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そこは不純な喫茶店。ノスタルジアと“エモ”が入り交じる「不純喫茶ドープ」

  • 2020.11.28
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純喫茶で味わう、ナポリタン、クリームソーダ、プリン…。そんな昭和レトロこそがここ数年のトレンドだ。私たちを魅了するのは、“懐かしさ”ではなくどこか哀愁漂う“エモさ”である。「不純喫茶ドープ」は、古き喫茶店の趣を残しつつ、そこに異色の現代要素を加えることでさまざまな解釈をもらたす喫茶店。この店が“純”か“不純”か、どう捉えるかはあなた次第だ。

80’sファッションの流行を皮切りに、当時の世界観や文化に脚光が集まり、純喫茶ブームが叫ばれて早数年が経つ。カメラを手に老舗喫茶店巡りをする若者たちの姿は今や当たり前になった。古き良き喫茶店をモチーフにした最新施設や、純喫茶に現代の解釈を加えた“ネオ喫茶”の登場など、純喫茶を取り巻く環境が広がりを見せるなか、今注目を集めている店が「不純喫茶ドープ」だ。

「切ない気持ちのゴミ捨て場 夜になると開きたくなる扉」をコンセプトに、昼は純喫茶、夜は喫茶酒場として、2020年7月に中野にオープンした不純喫茶ドープ。10月には早くも上野御徒町に2号店を展開し、SNSを中心に話題は尽きない。不純というキャッチーな2文字に自嘲的な印象すら覚えるところだが、そもそも“純喫茶”とは、昭和時代に生まれた喫茶店・カフェの文化のなかで、女給…すなわちホステスを伴わず、また酒類を提供しない店を表した言葉。それに反し、夜にはアルコールを提供する酒場の顔を持つことから、ドープは“不・純喫茶”を謳う。

「不純な喫茶ではなく、純喫茶ではない(不・純喫茶)」というその一方で、実はドープが店を構えるのはもともと長年、純喫茶だった物件。中野店は「喫茶じゅんじゅん」、上野御徒町店は「cafe ヴェルデ」と、どちらも約40年もの間続いた店をそのまま引き継いでいるのだ。
上野御徒町店に訪れると、そこにあったのは、少し革がめくれた跡が残るソファや使い込まれたテーブル。ところどころ黒ずんだ床は年月の流れを物語り、色褪せたランプシェードがぼんやりとやわらかな灯りで店内を照らしていた。ノスタルジックで温かみがありつつ、どこか哀愁のようなものを感じてしまうのは「切ない気持ちのゴミ捨て場」というコンセプトを耳にしたせいだろうか。新たに造ったものではけっして真似できない、年を重ねてきたからこそ出る味わいや匂いが、確かに染みついている。

古き良き喫茶店を継承するドープ。しかしそれをオールドスクールなままに守り続けることがこの店の在り方ではない。至るところに、純喫茶をリスペクトした独創的なアートワークを散りばめている。ポップなチェリーのロゴアイコンやシュールなイラストが壁を彩り、BGMに流れるのはヒップホップ。窒素を注入したコーヒー「ニトロコーヒー」が主力メニューとして並ぶ。

クラシカルな純喫茶のイメージからすれば、そうした現代的な要素は、いわば一種の“不純物”といっていいだろう。しかしそれら小さな不純物を加えた途端、この空間は懐かしい純喫茶の味わいを残しつつ、“エモい不純喫茶”としての一面をのぞかせる。

喫茶店おなじみのメニューも、ここでは味わう人によって各々の感情を抱かせるだろう。年季の入った店内で食べる、ケチャップ味の極太麺のナポリタン、真っ赤なチェリーがのった固めのプリン、そしてキラキラと輝く赤・緑・青のクリームソーダ。昭和世代を謳歌した年代の客は、かつての純喫茶と同じようにそれを青春時代の味として感慨深く味わうだろうし、今働き盛りの世代にとっては、うっすらと記憶に残る子供の頃の懐かしい味かもしれない。

一方で物心ついたころからファストフードやファミレスで育ってきた令和世代の若者にとっては、今もっとも“SNS受けする対象物”でもある。おしゃれなレストランで食べるフレンチや、オーガニックを意識したヴィーガンフードよりも、この世界観の中でどこかチープな美味しさを味わうそのノスタルジーな体験そのものが、新しい食の楽しみ方のひとつになっている。

喫茶店ブームの2020年だが、コロナの影響を受ける飲食店はやはり多く、ひっそりとその歴史に幕を閉じている老舗喫茶店も少なくない。だがそれをそのまま消してしまわないのがドープの役割。異色の現代要素を加えることで、一度は店としての役目を終えたものに新たな命が吹き込まれ、ドープはまた人が集まる場となっている。

純か不純か、誰もが自由気ままに過ごす“喫茶”としての姿が確かに残っている。

取材・文 : RIN

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