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韓国で英雄視される「義烈団」と、日本警察の攻防――映画『密偵』から読み解く、朝鮮戦争と抗日運動の歴史

  • 2020.11.28
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近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『密偵』

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『密偵』/彩プロ

韓国映画界では今、近現代の歴史的出来事にフィクションの要素を加え、歴史を振り返りつつエンターテインメントとして仕上げた作品が人気だ。以前コラムでも取り上げた『金子文子と朴烈』『マルモイ』『スウィング・キッズ』などはいずれも、「事実(fact)」と「虚構(fiction)」を融合した「ファクション(faction)」ジャンルであると紹介してきたが、今回取り上げる『密偵』(キム・ジウン監督、2016)もまたその系譜だといえる。

だが一口に「ファクション」と言っても、作品の中での事実と虚構の割合はそれぞれだ。同作の監督を務めたキム・ジウンは、『クワイエット・ファミリー』(1998)といったブラック・コメディから『反則王』(00)、『グッド・バッド・ウィアード』(08)といった王道のアクションもの、ホラー作品の『箪笥』(03)まで、さまざまなジャンルを行き来しながら大成功を収めてきたヒットメーカーで、近年はハリウッドに招かれるほどの実力者でもある。

そんな監督のファクション作品であれば、事実よりも虚構の要素が強くて当然と思いがちだが、意外にも本作は、史実にかなり忠実に描かれている。今回のコラムでは、韓国でもあまり知られていない部分も多い本作をめぐる史実を、映画と照合しながら丁寧に紹介してみたい。

物語を紹介する前に、まずは本作を見る上で重要な固有名詞を確認しておこう。「義烈団」という存在をご存じだろうか? 日本史の教科書にも登場するはずなので、名前くらいは知っている人もいるかもしれない。

1919年、朝鮮全土で起こった「三・一独立運動」は、非暴力を掲げていたにもかかわらず、日本軍の武力行使によって多数の犠牲者を出すデモとなった。この事件をきっかけに、平和的な活動に限界を覚えた指導者たちは、大韓民国臨時政府の誕生と時を同じくして拠点を満州へと移し、「日帝の破壊と暗殺」を前面に打ち出した義烈団が結成されたのだ。

徹底抗戦を宣言した彼らは、「爆弾組」と「拳銃組」を組織して積極的に武器を持ち込み、総督府や警察署など日本の統治機関をターゲットに、破壊と暗殺をさまざまに試みた。それらの多くは失敗に終わったものの、彼らが命を顧みずに祖国の独立を目指したという点では、韓国近代史における英雄的存在だといえる。本作はそんな義烈団と日本警察の攻防を巡って展開する。

<物語>

1920年代の植民地朝鮮。独立のための資金集めに奔走していた義烈団メンバー、キム・ジャンオク(パク・ヒスン)は日本警察に追われ、日本の手先となっていた朝鮮人警部イ・ジョンチュル(ソン・ガンホ)の目の前で自殺。これを機に、義烈団メンバーの検挙に乗り出した日本警察は、ジョンチュルを使って古美術商の義烈団メンバー、キム・ウジン(コン・ユ)へと接近を試みる。団を率いるチョン・チェサン(イ・ビョンホン)との接触に成功したジョンチュルだが、日本警察という立場と朝鮮人のアイデンティティの間で揺らぎ、次第に義烈団に協力するようになる。

日本警察部長のヒガシ(鶴見辰吾)が送り込んだ警部ハシモト(オム・テグ)の監視をかいくぐりながら、義烈団を追うジョンチュル。一方で、義烈団の中にも密偵が存在し、そのせいで彼らの作戦は見破られ、一網打尽にされてしまう。一度は捕まったジョンチュルだが、自分は警察側の密偵として義烈団に近づいたにすぎないと訴えて釈放。見せしめのため、義烈団の女性メンバー、ヨン・ゲスン(ハン・ジミン)への拷問に加担させられながらも、ジョンチュルはウジンとの“ある目的”を果たすべく、隠してあった爆弾を持ち出して最後の行動へと移る……。

