1. トップ
  2. ライフスタイル
  3. 「女人禁制から女子率過去最高へ」オリンピック参加を勝ち取るまでのいばら道

「女人禁制から女子率過去最高へ」オリンピック参加を勝ち取るまでのいばら道

  • 2020.11.23
  • 810 views

新型コロナウイルス感染症の影響で、東京2020オリンピック大会は延期となりました。安全な開催に向けて準備がすすめられているようですが、いったいどんな形で実現できるのでしょうか。今でこそ当たり前に男子も女子も参加しているオリンピックですが、かつて女性はオリンピックの参加を禁じられていました。日本人女子が初めて出場したのは9回アムステルダム大会。今回はちょっと経済から離れて、「女性とオリンピック」の歴史を振り返ってみましょう。

私はチャンピオン
※写真はイメージです
スポーツは男性のもの。女性の入る余地なし

まず男性に限って見れば、スポーツの起源は大変古いです。古代エジプトには、すでに宮廷娯楽としてのレスリングや重量挙げがありましたし、古代ギリシャでは「健全な肉体に健全な精神が宿る」と考えられ、自由市民の教育で知育・徳育に加え「体育」が重視されました。また古代ローマでは軍事訓練という実用性の側面から、スポーツが盛んに行われました。さらに、教育・軍事の必要性から始まったはずのギリシャ・ローマのスポーツは、その後次第に競技場で大会が催される一大イベントとなり、特にギリシャの大会は、最終的には都市国家オリンピアで「守護神ゼウスに捧げる4年に1度のスポーツの祭典」という、古代オリンピックの起源となりました。

その後もヨーロッパでは、中世には騎士道習得の一環としてのスポーツ(乗馬や剣術)が発達し、また近代には農村の貧困層の中で生まれ、都市部で洗練されていったスポーツとしてサッカーやボクシングが誕生し、娯楽的なスポーツとして定着していきます。しかし残念ながら、そこに女性が入り込む余地はありませんでした。

古代オリンピックは“女人禁制”

なぜ女性のスポーツは発達してこなかったのでしょうか? それは女性が「か弱き存在」と見なされていたからです。社会が女性たちに求めるのは、運動能力よりも「しとやかさ」であり、そのため女性は長きに渡ってスポーツとは無縁とされてきました。女性たちがようやくスポーツを始めたのは19世紀後半と遅く、しかもテニスや乗馬、ゴルフなど、いわゆる「上流階級のたしなみ」とされるものばかりでした。

その女性たちが、近代オリンピック(19世紀末に復活したIOC主催のオリンピック)の時代になって、ついにスポーツの世界に足を踏み入れ、オリンピックへの参加をめざし始めます。しかしそれは、決して平坦な道ではありませんでした。「近代オリンピックの父」とされる人物であるフランスのクーベルタンは、意固地なまでの男性至上主義者だったからです。

「スポーツとは本質的に男性のするもの」「女性の競技は、おもしろみがなく見苦しく不適当」「オリンピックは男子のみの大会でなければならない」「男性の参加するすべての競技に、女性の参加は禁止」――これらはすべて、クーベルタンの言葉です。彼は「オリンピックは万人のためのもの」と言っていますが、どうやらその万人の中には、最初から女性はカウントされていないようでした。彼が女性に求めていた役割は、以下の発言からも明らかです。「息子を鼓舞し、優秀な選手に育てよ」「男性を称賛することで、男性の運動競技熱を高めよ」「(女人禁制だった古代オリンピックの時代のように)何よりもまず、優勝者の頭上に月桂冠を載せることだ」。

そういうわけで、記念すべき近代オリンピックの第1回アテネ大会(1896年)では、女性の参加は禁じられました。この時はメルポメネというギリシャ人女性がマラソン競技への参加を熱望しましたが、IOCに拒否されます。しかし彼女は大会当日、競技委員の目を盗んで男性競技者たちがスタートしたあとに走り出し、最終的に「マラトン~アテネ」間の40kmを、4時間半で走り抜きました。

第2回大会から女性参加は許されたけれど……

結局、女性が初めて参加できたオリンピックは、第2回パリ大会(1900年)からになります。しかもIOCから公式な同意のないオープン参加で、種目は男性が許容できるテニスとゴルフのみ。参加選手数は24カ国から集まった997人中、わずか22人(2.2%)にすぎませんでした。その後、徐々に女子の種目数は増えていき、第4回ロンドン大会(1908年)からは、ついに公式参加となりますが、残念ながらこのロンドン大会では、女子の優勝者には賞状しか与えられず、メダルはもらえませんでした。

ちなみに、種目数は増えたものの、それらはアーチェリーやフィギュアスケート、水泳など「良家の子女のたしなみ」といえるものばかりで、オリンピックの花形である陸上競技への女子参加は、なかなか認められませんでした。これでは一部の特権階級の子女しか参加できず、女子の参加人口が増えません。

そこで、1人の女性が立ち上がりました。フランス人のアリス・ミリアです。彼女は1917年に「フランス女子スポーツ連盟」を設立し、IOCに女子の陸上競技への参加を求めました。しかし、それが拒否されると、今度はイギリスやアメリカも巻き込んで1921年に「国際女子スポーツ連盟(FSFI)」を組織し、さらに強く働きかけ、翌1922年にはパリで「女子オリンピック」も主催しました。こうした彼女の精力的で粘り強い努力が実り、ついに第9回アムステルダム大会(1928年)から、わずか5種目ながら、IOCから女子の陸上競技が正式に採用されたのです。

水泳のバタフライレース
※写真はイメージです
初参加の日本人女子が陸上で銀メダル!

実はこのアムステルダム大会には、1名だけですが日本人女子選手も参加しています。日本人女子初めてのオリンピック選手となる、人見ひとみ絹枝です。彼女は陸上女子800mに出場し、見事銀メダルを獲得しました。その後も彼女は日本に海外のスポーツ事情の紹介や後進の育成など精力的に活動し、日本における女子スポーツの基礎をつくるのに貢献しました。ちなみに日本女子初の金メダリストは、第11回ベルリン大会(1936年)に出場した、競泳女子200m平泳ぎの前畑秀子です。

その後、女子が参加できる種目数は増え続け、それにともない参加する女子選手の数も増えていきます。そして、ついに冬季オリンピックでは2002年のソルトレークシティ大会から、夏季では第30回ロンドン大会(2012年)から、全種目で女子の参加が可能となりました。

内閣府の「男女共同参画局」ホームページによると、IOCは2014年に「オリンピック・アジェンダ2020」を採択し、男女平等の推進として「女性の参加率50%の実現」と「男女混合の団体種目の採用の奨励」を目標に掲げています。

そのため来年の東京大会から新たに男女混合種目が採用され、女子の参加率が過去最高となる見通しなのだそうです。クーベルタンの時代からすると、考えられないことですね。IOCも変わりました。

蔭山 克秀(かげやま・かつひで)
代々木ゼミナール公民科講師
「現代社会」「政治・経済」「倫理」を指導。3科目のすべての授業が「代ゼミサテライン(衛星放送授業)として全国に配信。日常生活にまで落とし込んだ会社のおもしろさで人気。『経済学の名著50冊が1冊でざっと学べる』(KADOKAWA)、『マンガみたいにすらすら読める経済史入門』(大和書房)など経済史や経済学説に関する著書多数。

元記事で読む
の記事をもっとみる