えはぼくにもわからないから、一緒に考えよう」と言います。ぼくにだってしてはいけない「本当の理由」がわからないからです。また、永井氏の言説に限りない誠意と、人間に対する謙虚さを感じるからです。

倫理はつねに弱いです。いつもその弱きの味方でありたいとぼくは考えます。

(ひとみしょう/作家・コラムニスト)

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