では、物語の展開に添いながら、それぞれのキャラクターを歴史と照らし合わせてみよう。

「独立運動家」のはずが、今も“曖昧な人物”とされる主人公

映画の冒頭でまず描かれるのは、「鍾路(チョンノ)警察署爆弾事件」の顛末だ。義烈団メンバー、キム・サンオク(映画ではキム・ジャンオクとして登場)は1923年1月、鍾路警察署に爆弾を投げ込んだとして日本警察に追われ、抵抗したものの銃撃されて死亡したとされる人物。憲兵たちが彼を追って瓦屋根の上を走り回る映画の描写はあまりにも大げさに思われるが、真冬の京城(現ソウル)を裸足で何十キロにもわたって逃げ回り、撃たれた時は膝から下が凍傷でひどい状態だったという彼の実際の死のインパクトは、映画でもそのまま描かれている「最期は“大韓独立万歳”と叫び、一発だけ残っていた弾で自ら命を絶った」という英雄神話と比べても、あながち外れてはいないかもしれない。

この事件(別名:キム・サンオク事件)をきっかけとして義烈団への捜査が本格化し、映画と同じく上層部(映画で鶴見が演じたヒガシのモデルとなった人物の名は、当時の新聞によると「馬野」)の命令で、ファン・オク(ソン・ガンホが演じたイ・ジョンチュル)という朝鮮人警部と、橋本(映画でもハシモト。ただし、彼が日本人か朝鮮人かは不明)が上海に送られる。そこでのファン・オクとキム・シヒョン(映画ではコン・ユが演じたキム・ウジン)のやりとりは定かではなく、2人は後に、「実際には会っていない」と証言もしている。

しかし、一つ確かなことは、ファン・オクは上海で義烈団団長のキム・ウォンボン(イ・ビョンホンが演じたチョン・チェサン)と面会をしていたということだ。この事実があったために、ファン・オクは義烈団の爆弾持ち込みに協力したとして、後に10年の実刑を言い渡されることになる。

『密偵』というタイトルからも明らかなように、本作は主人公のイ・ジョンチュルが「実際には日本側と義烈団側のどちらの密偵だったか?」という問題を、主要なテーマにしている。韓国映画界の大スターであるソン・ガンホが演じていることからも、映画は彼が「義烈団側の密偵」=「独立運動家」であるという前提で描いているわけだが、歴史上の真偽は、いまだ不明のままだ。ファン・オク自身は「義烈団メンバーを捕まえるため、日本の警察として本分を果たしたまでだ」と訴えており、歴史学者の間でも「義烈団の逮捕に成功すれば昇進を約束されたために義烈団側の密偵を装った」というのが定説になってはいる。

だがその一方で、1945年に日本から解放された後も、彼は義烈団と交流を続けており、その後、親日派を処罰する運動に積極的に参加していた事実もあって、定説には疑問が残るのも否めない。朝鮮戦争の際に人民軍によって連れ去られ、生死を確かめるすべのなかった彼の立場を正確に位置づけるのは難しく、このファン・オクという人物の曖昧さが、映画では絶妙な緊張感をもたらしている。歴史的評価が定まっていないがために、彼がどう描かれるか、物語がどう展開するか、観る者になかなか予想ができないからだ。

歴史的には英雄である義烈団の一面が、韓国ではいまだにあまり知られていない理由は、ファン・オクをめぐる曖昧さもさることながら、義烈団団長であるキム・ウォンボンの存在も大きい。出番は少ないながらも、イ・ビョンホンが圧倒的な存在感を醸しているこの人物は、1916年に中国に渡って軍事教育を受けた後、三・一独立運動をきっかけに仲間たちと義烈団を結成し、団長として活躍した。鍾路警察署爆弾事件以前にも、キム・ウォンボンは釜山・密陽警察署爆弾事件(1920)、総督府爆弾事件(1921)を指示し、爆弾の性能の問題から物理的には失敗に終わったものの、日本を少なからず慌てさせ、朝鮮人の同胞たちを心理的に勇気づけたという意味で、歴史的重要性は計り知れないものがあるといえる。

だが彼は独立後の1948年、南だけの単独政府の樹立に反対して北に渡り、朝鮮戦争では北の人民軍の指導部として参戦。北朝鮮で要職にも就いたが、1958年に金日成(キム・イルソン)から「批判的」との理由で粛清されるという道をたどる。そして、これまでのコラムでも取り上げたように、韓国にとって北朝鮮に関わる事象は長年タブー視されてきたため、朝鮮独立の英雄にほかならないキム・ウォンボンでさえ、北に渡ったという理由で長い間その存在を隠蔽されてきたのだ。

