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「生きるも死ぬも運任せだった」 老齢男性がふいに語り出した、関東大震災の壮絶な記憶【連載】東京タクシー雑記録(2)

  • 2020.11.29
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タクシーの車内で乗客がつぶやく問わず語りは、まさに喜怒哀楽の人間模様。フリーライター、タクシー運転手の顔を持つ橋本英男さんが、乗客から聞いた奇妙きてれつな話の数々を紹介します。

「俺いくつに見える?」「ハズレ、86歳」

フリーライターをやりながら東京でタクシーのハンドルを握り、はや幾年。小さな空間で語られる乗客たちの問わず語りは、時に聞き手の想像を絶します。自慢話に嘆き節、ぼやき節、過去の告白、ささやかな幸せまで、まさに喜怒哀楽の人間模様。

さまざまな客を乗せて走る東京のタクシーのイメージ(画像:写真AC)

今日はどんな舞台が待っているのか。運転席に乗り込み、さあ、発車オーライ。

※ ※ ※

十数年ほど前の晩秋、渋谷駅スクランブル交差点(渋谷区渋谷)から老齢の男性を乗せました。男性はつんのめるようにして座席に腰を降ろしました。

「千駄ヶ谷の北参道の近くまで」

「はい、じゃあ明治通りを走ります」

「渋谷駅は老人の歩く所じゃないよ、人が多くって。あ、俺いくつに見えますか?」

「80歳前後かな?」

「ハズレ、86歳。大正8年生まれで戦争にも行っている」

大正生まれのお客さんを乗せるのは当時としても珍しいこと。私は関心を引かれました。男性も、何か話を続けたそうな様子。

「お客さん、腰が少し曲がってるけど若く見えますよ」

「そうかい、ありがとう。俺は関東大震災も4歳のときに体験している。すっかり歳をとっちゃった」

「え? あの大地震?」

「ひと晩に、本当にたくさん亡くなったんだ」

「あんまり話したことないんだけど、運転手さんは気持ちが合いそうなのでお話しします」

そう言って男性は、確かな口ぶりで幼い頃の記憶を語り始めました。

「――あれは1923(大正12)年、昼の食事中に突然起きた。俺の家は銀座の京橋寄りにあって、親父は商売やっていて、あいにく親父(おやじ)は成田山もうでに行っちゃって不在。お手伝いさんの背中におんぶされて逃げて助かったんだ」

「すぐ神田も京橋も火事になって、黒煙が炎になって、母親と使用人は大八車に荷物を山のように積んで決死の覚悟で火の中を逃げ惑った」

関東大震災の壮絶な記憶を語り出した男性、その半生とは(画像:写真AC)

「それってすごい体験ですね」

ハンドルを握りながら、思わずバックミラーで男性の表情を盗み見します。

「俺の着物は旋風が吹くたびにジリジリと焼かれてね、電柱や街路樹までブスブス燃えてね、まあ、地獄だった。たくさん死んだよ」

まるで昨日見たように話し続ける男性。

「生死をさまよった体験をしている人は、もう少ない。地震で一番怖いのは建物の下敷きもあるけど、やっぱり火事だよ」

「それとデマも怖い。それから人間には運があって、これはどうしょーもない。神田川、隅田川の濁った川にたくさんの犠牲になった人たち。東京はその臭いがいつまでも漂っていた。ひと晩に何万人以上の人が亡くなったなあ」

「そんな地獄でも、他人さまのために命を落とした人もたくさんいてね、実は母親が前の年に亡くなって、新しい母親は俺を大切に育ててくれた。俺もいい子したからなんだけど、両親はもちろん、この歳になるまで、先輩、同僚、ご近所のいろいろな人たちにお世話になってね。人間ひとりで生きられない」

「それもこれも、皆『運』なんですよ」

ふう、と男性は短くため息をついたようでした。

「そうですね、人はひとりで何も始まらないし、生きていけない」

「軍隊も将校だったけど無事に生き残ったし、50歳のとき勤めた北海道の炭鉱が倒産で再就職に難儀したくらい。東京に戻ったら友人のタクシー会社の経営を任されたりして何とか乗り切ったし、生活も何とか乗り切れた。ふたりの息子も何とか一人前になったし」

「小さな土地も、1991(平成2)年のバブル絶頂期に売れて、これが今の老後に助かっている。これも運ですよ」

「それと女房を大切にすることだよ。けんかはどんどんやっても、ここ一番では労(いた)わること。他人さまなんだから。3度のご飯を作ってくれて、掃除洗濯子育て、他人さまがやってくれてる、ありがたいよ」

「俺は親父と違って何の信心もしてないけど、他人さまに感謝の気持ちは人1倍なんだよ」……

男性は、妻と周囲への感謝を繰り返し口にしました。

「家事の仕事って、疲れた時なんか本当にやりたくないですよね」

「うん、そうだよ。あっ、そうだ、俺の孫娘がアメリカに留学しているけど、親と暮らすのが一番楽でいいなんて手紙にあった」

「アメリカかあ、将来が楽しみですね」

「孫娘はそれほど優秀じゃないけど、まあ、考えてやるんでしょう」

男性が私に残してくれた感謝と気遣い

男性はもう一度、ふう、と短くため息をついて、ひと通り話し終わると、何かいい気持ちだと言い、

「運転手さんと別れるのが寂しいね。俺もタクシー会社の社長、いや、26台しかなかったけど、運転手さんの苦労は知っているよ。仕事から帰って来ると『今日はどこそこまで行っていい稼ぎになった』とかね」。

震災や戦争を経験してきた男性の目に、今の東京はどう映るのだろう(画像:写真AC)

そしてバックミラー越しにこちらを見ると、

「気持ちいいから神宮外苑のイチョウ並木をぐるっとゆっくりと回りますか」。

彼が幼い頃に体験した関東大震災で、何万人もの犠牲者を出した東京。それから80年以上の時をへて車窓から眺める黄色の並木やビル建ち並ぶ街角は、その目にどう映るだろう。

そんなことを考えながら私は、いつもより少しだけ慎重にハンドルを握り直しました。

橋本英男(フリーライター、タクシー運転手)

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