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ネットも恋活アプリもない70年代、若者は伊豆諸島「新島」へ向かった……いったいなぜ?

  • 2020.11.29
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令和の2020年。若者が新たな「出会い」を求めるとすれば、SNSやマッチングアプリなどを使うのが定番でしょうか。今から半世紀近く前の70年代、東京の若者たちは夏になると出会いを求めて伊豆諸島の新島へ渡ったといいます。一体なぜなのでしょうか。フリーライターの真砂町金助さんが紹介します。

夏の往年の定番スポットといえば

かつて東京の若者たちが夏の思い出をつくるために大挙して押し寄せるスポットがふたつありました。山は清里(山梨県)、海は新島(新島村)です。

廃墟となった建物が残っていることから今もときどき話題になる清里に比べて、新島は伊豆諸島の離島ということもあってか、それほど顧みられることはありません。

いったい、あのブームはなんだったのか。今一度振り返って見ましょう。

昭和40年代から若者が押し寄せる島に

渋谷駅にあるモヤイ像の材料である抗火石(こうかせき)の産地としても知られる新島。

新島(画像:写真AC)

この島が夏になると若者が押し寄せる島となった歴史は古く、昭和40年代からだったとされています。

発端は今となっては資料も見つからないため不明ですが、砂浜が広いことからサーファーが集まるようになり、次第に女性誌や若者雑誌が取り上げ、さらに若者たちが集まったとされています。

新島の繁栄は清里と並んで、バブル景気の頃と思われているのですが、実は意外に繁栄の時代は長かったのです。

バブル以前の若者たちが抱いた夢

東京から約160km離れた新島は、夜の22時に竹芝桟橋(港区海岸)を出港する東海汽船の船でひと晩。高校生でも頑張ってお金を貯めればいくことのできる“夢”の島でした。

現代の竹芝桟橋。多くの若者が“夢”を抱いてここから船に乗った(画像:写真AC)

この頃の夢といえば出会いです。

今ではちょっと考えがたい価値観かもしれませんが、繁栄していた頃の新島は「ナンパ島」というある種不名誉な名前で呼ばれていました。

早い話が、若い男女が恋人との出会いを求めて友達と連れ立って出かける島だったのです。

男女がともに恋人を求めるために努力を惜しまず、そのために積極的に行動するというスタイルはバブル景気の時代に絶頂を迎えるわけですが、その10年以上前から新島は、そうした男女が目指す島でした。

学生運動の後に来た「恋愛の時代」

戦後史の流れを見ると、学生運動に代表される若者が政治に情熱を燃やす時代は1970年代初頭で終わります。

その後、数年間の停滞期を経て1980年代に入ると恋愛が若者にとって最大の課題となる時代が始まるわけです。

新島のブームを見ると、そうした若者は1970年代中盤にはすでに現れていたことがわかります。 そんな若者たちは、もう竹芝桟橋から出発した時点で盛り上がっています。

出会いを求める男女の異様な熱気

「若者たちが手にするラジカセから流行歌やロック・ミュージックがボリュームいっぱいに流れ、その喧噪(けんそう)さ、ゆうに80デジベルは越えている。」「周囲を見回すと、やたら目につくのがポニーテールのハイティーンの女の子。夏場の船旅は、星と対岸の灯(あかり)を見てロマンチックな気分にひたる、なんてムードには程遠い。」(『週刊サンケイ』1977年9月1日号)

もう出会いを求めるテンションと、友達同士で旅行している気安さ、船で1泊を過ごして離島に向かうという非日常の興奮とが交差して盛り上がっていたことは想像に難くありません。

そんな若者たちを迎える島もまた、単なる鄙(ひな)びた離島ではありません。島にはディスコもありビヤガーデンもあり、完全なリゾート地となっていました。

夏・浜辺・若者といえば、いつの時代も花火が欠かせない?(画像:写真AC)

この頃の新島の人口は約2500人程度。そんな島にやってくる観光客の数は10万人。

それも夏の一時期だけに集中してやってくるわけです。「若者たちで混雑している」なんて言葉では形容できない賑わいです。

夜ともなれば若者たちのテンションも上がり、あちこちで打ち上げ花火が上がります。別に観光振興で地元の人がやっているわけではありません。若者たちが砂浜でてんで勝手に花火大会を始めるのです。

砂浜へと続く道にはディスコやビアガーデンだけでなく若者目当ての店も並びます。女性が歩くだけで1分に1回は声を掛けられたと言いますから、現代の日本からは想像もできない風景でしょう。

恋人ができるとは限らない ほろ苦い思い出

そんな新島の賑わいは1986(昭和61)年にリリースされた『新島の伝説』というシングルで、また話題になりました。唄うのは田代まさし、作詞は秋元康、作曲は鈴木雅之という気合の入った製作陣です。

その歌詞は、新島に行けばひと夏のアバンチュールが出来て大人になれると思っていた……といったもの。ちょっとここでは書ききれないので、気になる人は中古レコード店で探してみてください。

ともかく、男女がたくさん集うのだから出会いのチャンスもいくらでもあるはずだ――。インターネットなどない時代、口コミと扇情的な雑誌記事程度の情報で想像力を膨らませた若者たち。

とりわけ高校生は、必死にアルバイトに励んで新島に向かったのです。

単にアルバイトに励むだけではいけません。多くの報道で新島の賑わいぶりは取り上げられていましたから、親を説得するのもひと苦労だったといいます。

冷静に考えればただ出掛けるだけで一瞬で恋に落ちる相手と出会えるなんてそうそうあり得ないと思うのですが、多くの若者が「もしかしたら」と一縷(いちる)の望みをかけて必死の努力に励んだのです。

冷笑がはびこる現代。目的はともあれ、そんなに熱く燃えたかつての若者たちを誰が笑うことができるでしょうか。

この記事を書くにあたって、高校生のときアルバイトで必死にお金を貯めて新島に向かったという男性に、話を聞く機会がありました。

結果は……

「年上のお姉さんたちに『ナンパするんなら、もっと上手にやりなさいよ』と怒られて泣きながら帰った……」。

ああ、青春の思い出はいつもほろ苦いものです。

真砂町金助(フリーライター)

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