近年のファクション映画ブームの背景には、その後の歩みにかかわらず、抗日運動に貢献した人物を発掘し、再評価しようという韓国社会の変化も大きく反映されており、それによって彼らを映画でも取り上げやすくなったことが挙げられる。キム・ウォンボンは『暗殺』(チェ・ドンフン監督、15)にも登場する人物なので、機会があれば併せて鑑賞してほしい。

コン・ユ演じるキム・ウジンがたどった壮絶な人生

そして、イ・ジョンチュルとともにもう一人、映画の主要人物であるキム・ウジンは、人気俳優のコン・ユが演じていることもあり、頭脳的な好人物として描かれている。前述のように、モデルとなった義烈団メンバー、キム・シヒョンとファン・オクとの事実関係については定かではないものの、裁判でキム・シヒョンがファン・オクをかばったという事実が、映画での2人の関係を想像させたと考えられる。

明治大学法学部を卒業したキム・シヒョンは、朝鮮独立に身を投じる決意をして義烈団に入り、活動の中で逮捕と釈放を繰り返したが、とりわけ壮絶だったのは独立後の歩みだ。抗日活動の実績を評価されて国会議員になったものの、李承晩(イ・スンマン)大統領の悪政に憤った彼は、元義烈団メンバーを使って大統領の暗殺を試みたのだ。事実、1952年に演説会場にて、登壇している李承晩のすぐ背後で、彼に銃を向ける男を捉えた衝撃的な写真も残っている。

だが、元メンバーが手にした銃は不発に終わり、捕らえられたキム・シヒョンは「私が銃を持てばよかった」と叫んだという。これによって死刑宣告を受けた彼は、1960年に起こった「4.19革命」で李政権が倒れたことにより赦免され、再び国会議員に返り咲くも、朴正煕(パク・チョンヒ)による軍事クーデター後に政界から引退。1973年に他界した。

ちなみに、キム・ウジンの恋人であった義烈団の女性メンバー、ヨン・ゲスンは、実際には妓生(キーセン、日本でいう芸者)出身のヒョン・ゲオクがモデルとなっており、英語とドイツ語が堪能だった彼女は、後に旧ソ連に亡命したとの記録が残っている。映画のような拷問死を迎えてはいないが、義烈団には少なからず女性も所属しており、中には悲惨な最期を遂げた者もあったのだろう。

以上が本作をめぐる、史実と映画を比較した結果である。細部においては、必ずしも史実をなぞっているわけではないものの、物語の展開や登場人物の描写は概ね一致していることがわかるだろう。ただし、映画の終盤で描かれるイ・ジョンチュルによる爆弾事件が、完全なるフィクションである点は押さえておかねばならない。

「史実とフィクション」を混ぜる、重要度と危険性

植民地時代を舞台にした映画では、しばしば京城を舞台に独立運動家による破壊・暗殺行為や、日本警察との銃撃戦がスリルたっぷりに描かれる。だがそのほとんど(99%といってもいいだろう)はフィクションが混ざっており、朝鮮人が実際にはできなかったことへの欲望を満たす「ファンタジー」の役割を、映画が果たしているといえよう。

ナショナリズム理論の教科書ともいえる著作『想像の共同体』で、明確な形として存在しない<国家>の概念がどのように人々に共有され、<国民>を形成していくかを論じたベネディクト・アンダーソンによると、人々がナショナリズムを内面化していく段階では、誰もが知っている「偉人」より、誰もがなりえたかもしれない「無名勇士」のほうが効果的なのだそう。朝鮮の歴史で考えるならば、伊藤博文を暗殺した英雄・安重根(アン・ジュングン)を賛美していた時代は終わりを告げ、まだ十分には知られていない活動家たちを掘り起こす、ナショナリズムの新たな局面を迎えているのだろうか。

歴史に対して多様な視点を持ち、再評価の余地を与えるという作業は非常に重要ではあるものの、史実とフィクションの混在がいつしか歴史と欲望の境界を曖昧にしてしまう危険性は、これからも常に警戒していなければならない。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

崔盛旭(チェ・ソンウク)

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